「理不尽」を楽しむ

この言葉は、以前、少しスピリチュアルの勉強をしていて(← 私は怪しくないです。)、東京のスピリチュアルカウンセラーとしては、とても有名な師匠に習いました。

その先生の予約はみっちりです。予約無しでは、まず入れないくらい人気です。

先生との出会いは、「たまたま」でした。
(私の人生には、「たまたま」が多いです。それが人生に大きく影響しています。)
自分の将来に悩んだことがあり、ふらっとパスポートを申請した時に立ち寄ったのでした。

先生の「見立て」は、当たっていました。
そうして、自分の悩みが少し解消したことを覚えています。

そして先生からは、「スピリチュアルカウンセラー」・「カウンセラー」になることを勧められました。適職だそうです。今の自分があるのは、先生の言葉も後押しになっています。


「理不尽」を楽しむ


なかなかできないことですよね。スピリチュアルな話になっていますが、自分の「魂」の試練は、前もって決められているそうです。

「この人に、どんな試練を与えるか?試練を与えることで、何に気づいて欲しいか?」

それを身をもって経験させるために、試練が訪れます。

「魂」を磨く訓練です。そうしていくことで、「魂」は、輝いていきます。

美輪明宏さんのお話にも「正負の法則」というのがあって、人生がいつも順風満帆なことはありません。その人の生涯で考えると最終的には、幸運も不幸も「プラマイゼロ」になるという話です。

こういったことから、若くして大成したり、大器晩成な人生があります。

「理不尽」を楽しむ というのは、「心の余裕」だと思います。器量とも言えます。

困難も楽しめる余裕があるか? ということ。


今までのことをふまえて、私の考え方はこうです。

「始めから試練が決まっているのなら、挑もう。この試練を超えたら、何か見えるはず。」


「神様は、その人が乗り越えられる試練しか与えない」ともいいます。

私は、今までに何度この言葉に救われたか。

「だったら超えてやろうじゃないの。」

という状態になります。

常に挑戦的なわけではありません。すごく落ち込むこともあります。

でも最終的に残るのは「チャレンジ」の精神です。


たぶん私は、今までの人生で「回避」の選択はしたことが無いと思っています。

火の中に自ら飛び込みます。火中の栗を拾いに行きます。

その繰り返しで、自分は成長してきたように思います。

何かを頼まれたら断らない。やってみる。

こんな経験も何度もしてきました。


「安泰」や「慎重さ」を求める人には、理解できない考え方かもしれません。

私は「リスク」のことは、あまり考えていないです。

「なるようになるさ」という感じです。

そして動く時は「動きながら」考えています。

動いていく間に、状況は刻一刻と変化していきます。

このタイミングで、「ベスト」な選択は何か?

この選択は、直感レベルです。瞬時に判断します。

「リスク」は考えず、その時のベストな選択をする。

こうして生きてきました。


友人からも言われることがありますが、私はいわゆる「ぶっとんだ行動」をします。

「いやー、私にはそれはできない。」

と、友人に言われます。

自分の人生なので、私は今の生き方が自分らしいと思っていますし、多くの挫折も経験しました。
それが「生き様」です。

いろんな困難を経験していく中で、「理不尽」を楽しめるように少しなった気がします。


「なぜ自分だけがつらいのか?」

と思うと本当につらくなってしまいます。過去の私も苦しみました。

でもその試練の先には、きっと何か「良いこと」があるはずです。

絶対あります。乗り越えた時には、違う景色が見えます。


私は、これからも自分を信じて、挑んでいく生き方をしていきます。

ここまで読んでくださった方、どうもありがとうございました。


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