私が精神崩壊寸前になった精神科閉鎖病棟看護実習

私が経験した25年前の看護学生だった時の病棟実習の話です。

看護学生は、いくつかのいろいろな領域の病棟の実習が必須となっています。

精神科の実習として行ったのは、都立松沢病院でした。しかも閉鎖病棟。

私は、中学生の夏休みに学校の体験実習にて東京の足立区の精神科閉鎖病棟へ行ったことがあります。

閉鎖病棟は厳重に管理されており、病棟に出入りする際、施錠は必須です。
鍵をかけておかないと病棟から外へ出てしまう患者さんがいるからです。

そんな中学の時の経験もあって、「んー、病棟に鍵がかかっていて。。。」
と軽いイメージで実習に臨みました。

ところがとんでもなく壮絶でした。

たった2週間の実習でしたが、精神崩壊寸前になりました。


閉鎖病棟は、ほとんどの人が「統合失調症(以前は、精神分裂病)」という疾患の患者さんです。

まず驚いたのは、薬の与え方です。専門用語では、「与薬」といいますが、まさに薬を「与える」状態でした。
食事が終わった後、患者さんは看護師さんのところに、一列に並ばされます。
そして看護師さんが患者さんに一人ずつ、注射器で口の中にピュッと薬を入れていきます。
その後に別の看護師さんが、本当に薬を飲みこんだかを患者さんが口を開けている中を見て、飲んだかを確認します。
錠剤では、そのようなことができませんし、吐いてしまう人もいるかもしれません。
だから液体なのです。

その光景を見た時は、衝撃でした。

もはや、「人」ではないと。(差別的な表現であることをご了承ください m(__)m)

工場のベルトコンベアー作業のようです。これが1日3回行われます。


私の担当した患者さんは、統合失調症の60才近い女性でした。

戦後、統合失調症の患者さんに行われた手術は、「ロボトミー」というものです。

全ての統合失調症の患者さんにではなく、重症の人に行われていました。

どのような手術かというと、脳の「前頭葉」を除去します。

ご存知の方も多いかと思いますが、「前頭葉」は、「人間らしさ」を司る領域です。

「人間らしさ」をその人から奪う手術です。

よって、感情は無くなります。会話もほとんどできなかったです。

その患者さんの1日は、トイレに頻繁に行ってひたすら手を洗います。
そしてトイレの天井の角には、「神様」がいるそうで、お辞儀して手を合わせて拝んでいました。
いろいろ彼女なりの「ルーティン」があるのですが、正直、意味不明の行動でした。
その患者さんは、当時でもう20年以上も入院していて、その後も退院することなくずっと病院です。

ある患者さんは、頻繁に頭から床にぶつかりに行くので、常にヘッドギアを着けていました。
立った状態から、ガシガシと床に転倒していました。

排泄がうまくできないため、ずっとオムツの患者さんもいました。

患者さん間での会話は無く、各々がバラバラの不思議な行動をしています。
何かにぶつかる音はよくしましたが、会話が無いので静寂。異様な光景でした。

実習初日から強烈なインパクトで、病棟から外に出た時の頭の切り替えが大変でした。
病棟が一緒だった同級生がもう一人いました。その人がいてくれたことがまだ救いでした。


病棟の中には、患者さんが暴れた際に落ち着かせるため、「独房」と「拘束衣」がありました。
精神疾患の患者さんが暴れる時は、とても一人では押さえられないほどのすごい力があります。
精神病棟に男性看護師さんが配置されるのは、それが理由の1つに挙げられます。

独房は、まさに刑務所で見る独房と同じ。トイレとイス(?)しか無かったと記憶しています。

もう本当に日常生活から、かけ離れている世界です。

閉鎖病棟の患者さんでも、状態の比較的良い方は、週に2回ほど、「喫茶」という時間が設けられています。

喫茶の時間になると整列します。先頭と列の終わりには病棟スタッフが付きます。
そして病棟を出て、病院内の喫茶店に列をなして向かいます。
この時も病棟スタッフが患者さんの身の安全を図るため、目を光らせていました。
つかの間のお茶の時間。出てくるのは、お茶とスーパーで売っているようなお菓子でした。
その後、また同じように列をなして、病棟に戻るのでした。

私の受け持ちの患者さんは、喫茶には行けませんでした。



精神病棟には、他に、「開放病棟」と「半開放病棟」があったと記憶しています。
実習帰りに、それらの病棟実習に行っている同級生と会うと楽しそうにしていて。
患者さんと会話できていて、開放病棟の患者さんは看護学生とよみうりランドに行くとのことでした。本当に楽しそう。

どの学生にどの病棟で実習させるかは、先生の采配です。
私は、「精神的にタフ」と思われたのでしょうかね?!
けっしてタフではありませんでしたが、閉鎖病棟に行かせる学生は思料したのではないでしょうか。

実習は、週5日全て現地ではなく、1日は学校でレポートのまとめなどを行います。
その時に同級生と情報交換したりします。そうすることでお互いの経験をシェアして深めていきます。

その学校に1日戻った日、お金を引き出しにATMに行った時のことです。
一瞬、ATMの操作が分からなくなり、

「あれ?これ、いつもと感覚が違う」
「操作はこれでいいんだっけ?」

ふだんではありえない感覚が襲いました。
その時に、実習の経験が与えている自分へのダメージがわかったのです。
日頃の何気ない行動に、「どうしてこれをやるんだっけ?」などと考えていました。

「やばい、やばい」と思った瞬間でした。


これは、都市伝説だと信じていますが、過去に精神病棟に実習に行った看護学生が自殺したという話を聞きました。そういう学生がいてもおかしくない、と自分も思いましたが。そのぐらい壮絶な体験でした。実家暮らしで、家に帰って、親に話をすることができたのも救いでした。一人暮らしだったら、、、また状況は変わっていたかもしれません。

そして2週間、無事に実習を終えたのでした。やれやれ。

今でも鮮明に覚えているということは、私のその後の人生にインパクトを与えた出来事でした。

現在は、入院患者の高齢化が問題になっているという記事も目にしたこともあります。
日常生活もままならない患者さんたちは、社会に受け皿がありません。

私の経験もさることながら、患者さん本人の立場で考えると胸が痛いです。

人生のほとんどを病棟で過ごすのです。毎日、繰り返し寸分違わない1日を。

人生で考えるとつらいですね。


現在は、状況は改善されていると思いますが、もっといい薬ができて、将来、もっと人間らしい生活ができることを祈っています。何かの機会があれば、自分も貢献したいです。

私にとっては、貴重な体験でした。「人間」とは何か?「人間らしさ」とは何か?など、深いことを考える機会になりました。経験させてくれた先生、ありがとう。

ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。


著者の奥山 景子さんに人生相談を申込む

著者の奥山 景子さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。