人生に1年だけ存在した人~私と彼のたった1年のラブストーリー


「男はこわいよ」
「男は豹変するから 信用できないよ」
という、母のありがたい教えのせいで
私はガードもかたく大学生活を送っていました。

大学3年生の終わり、クラスメイトから
「パーティに参加してくれる人を探してるんだけど」
と、お願いされました。

ある学部のきちんとしたパーティだったと思います。
人数集めに困っていたので、友達と参加することにしました。

余りよく覚えていないけど、ちゃんとした会場で、先生もいらっしゃったような。
女の子の少ない学部だったので、呼ばれたんでしょうね。
そこで、私たちは学部の学生さんから、声をかけられました。

たまたま、私の友達と相手方のお一人が、山口の同じ高校出身で話が合って。
その人、すごく背が高くて 190cm近くあったんです。
あまりに背が高いから、私は
「アゴと鼻の穴しか みえませんね~」
って、冗談まじりで彼に言いました。

それが始まり。

私たちグループは、彼らの方に電話番号を渡して
一度、飲み会をしました。ま、合コンですね。
その後、私は 彼と連絡を取り合うようになり
はじめて会ってから約 1カ月後、つき合うようになりました。

同じ大学ですが、キャンパスが40kmくらい離れていたので
週末に 彼が車で私のところへ来る感じで会っていました。
彼は、私より3つ上の大学院生。
お互い大学生活最後の1年でした。
買い物に行ったり、車で遠出したり、友達カップルと会食したり。

私と彼は一人っ子どうしで、同じく一人っ子の女友達二人と
4人で鍋をしたり。
本当に本当に楽しく日々は過ぎていきました。

その年の年末、
私は帰省しませんでした。

たしか、彼が帰省しないと言っていたので
一緒にいたいな~と思ったから。

ちょうど、1月2日にお正月映画「タイタニック」が
封切られることになっていました。

 
映画が好きだった彼とレオ様が好きだった私。

 1月2日、公開初日に見に行きました。

私は、主人公ローズの生き方にものすごく共感を覚えました。

愛を誓ったジャックが、目の前で亡くなってしまい
失意のどん底で自分だけ助かったローズ。

彼女は、貴族階級で不自由な身でしたが、ジャックと出会い、
タイタニック号の上で
「こんなことがしてみたい」
「こんなふうに生きてみたい」
と、夢を語り合っていました。

