私が病院でもなく、保健所でもなく、会社に勤めたかった理由
私は、保健師、看護師です。
これらの資格をもっていると、病院、保健所、学校の養護教諭、企業など、様々な場所に勤めることができます。
私は、企業に勤めることにこだわりました。
なぜ、こだわったのかを書きたいと思います。
それは、父の影響です。
父は、以前にも書きましたが、親に言うのは申し訳ないのですが、不器用な人でした。
「営業」には、愛想が無いし、フリートークができないので、全く不向き。
「仕事」が嫌いな人。できれば、ラクしたい。残業しない。
「出世」に興味が無い。「野望」が無い。
と、サラリーマン適性の無い、もしくは、「万年平社員」の人でした。(← お父さん、ごめんなさいー)
母は、私が幼い頃から、しょっちゅう嘆いていました。グチが多かった。
結果的には、母が働くことになるのですが。
そんな父親を見て、私は思いました。
「会社ってどういうところなんだろう?」
「そんなにイヤなところなの?」
「そんなに働くってイヤなことなの?」
「出世って何?」
父親が働いている世界を見てみたかった、経験したかったのです。
病院や学校や保健所に勤めることは、ある意味、特殊です。
大半の人が働いている「会社」に、どんな世界か勤めてみたかったのです。
実際に勤めてみたところ、自分にはそれほどのアレルギー反応がありませんでした。
むしろタスクがあって、お給料がもらえて、楽しかったです。
「出世」に関しても、異動情報を見ることが楽しみで仕方ありませんでした。
長く見ていると、いわゆる「出世コース」というのもわかってきます。
そういう目で見ると本当に楽しかったです。
また私は、会社に勤めていた時、1つだけ昇級しました。結果的に。
一時期は、どうしたら昇級するのか、日々考えて、社外の管理職の人に相談もしていました。
昇級する「キモ」になる出来事もあったのですが(また書きます)、無事に昇級できました。
自分の仕事は、比較的、自由度が高く、それなりに裁量があったので、良かったのだと思います。
うつ病になったこともありましたが、全体を振り返ると、その時の仕事に意義を見出しながら、仕事をしていたので、楽しかったですし、やりがいもありました。
こうして、父が味わっていた会社生活を経験できたのでした。
父は、本当に不器用だったのだと思います。少しでも理解のある上司に出会えていたら、変わっていたのかな、とも思います。仕事の面ではツイていなかったですね。
最後に、父のことをフォローしておくと(笑)、父は「遊び」の天才でした。
何も無いと思うような場所でも「遊び」をつくれる人。これは天性だったと思います。
湖や川、海など水のあるところに行けば、ひょいと釣竿を出して釣りを始められる人でした。
生きていくには、「遊び心」も必要であり。
また不器用なゆえに、正直で、根っこは優しい人でした。純粋だったな。
亡き父の話です。
つい、父に思いをめぐらせてしまいました。
ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。
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