女の子の幸せはお嫁さん〜ナナロク世代〜

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時は流れて、今から産む事は高齢出産。
母体としての状況を調べて貰うと
「大きな子宮筋腫 数個」
「卵巣の腫れ (現状は良性)」が見つかった。

彼にも子どもが欲しい意思があるのならば
カラダを調べて欲しかったが頑なに拒んだ。
私の勘ではあるが、
よくない結果である事をすでに知っているようだった。

40歳の誕生日を迎えようとする時、
彼の父親から
「血の繋がったお世継ぎが産めないのなら別れて欲しい」と
手切れ金100万円と、離婚を促された。
娘の高校受験の真っ只中。

彼は父親に口答えをしない。
ADHDで個性的な性格の彼には
時々、私の本当の気持ちを察する事ができない。

口には出さなかったが
彼は父親と会うたび
「お世継ぎはまだか」と
ノイローゼになる程言われて
疲れてしまっているようでもあった。

もう、これ以上、彼のそんな顔は見たくない。
二度目の「お嫁さん」も、私には幸せなものではなかった。

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あれから三年

フリーランスで仕事をし、なんとか18歳まで娘は育った。

彼とは紙切れ上では別れたものの「事実婚」は続いている。

‘女’であった事で私は母親になれた。
‘女’であった事で効率的稼ぐ事もできた。
‘女’でなくては経験しない心の移り変わりも感じた。

もしも…という言葉は好きではないが、
今の時代に若い頃を過ごしたらどんな人生になっていたか。
躍起になって「お嫁さん」という形にはハマらなかったであろう事は察する。

「いってらっしゃい」
「おかえりなさい」
子どもや、夫の帰りをまな板を叩きながら待つ母親にはなれなかった。

そのかわり「運」なのか「さだめ」なのか
仕事に溢れた事がないのは良かったけれど。

娘が、この先自立して、両親の介護も考える年齢になり
新たなステージに経ち
気がついたら自分もお婆さんになっているのだろう。

添い遂げる苦労をしていないのだから
添い遂げる相手を求めるなんて虫が良すぎる。

「お嫁さん」になる事は、最期の時一人にならないための保証みたいなものなのか。
皆、その保証の為に「お嫁さん」になって「幸せ」と感じるのか。

「‘女’らしさ」という言葉は好きだけど
「‘女’だから」という言葉が私は大嫌い

「‘女’だから」が通用しない時、女であっても‘男’になる現実を知ってしまったから。

くわばら、くわばら







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