彼女は、アメリカに降り立った後、すべての経歴をリセットして
かつてジャックと約束したことにすべて挑戦しました。

私が生き続ける限り
あなたは私の心の中で
生き続ける  という主題歌。

悲しみに暮れて時間が止まったまま過ごすのではなく
遺志を継いで自分が生きることで
彼はかたちを変えて生き続ける

私は、そんなローズの姿になぜだか、強く心を揺さぶられたんです。

映画「タイタニック」はロングランヒットをしていました。

2月下旬のある日、私は立ち寄ったショップでサウンドトラックCDを購入。

なんと彼も、同じ日、ほぼ同じ時間帯に同じCDを買っていたことがわかり。

すごい偶然だね~って、話しました。

お互いに就職も決まっていて、彼は東京へ。私は地元へ。
4月から 私たちは、はなればなれの生活になることがわかっていたから

3月になったらたくさん遊ぼう!って、約束していました。

私は卒論を終え、看護師の国家試験も終わり、
心身を休めるため実家へ帰省しました。

私は体調を崩し、発熱、リンパの腫れ、肝機能障害で
猛烈なだるさと悪性の病気を疑われるほど
つらい日々の中での卒論と国家試験でした。

ようやく体調が回復に転じ、しっかり休養するための帰省でした。

体を元に戻して、広島に戻って来たら、ずっと彼と一緒にいられる。

キャンパスが離れていて、すぐに会えない距離にいたから
「3月はずっと一緒にいよう、たくさん遊ぼう」
そう約束していました。

1週間ほど実家で過ごしました。

カレンダーが3月に変わり、明日広島に戻るという前の晩
私は夕食にエビフライを揚げていました。

明日から広島だ、彼はどうしているかな~

そんなことを考えながら、テンポよく揚げていました。

ふとした拍子で手に持っていた割りばしが
一本だけ落ちました。

箸が落ちていくところをゆっくりと見ながら
右足の上に落ちてきたので、何も考えずに箸をよけようと
足を後ろへはらいました。

箸が床に落ちた瞬間は、見ていません。

箸を拾おうとして、手が止まりました。


割りばしが、くの字に折れ曲がっていたんです。

 
ボキっと。

 
私が落としたのは、胸のあたりから。

箸はふんわりと落ちていきました。

それなのに、落ちた箸が、まるで手で折ったかのように
折れ曲がっていたんです。


「箸がこんなことになったよ」
母に言うと、
「あら、なにか考えてなかった?」
と聞いてきました。

 
「・・・なにも」

「そう、ならよかった」

わが家では、「何か」ある時
皿が割れるとか、何かがありえないような形で壊れるとか
そういう形で
「しらせ」がくることがありました。

だから、母はそう聞いたんです。

箸を取りかえて、私はエビフライを揚げつづけました。
ずっと後悔してました。

私は本当はあの時、彼のことを考えていた。
あのとき、「彼のことを考えていたよ」って言っていたら
そこで母と話していたら、
ちがう力がはたらいて、運命は違う方向に行ったのだろうかって。

次の日、3月5日(木)
私は高速バスに乗って、広島に戻りました。

帰ってきたことを彼に電話で連絡すると

「今日必ず行くから。遅くなっても絶対今日中に行くから」
彼はそう言ってきました。

私はまだ体が本調子じゃなくて、移動疲れもあったので
今日はゆっくりしたい、というのが本音でした。

でも、彼がかなり強い調子で言ったので、受け入れました。

学生時代の車は売り払っていたので、
彼は交通機関を乗り継いで20時くらいにきました。

それから一緒に過ごしました。

ゼミの打ち上げがあるので、次の日の朝には また帰らなければなりません。

こんなに急いで来なくても、来週、月曜になればゆっくり会えるのに・・・。
この時の彼はちょっと切羽つまった感じでした。


「月曜じゃ遅かった。今日じゃなきゃダメだった。

今日会わなきゃ、二度とお前に会えなくなる気がしてた。

どっか行っちゃうんじゃないかって気がして」


まじめな顔でこんなことを言われました。
私が体調不良の時、「死んじゃうんじゃないか」って心配をさせてしまってたので
そんなふうに感じたのかな。

その時は、そんなふうにしか考えられませんでした。

 翌朝、3月6日(金)、彼を近くの駅まで送っていきました。

この日が彼のゼミの修論の締め切り日で、
そのまま夕方から打ち上げをするとのことでした。

そこで大学関係のことがひと段落するので、
月曜からずっと一緒にいよう、って約束していました。

3日後には会えるから。

だからいつものように「バイバイ」って、それだけでお別れしました。

 

 

次の日の朝、電話の音で目が覚めました。

誰だろうと思って出ると、彼の友人でした。

電話番号なんて知らないはずだからビックリしました。

 

そして、声のトーンで、なにかただならぬものを感じました。

 「落ち着いて聞いてね。 ●●が・・・死んだ」

 

え? 死んだ??

 
死んだ、って何???

 
けがとか、 じゃなく??

 
いきなり 

死んだ、って何???

 

心臓が、早鳴りし始めます。

 
昨日の晩、ゼミの打ち上げをして二次会に向かう途中
乗っていた車が事故を起こしたのだと。

車には4人乗っていて、他の3人は軽傷だったけど
後部座席に乗っていた彼だけが、外に投げ出され
即死に近い状態で亡くなったのだと。


信じられませんでした。

 

