デブの鈴木と、禿げの鈴木


神さまは、時折とっても
ユーモラスな選択肢をくれる。
私が「自分の人生をどう選ぶか」
まるでそれを試すみたいに。

結婚8年目になる夫との出会いが
まさにそんな感じだった。
当時30才の私は恋愛がいつも
うまくいかずにいた。


出会いの場に「一流企業」や「パイロット」
「有名ブランドのバイヤー」なんて
名乗る男性がいたらそれだけでときめいていた。

なのに、実戦は笑っちゃうほどに
めっぽう弱くて、恋に恋焦がれているけれど、
30代にもなって大した恋愛もできずにいた。

心の開き方も分からなかったし、
何より相手を見る目がなかった。

仕事もどこか似たようなもんだった。


失敗にすらカウントできない、
そんな恋愛の失敗パターンを
こなしていく中で気づいたことがあった。

「私は、恋愛やその相手に、
 自分の足りない何かを
 埋めてもらおうとしてたんだ」


今じゃ、いたるところで聞かれ、
手あかにまみれたこのフレーズだけど、
当時の私にとっては急転直下でひらめいた、
世紀の大発明みたいな気づきだった。

そのスタンスじゃ
うまくいくわけないよな・・・


ーー


で、私は「決意」した。

「私は”自分の手”で幸せになる。
 男性をスペックでなく、
 ”未来の幸せを一緒に歩む姿”が
 イメージできる人を選ぼう。」


そう決めたら
ふぅっと力が抜けた。

すると、私の見る世界がまるで
舞台の回転装置のように
ギシリギシリと回り始めた。

まずは、仕事や私生活から
変化の兆しが見え始めた。

仕事では、自分で打ち立てた企画が
得意先に採用され、数社をまたいだ
コラボレーションとなり、新聞にも載った。

当時始めたばかりの茶道に夢中になり、
実家の祖母の着物をあさり、一人で
着付けをしてお出かけできるようになった。

社会人になって10年、
「絶調期」だった。

恋愛以外は・・・


そして、タイトルにもある話である。


ある日、仕事の外回りで
山手線の高田馬場を通過中、
友人からメールが届いた。

「紹介したい男性が
 2人いるんだけど、
 どちらの人を紹介してもらいたい?」


よく聞けば、
デブの鈴木さんと禿げの鈴木さんの
どちらかを紹介するので、
選んでほしいという。

メールの文面はもっと単刀直入で
「デブと禿げのどちらかを選べ」
そんな内容だった。


友人から送られてきた
どちらの鈴木さんにもかなり失礼なメールに
私は山手線の車内で肩を震わせ、身悶え、
笑いをこらえた。

同時に、突然に予告もなく突き付けられた
究極な選択(デブor禿げ)に頭を悩ませた。

デブも禿げも、その言葉の響きでは
正直全く心は惹かれない。でも、私には
その両方を断ることはできなかった。

だって・・友人が示してくれた問いは、
「自分にとっての幸せで選ぶ」と
決意した私に対する、
神さまからの挑戦状のように思えたから。

さらに、友人が選んでくれた二人は
(私も実はその二人を少し知っていて)
お二人とも誰もが認める「本当にいい人」
だったから。

どっちを選んでも「鈴木」だし、
どっちを選んでも「いい人」だし、
違いはただひとつ「デブと禿げ」、
ジョークのような選択を私は真剣に悩んだ。

「あっちの生き方は辞めて
 こっちの生き方だよな」そんな
ファイナルアンサーを求められた気分だった。





結局、私はデブの鈴木さんを選んだ。

初デートで、美術館のウィンドウから
ほのかに香った”半渇きの雑巾の匂い”に、
同じ瞬間に顔を見合わせて笑い、この人と
一緒になるかもしれないなと思った。

そして「鈴木深雪」となった。
結婚して8年。彼そっくりの息子は5才になった。

夫は相変わらずデブで、私の目を盗んで時々
アイスの残骸がゴミ箱に捨てられているのも
散見するけれど、やっぱり控えめにいっても
幸せだと思う。





友人からきた「デブと禿げ」の
二択メールが思わぬ形で
私の人生を変えてくれた。


神さまが与えてくれたユーモラスな選択は、
私に人生の「究極の楽しみ方」を教えてくれた。

人生において日々打ち続ける「点」、
そのどの点がその後の人生にどう現れるかなど、
当たり前ながら私たちは知る由もない。

だけど、私たちは毎日自分の選択を信じ、
何かしらの点を打ち続ける。

打ち続ける点がどう線になるか、
その行先は見えないし、予定調和もない。

だからこそ、だからこそ
人生は面白いのだということを。

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