世の中愛されたい人多すぎ問題 ~「そういえば」戦法はコミュ力レベル1~
悶々と悩んではみたが、どうせ自分以外の誰かの目に映る機会があるのであれば物申してみたかったテーマが、
「世の中愛されたい人多すぎ問題」

愛されたい人と一概に語ってもビッグワードすぎて伝わらないと思うので、
日常でよくみられるワンシーンをピックアップしてこの問題をとらえてほしい。
***
自分の話を誰かに聞いてほしい人多すぎ。
自分の話をする前に、まず他人の話を受け入れる余裕を持てと物申したい。
相手もあなたと同じようにあなたに話を聞いてほしいと思っている。
それでも相手に話を聞いてほしいなら、
「ねえねえ、その続きは?」「それで、それで!?」
思わず話の続きを急かされるくらいの話術を持てと言いたい。
あなたが面白いと思う話を相手も面白いと思うかというと、微妙だぞ。
試しに、自分が話し終えた後に相手がその話の続きを催促するか否かを実験してみてはいかがだろうか。
10人に試してみれば、半分は
太郎「そういえば、俺、最近気になる子いるって言ったじゃん?」
と、「太郎君俺の話聞いてた?」と疑問に思いたくなる「そういえば」を使って自分の話題に切り替える層がいる。
でもそれは仕方がない。
太郎君はあなたの話よりも自分の話を聞いてもらいたい。
あなたを「すげーじゃん」と称賛せず、自分に「すげーじゃん」と言ってほしい。
あなたを愛したい気持ちより、あなたに愛して欲しい気持ちに負けてしまった。
あなたは一概に太郎君を責められない。
あなたは太郎君の親友でもない。
さらに、太郎君の気になる子が自分の意中の人でもない。
その上、太郎君との共通の友人に話題を売るほど情報に価値もない。
さて、あなたはいつ終わるかも分からない惚気話に自分の寿命を5分10分と捧げられるだろうか。
あなた自身も、「そういえば、俺も気になる子いるんだよね」と「そういえば戦法」であたかも太郎君の話の延長線上を行くかのように、太郎君とはもはや1ミリも関係のない話を展開するだろう。
ここで私が注視したいのは、
あなたが「そういえば」とやり返したことで、やり切れないやきもきした思いをした太郎君は、ふたたび「そういえば」とほぼ同じ話題を盛り返す可能性がおおいにある事だ。
それすごく不燃費じゃない?合理性に欠かない?
お互いが「なんでこいつ俺の話最後まで聞かねーんだよ」と思いながら(実際はボール=会話の主導権を奪われたことにも気が付かず奪い合うだけ)結局大して相手から反応を得られないのだ。
ボールを持っていれば注目を得られる。
しかし、そのボールを手放してもいいと思えるだけの信頼を、あなたは得ることもできるのだ。
執着を手放す勇気、そして相手へ自分を委ねる行為、私はそれが愛だと思う。
世の中には、自分だけがボ―ルを握っていたい人が多すぎるのだ。
ボールを譲る心の余裕がないのは、「ボールを奪われてしまう」という焦燥感から、つまり相手もまた余裕がないことを悟っているからだ。見て見ぬふりをしているのだ。
ボールを手放すのは怖い。
しかし、ボールは自分だけが持っていても意味がない。
ボールを相手に委ねる勇気を持てる人が少なすぎる。
今自分がボールを握っていると意識ができたら、
まずは相手にボールを委ねてくれた感謝をしよう。
そして、次は相手にボールを委ねてみないだろうか。
きっと、あなたが信じればボールはもう一度戻ってくるはずだ。
***
余談だが、私は23年間生きてきたうちの20年、ボールを持つ機会があまりなかった。要するに相手に関心を持ってもらえなかった。
私のように他人に関心を持たれないと、いかにしてボールを奪いとれるかという点においてずる賢くなってしまうのだが、
さて、奪い取れても奪い返されてしまうのがこの世の中だ。
私は、無関心・無頓着であることにした。
他人に興味を持たないことを引き換えに、自分に興味を持ってもらおうとすることをやめた。
そうするとボールの奪い合いを側から見ている側になるので、面白味はあるが愛からは逃げている。
他人との境界線を引くことで楽が得られることを学んでしまった。
他人を愛するのは根気がいることだ。疲れるのだ。
ここで、これまで積み重ねた愛だのボールだのを根底から覆す話をする。
そもそもの話、私たちは他人を愛する義理はない。また、愛される義理もない。
愛は強要されるものではない。愛したいから愛すのだし、愛されたいから愛されたいのだ。
しかし、それならばなぜこの投稿のテーマに「愛」を扱ったのか。
はじめに戻るが、世の中には愛されたい人が多すぎる。
これは次回の投稿で扱うテーマになるが、人は自分の恐怖、いうなれば人生の課題に打ち勝つためには「愛」が必要になる。
だからこそ、人は愛を求めている。他人から横取りしてまでもだ。
他人を愛せるし、愛されていることを実感している人間は強い。
これは、人類全体が発展する上で非常に大切な行程なんだけれども、果てしなく非効率的なので、
もう少し一人一人が他人に対して愛を分かち合える余裕を持てるようになったらいいなと思っている。
私自身が愛から逃げている理由を含めて、次回への伏線としたい。
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