落とした餃子 小3子どもたちとの約束
「♪卒業祝いは餃子パーティ♪卒業祝いは餃子パーティ♪」
それ以来、ことあるごとに、
「先生、卒業祝いは餃子パーティやで。」
「餃子パーティー忘れんとってな」
と、子どもたちに言われ続け、
翌年の担任は、別の学年になったけれども、
廊下ですれ違うたびに、
「先生、♪卒業祝いは餃子パーティ♪卒業祝いは餃子パーティ やで」
(なぜか、『卒業祝いは餃子パーティ』の部分は、常にみんな歌う・・・)
と、念を押され続けました。
結局、私は、子どもたちの卒業を待たずに、夫の国オーストラリアへ移住。
この年、担任した子どもたちは、オーストラリアへも年賀状や近況報告をちょくちょくお手紙で送ってくれました。
さぁ、いよいよ、子どもたちが小学校を卒業します。
あれだけ子どもたちがうきうきした餃子パーティー、
卒業祝いの餃子パーティーをしなければ、教員失格。
残念ながら、子どもたちの卒業式には間に合いませんでしたが、あの頃の3年生が3年経ち、卒業した年の6月に日本に帰りました。
卒業祝いの餃子パーティーします~、全員集合~、の私の掛け声で、
なんと東京に転校してしまっていた子も新幹線を乗って地元まで帰ってきてくれ集まり、
30名を超える子どもたちと、卒業祝いの餃子パーティをしました。
場所は、校区内にあった「餃子の王将」。
30名を超える子どもたちが、それはもう食べる食べる。
「餃子食べ放題~イエーイ」
と中学生の男女が、みるみるうちにお皿を平らげていきます。
「餃子10皿追加で~」
「こっちも、お願いします~」
お財布に忍ばせた万札で足りるのか、ちょっと不安になりながら、
餃子を食べる子ども達の笑顔に私は大満足。
教員していてよかったな、
このために、日本に帰ってきてよかったな
と、心の底から思いました。
結局、30名を超える中学1年生の男女が餃子やチャーハンを食べつくしたのですが、
4万弱で収まり、お会計も無事終了。
私は、3年越しの約束を果たせたこと、
子どもたちにまた会えたこと、
部活動や塾で忙しい子ども達が時間をやりくりして、
中には東京からも会いに来てくれたこと、
もうすべてに感謝で、感動。
3年も前の担任のことをまだ、覚えていてくれたことにも感謝。
学級崩壊を経験した直後に受け持った子ども達で、私自身、教員続けられるのか、自分の中でドキドキしていた中で、私を受け入れてくれた当時の小学校3年生。
感謝しても、しきれません。
現在、オーストラリアで小学校の教員として働けていることも、
気が付けば日豪トータル教員歴が14年経ったことも
あのときの3年2組のみんなのお蔭です。
毎日毎日、本当に楽しかった!
週末なんて、なくっていいって思ったよ。
そんなみんなも、もう20歳なんだね。
成人式おめでとうございます。
また、餃子でお祝いかな。(←せこいか?)
今思えば、あの餃子パーティーに、保護者の付き添いもなく、子どもたちを送り出してくださった親御さん方にも大感謝です。中には、感謝の手紙をくださった保護者の方やお礼にと子どもと選んだコップですとくださった方もあり、私はなんて恵まれているのだろうと、思います。あのいちごのコップ、今では、5歳娘のお気に入りです。
♪卒業祝いは餃子パーティー
10年以上たった今でも、子ども達の顔が目に浮かびます。教員という職業の楽しさを教えてくれてありがとうね。
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?
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