女の子の幸せはお嫁さん〜ナナロク世代〜
そんな理不尽な理由の借金は全て私の妻としての器量不足。
そう言いながらも、肝心の暮らしができなくなる。
家賃39000円の安アパートでも限界はある。
本業以外に副業を持った夫。
切り詰めた生活費のやりくりで何とか日々暮らす。
保育所に預けるにも空きはないので私は娘を育てる事が仕事。
知らない町で、乳幼児期の子育てを一人で何とか乗り越えられたのは
「保育士」としての経験と言うのが皮肉だったが。
「イクメン」何の事でしょう?
「24時間子育て」で母親には休みがないのは当然。
たまのお休みの息抜きも、夫は副業でいない。
考えてみたら、二十代半ばの色んな可能性のあった年齢の頃
私は、ひたすらに毎日の生活「生きる事」に追われていた。
1000万円返済。
返したと同時に離婚届を突きつけた。
「もう、二度と私の目の前に現れるな」とシングルマザーの道を選んだ。
粘着質な夫がストーカーになりうるのを懸念して
慰謝料も、養育費もいらないから
とにかく、一生、顔を見たくない事が何よりの願いだった。
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シングルマザーの道を選び、
幸運な事に実家に住む事ができた私と娘。
しかし、満足な貯金もない。
「ご両親と同居なら保育園は無理」と役所で突き放される。
娘が幼稚園に行っている短い時間に稼ぎたい。
実父母も、その当時は仕事を持っていたものの
定年退職までは、そう長い期間はない。
何の因果なのか、
私は、昼間だけ働く事のできる風俗店に足を踏み入れた。
別れた夫が、1000万円も使いたくなる風俗店とは
どんなに魅力のあるものなのか。
10時に出勤し15時には退勤できるシフト。
90分20000円
そのうち60%から70%が私の手取りとなる。
何も分からなかった乳幼児期を過ぎて
お金の価値がわかってくる娘に
金銭的な苦労は絶対にかけたくないと思った。
欲しい物は何でも買ってあげられる
習いたい事は何でもさせてあげられる
そんな余裕が欲しかった。
実父母には、未だに知られていない。
若さ故に、無茶もできたし稼ぐ事もできた。
馴染みのお客様もついて通ってくれた。
「再婚しよう」と言ってくれる人もいた。
お金はたくさん手に入れた。
しかし、それと同じ位の満たされない罪悪感。
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共同経営ながらも自分で店を持ち経営にも回った。
関西から男性店長を呼び、
その土地で商売をするにあたって不都合がないように
予めの策も打ち、経営に専念できるように配慮した結果。
私の手腕が活かせるよう段取りを組んだ。
社交(女性従業員)を集め、一円でも多く稼げるように。
女同士腹をわって様々な話もした。
女同士色んな事情も知った。
女同士助け合い時には救いの手も差し伸べた。
それぞれが、何らかの「訳あり」で
それでも、「生きる」為に
‘女’を武器にして働く。
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「お嫁さんになる事が幸せ」という女性のへの認識。
「お嫁さんになりで‘逞しくなる事’を強いられる現実」
「お嫁さんになった母親から生まれてきた子ども...
お嫁さん=良い母親になれる事とはイコールではない現実」
幼い頃から、それを悟り知り成長した先には、
「自らの力で自立する」事を早くから考え、
「男の人に頼る」という選択肢は、後から
‘付随するかもしれない’期待を持たない曖昧なもの。
「お嫁さんになるの意味が理解できず
自分の身を守るものは‘お金’しかない現実」
その為に、手っ取り早いのは‘女’を武器にする事。
とりまく環境は様々だったけれど、
「お客様と過ごすその時間を、その人なりの精一杯のサービスをして
対価に見合ったお金を貰って帰る」
心と心でどんなに語り合っても結局は「お金」
その日が、その子に会う最後の日になる事もないとは言えない。
一通り稼いで気がついたら男性店長もどこかに消えていた。
気持ちの赴くまま、今、進もうと思う道へ誘われていく。
お金を稼ぐ方法なんていくらでもある。
「元気で生きていてくれたらいい」そんな世界。
そんな中でも、私を「結婚式」に呼んでくれて
その道から足を洗った人もいた。
「子どもも授かり、小さな小料理屋を経営して幸せにしている」
と、便りがきたのも数年で、今は店を畳んでどうしているだろう。
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