一晩寝て 朝起きたら

彼が

もう、生きてないなんて。

もう、この世にいないなんて。

 
うそだ、うそだ、と思いながら、うそではありませんでした。

思えば、昨夜  23:30頃、寝ようとして本を手に取ったんです。
彼からもらった本。
パラパラとめくって、眠かったのでまた今度読もうと思って寝ました。

ちょうど、あの頃だったんだ。
なんで、寝てしまったんだろう。

さらに思い出しました。

ここ数日、立て続けに起きていた不思議なこと。

あれは「このこと」だったんだと気づいて、茫然としました。


彼の体はすでに病院を出て、お寺に移されているとのことでした。
お寺の場所がよくわからないけれど、じっとしていられなくて
とりあえず現地に向かおうと
すぐに準備して、黒っぽい服に着替えて
電車に乗って彼のキャンパスへ向かいました。

電車の中では、下を向いて泣きじゃくっていました。

駅に降りてお寺の場所がわからなかったので
電話帳で調べて大学のゼミに電話しました。

土曜日だったから、つながらなかったらどうしよう・・・・

そうなると、もう彼のいるお寺の場所を探し当てることができません。
電話はゼミにつながりました。
ゼミの後輩は私がかけてきたので、びっくりしてました。

彼の後輩たちは、彼女である私の連絡先が分からないので
どうしたものか考えていたところだったと、教えてくれました。

お寺は、駅から歩いて数分の所でした。
ウソであってほしいと思いながら歩きました。

それなのに
お寺の入口には、すでに名前が大きく張り出されていて
ああ、やっぱり本当だったんだと、崩れ落ちそうでした。


お寺には、大学の後輩や親戚の方が、集まっておられました。

ああ、うそじゃないんだ。

ゼミの知り合いの方が、中へ案内してくれました。

 
彼は、布団の上に横たわっていました。

 
彼と対面しました。

 
二度と開かない目、二度と動かない口
冷たい冷たいからだ

 
人ってこんなに冷たくなるんだ。

 

名前を呼んでも起きません。

話しかけてもなにも返ってきません。

手もすごく冷たかった。

 
もう二度とこの人と話ができないのか。
二度と抱きしめてもらえないのか。

こんなことってあるのか。

 

