ヘリコプターで帰って来い!

ヘリコプターで帰って来なさい!!

電話に出た母が第一声に、静かに、しかししっかりした口調で言った。

私は目が点になった。

今からならヘリコプターで成田から羽田に行き、羽田から大分空港、大分空港からホバークラフトに乗れば間に合うから!と。

でも私は母の命令に従わなかった。

だけど、もしあの時言うことを聞いていたら全く別の人生になっていたのではないか、と思う。

母の命令に従わなかった私は、間に合わなかった。

アメリカのインディアナポリスの空港で預けた私の荷物は、シカゴ、成田経由で福岡空港に到着するようになっていた。
渡米して初めて私が降りたったブルーミントンの飛行場は9ヶ月の滞在中に閉鎖になり、帰国する時は車で何時間もかかるインディアナポリスまで行かなければならなかった。


太平洋を渡っている時、

成田に着いた時、



祖母は死んでしまっていた。

もうおばあちゃんに私の顔を見せる事は出来ない。なら急いで切符の手配や変更をしてもしょうがない。既に預けてしまっている荷物は福岡に向かっている。
成田空港で別府の母にかけた電話を切った後、必死になって乗り継ぎを調べてくれていた母の気持ちを理解出来ず、ヘリコプターの切符を買う手配もせず、あらかじめ買っていた福岡行きの飛行機に乗った。


今なら当たり前のメールや携帯は存在せず、当時の連絡方法は、空港や道にある電話機に10円と100円玉を入れて電話番号を押す。家にある電話が鳴り相手が受話器を取ると会話が出来るが、距離や時間によって電話料金が異なり、投入したお金が底をつくと勝ってに切れてしまう一方的な公衆電話が普通だった。

小銭が切れると同時に会話も終わる。まして、千葉県の成田空港。会話をしながらチャリンチャリンとお金が落ちる。若しくは、テレフォンカードというプリペイドカードを入れても遠距離ではすぐに1000円など切れてしまう。

私の勝手な判断で母をどんなに待たせたことか。

福岡空港から博多、北九州経由で日豊線の急行電車で別府の実家にたどり着いたのは夜中だった。






実家に帰り着いた時、祖母は小さな骨壷の中に収まっていた。

続く




























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