女の子の幸せはお嫁さん〜ナナロク世代〜

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深追いはしない。

結婚のように「一生を添い遂げる」という種の仕事ではなかったから。

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風俗時代、あるキッカケで出会った男性とは
娘が5歳の頃に出会った。

彼には妻がいたが、結婚後、「統合失調症」発症し救急車で運ばれ
一緒には暮らせる状況になかった。

私が、経営をしている間も
自らの仕事の片手間に手伝ってくれていた。

紙切れこそ出さなかったものの、
出会った時から娘と一緒だったので
「事実婚」状態であった。

その後、妻と別れ、私と直ぐに再婚する選択肢もあった。
子どもが嫌いで一人しか生んでいない訳ではない私は
まだ、子どもが欲しいと思えて、産む事も出来る年齢だった。

しかし、それが上手く進まなかったのは、
初婚の時に受けたDVからくる精神的な不安定さ。

彼の別れた妻の家は、お金には困らない地主の富豪。
別居中だった夫のお見舞いは拒否し、
妻の父親が急に亡くなった原因が自殺だと聞かされず、
夫としての役割を三年以上も奪っていたのに...
「妻はもう再婚はできないから、できる限りのお金を貰おう」と、
探偵をつけて素行調査をしていた。
そこに出てきたのが私。風俗の女。事実婚。
慰謝料として大きな金額を請求してきた事。

彼の父(義父)も、その一件で私の職業を知る事になる。
そうなると一筋縄では「再婚」は認められない状況だった事。

「お嫁さんになれば幸せになれる」事は
とっくに夢物語で、そんなに甘いものではないと悟ってはいた。

だから、結婚に執着するつもりもなかった。

だんだん、そんな流れの中、
娘が職業の意味をわかりつつある年齢に達してきていた。
景気や、私も三十代を超えて自然と風俗からは身を引いた。

なんの苦労もなく大人になった私が
踏み入れる事はないと思っていたその世界は、
案外、すぐ側の手の届く場所にあった。

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娘も小学生になっていたので保育士に戻った。

私自身は、一人しか子どもを産めなかったが
保育園ではたくさんの子ども達が待っていてくれる。

実際に、自分で子どもを持ってみて保育観も変わり
何より、余裕を持って接する事が出来るようになった。

毎日、保護者にお渡しする「お便り帳」も
乳幼児期の一年を通してやりとりしていく中で
ただ「伝達」のツールとし手ではなく、
その時の悩みや、考え、出来事...何でも伝えて下さるようになり
心からの信頼関係を築けた事は、
この仕事でしか達成する事のできない喜びだった。

上司とも上手くつきあう術も、新卒時代のように肩肘張らず
心地よい疲れが、充実した毎日だった。

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保育士という世間体を手にした私は、
彼の父親からも、ようやく再婚を進められるようになった。

しかし、「すぐにでも!」と思えない事情も迫っていた。

「起立性調節障害」で娘が、朝起きられず毎日遅刻の日々。

学校からの電話。
保育園には事情を伝え送り届ける毎日。

「お嫁さん神話」が脳裏に残る実父母に頼る事はできず

だんだん、担任を持って保育士の仕事を続ける事が厳しい状況になった。

彼の父親は「お嫁さんなんだから働かなくていい、専業主婦になればいい」と
おっしゃって下さった。

そこを素直に受け入れられれば良いのだが
血の繋がらない娘の教育費などを出してもらう事が
私にはどうしても考えられなかった。

加えて「血の繋がったお世継ぎも産んで欲しい」と。

その頃には、付き合い始め長くなっていた。
いつ子どもができても良いと思ってはいたので避妊はしていなかったが
一向に妊娠する気配はみられないという懸念もあった。

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「まずは、現状出来る事」

私は、保育園を辞めた。
娘の小・中・高 とことん「起立性調節障害」に付き合った。

結果、「紙切れ一枚」と思っていた再婚をした

3人の暮らしは、ごくごく自然だった。
一緒にお風呂に入るような年頃から一緒に過ごしてきたのだ。
血の繋がった父親なんかより、ずっと本当の父親になっていた。

しかし「紙切れ一枚」が増える事に寄って
お互いに家族が増える、
色んな考えの人と付き合う、
不自然な物を自然としようと皆が皆努力した。

子どもも欲しいと思った。

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