彼の出身は、山口県岩国でしたが、当時ご両親は
関東に住んでいらっしゃいました。

昨夜夜遅く知らせを受けて、今日の始発でこちらに向かっておられるのだとか。

いったいどんなお気持ちで一晩過ごし、こちらへ向かっておられるのか
考えるだけで、胸が締め付けられました。


会場で彼の知人と話しました。

朝、私に電話をくれた人です。


とても不思議なことが起こったんだと
話してくれました。


彼が事故に遭ったと連絡を受けて、知人の方は
私に知らせなきゃ、って思ったのだそうです。

けれども、連絡先が分からない。
今から25年も前の、携帯電話も普及していない時代のことです。
 
どうしよう、と思っている時
部屋の棚から紙が一枚、ひらっと落ちてきた、って。


それは、1年前、大学のパーティで会った時
交換していた連絡先の紙でした。

私たち友達3人の電話番号が書かれていた紙。


存在すら忘れていた1年も前のメモ書きが、目の前に落ちてきたのだとか。


それで、私に連絡を取ることができた、と教えてくれました。


4人乗りの車。卒業を控えた4人。
3人は軽傷で、彼だけが亡くなりました。
骨折を4人で山分けしてくれたら、どんなにかよかったのに。

全部一人で背負うなんて。
彼らしいな、と思いました。

 
昼過ぎ、一台のタクシーがついて、中からご夫婦が降りてこられました。

彼のご両親でした。


お母様が彼と対面された時の場面は、いまだに鮮明に覚えています。

ひとり息子。

彼はお母さんのことが大好きで、お父さんのことも尊敬していて
よく話を聞かせてくれました。

「いつか会わせたい」

そう言ってくれたご両親と、こんなふうに対面するなんてね。

取り乱さないよう声をしぼるようにして
泣いていらっしゃるお母様の背中を見て

私は、「この親不孝者!!はやく目を覚ましなよ」って
思っていました。



 3月8日はお葬式でした。

運命はなんてことするんだろう。

1年前の3月8日、彼と出会いました。


「はじめまして」と言った1年後の同じ日が
彼のお葬式でした。


私の人生に、たった1年だけ存在した人。

また、私自身も、
彼の25年の人生の最後の1年を共に過ごした存在、でした。


焼き場で待っている間、関係者の方たちと
いろいろお話をしました。

いろいろな方が彼の直近を語り、それを聞いていると

彼は、自分がこうなることを意識の深いところで
覚悟していたのではないか・・・

そんなふうに思わずにはいられないほどでした。

ご両親にめずらしく手紙を書き、感謝の気落ちを伝えていたこと
忙しい合間を縫って、私のところへ会いに来たこと

他の人間関係についても、後腐れないように清算をして

立つ鳥後を濁さず  そんな感じだったのです。


そして、私は人生で初めて「お骨を拾う」という体験を
恋人からさせてもらいました。

彼の人生にたった1年だけ存在した私は
いったい 彼にとって何だったのか
もう聞くことはできないけれど、

最後に過ごした時の、言動がすべてだったと思うことにしました。

彼が残した言葉やシンクロニシティに、
意味はあるのかもしれないしないのかもしれない。

ただ、なにか心の支えがないと崩れ落ちそうで
なるべくいい方に考えようと必死でした。

 
彼が亡くなって3週間後、
私は3年間お世話になったアパートを引き払って地元に戻りました。

就職は、地元の公立病院。


新築アパートの新しい部屋
彼が知らない部屋
彼が来たことない場所
彼のことを何も知らない人たち


彼との思い出がなにひとつない場所で
新社会人としての生活が始まりました。

そのことに救われることもあったけど
それ以上に
生活のなかに彼の面影を探そうにも

なにも  本当になにもないことが
むなしく、空虚感でいっぱいでした。


あれは、本当にあったことだったのかな
彼は本当に存在していたのかな

そんなことすら思いました。


彼のことを話した人に、
「後を追いたいという 気持ちはなかったの?」と
聞かれたことがあります。

不思議とありませんでした。

私は精いっぱい生きようと決めてました。

タイタニックの映画で、ジャックを失ったローズが
これまで生き方をすべて捨てて新天地で生きていく、
その生き方にすごく共感を覚えたように

彼が死んだから、なにもできなかった、
なんてことがないように。

いつか、私が死んで彼に会うとき
胸を張って
「あの後も、しっかり生きたよ」と言えるように、
恥ずかしくないように
精いっぱい生きようと心に誓ったんです。

生きている私が、人生をムダにしてはいけない。


彼からたくさんのものをもらった私が
前を向いてしっかり生きること。

そうすることで形を変えて続いていく。

そう思っていました。

 
というより、立ち止まった瞬間、
巨大なむなしさに飲み込まれそうになりそうで
それが怖くて怖くて
立ち止まらないように必死で動き続けてきたんです。


その意味では、看護師の仕事は恵まれていました。

あまりに忙しくて考えている暇なんかなかったから。


私の病棟は、高齢で脳機能障害の寝たきりの方が多い病棟でした。

看護度、介護度が高く、お亡くなりになる方も多く
同期にくらべ、私は看取りの場面によく当たりました。

そういう場面に当たることって、嫌がられることが多いですが
私は
全然嫌ではありませんでした。

むしろ

看取りの場面に立ち会わせてもらうことを、心の奥で求めていました。

 
灯りもわずかな深夜のいなか道で
彼は
3人の友人に看取られ、なすすべもなく
あっという間に亡くなっていきました。


道を通る車を止めては、携帯を持っていないか聞きながら
腕のなかでどんどん冷たくなっていって・・・


その場にいた彼の友人は、そんなふうに話してくれました。


看取ってあげられなかった
見届けてあげられなかった
ありがとうって伝えられなかった

その後悔は、ずっと消えなくて
私は患者さんの看取りを通して 、
彼の看取りを体験したかったんだと思います。


なんども なんども。


冷たくなられた肌に触れながら思い出したかった。

ああ、この感覚だった、って。

肌の温もりではなく冷たさ、

それが彼に関する最後の記憶だから。

忘れたくないし

ずっと 覚えておこうって。

 
そんな感じで自分の人生や命、生きること、生かされていることについて
深く考えるようになりました。


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