逆ビリギャルの逆襲〜ゼロからつくる肩書き

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人ってそんなに強くない。

だけど、高校の時の友達が、有名大学に進学して、
有名企業に就職して、夢を叶えていく姿を見るたびに
悔しくなった。

自分の強みなんて、まったく思い当たらないけれど、
いっそのこと馬鹿になって
武器はきっと他にある、と根拠なく信じて探すことにしました。

歌は下手でカラオケじゃタンバリン担当。
運動は跳び箱も飛べない運動オンチ、
せめて勉強くらいは、、、と思っていたものができないなら
さて、私の好きなことはなんだろう。
できることはなんだろう。


ここから、
『やりたいこと(=武器)探し』の長い旅が始まりました。


とにかく経験、行動

わからないから、とりあえずなんでもやる。
アルバイトを含め、20以上の仕事をしました。

マクドナルド
寿司屋
携帯の販売員
居酒屋
ガールズバー
スーパーのレジ



営業
フォトグラファー
オウンドメディアの運用
モデル
エキストラ
ライター
インタビュアー
バイヤー
HP制作ディレクション
イラスト・デザイン
会社設立


とにかくなんでもやってみる。
やるっきゃない、ただ一身でした。

営業職は人材広告の営業。
飛び込み営業や電話営業をする
割と泥臭い仕事。

同期が多い会社で、先輩にも恵まれ、それなりに楽しい每日を送りました。
でも、かなりの体力仕事で、
その時もまだ完全に体調が復活しておらず
週5日稼働が難しい。(心配されたくないので、隠し通す)
しかし、ノルマは皆と一緒(当たり前ですが)
そもそもやりたい仕事なのか、と考えると、やりたいことではありませんでした。



写真を撮ることは、昔から好きでした。
旅行はもちろん、日常の何気ない空や道や人、シャッターをきっているだけで、
楽しかったし、写真を友達に褒めてもらうことも多くありました。
よし、フォトグラファーならやりたいことだ、と
なけなしのお金を払って、カメラを購入しました。
本体2台とレンズ3つ。
なかなか良いお値段しましたが、機材がないと始まりません。
かわいいお洋服も旅行に行くお金も我慢して、カメラに資金をまわしました。
「無料で撮影します!」とSNSで告知して、集まった女の子を撮らせていただき、
ポートフォリオ作成→企業に売り込む
をひたすら繰り返しました。
実力はやりながらつける。フォトグラファーの知り合いにいろいろ聞いて学びながら、
なんとかフォトグラファーとして、やっとこさ食べていけるようになりました。


実際にやってみてると、現実と理想は違うもの。
ぶち当たった壁は2つ。
その道のプロを目指すなら相当な覚悟が必要ですし、
専門職だからこそ、技術により、仕事の領域の差がとてつもなく大きい。
なんとか踏ん張って、ギリギリ食べていける程度にはなれても、CMや広告、雑誌のフォトグラファーとなると、プロのアシスタントに数年就いたり、カメラの専門学校を卒業していたりする人には叶わない。
このままフォトグラファーとして働いて、収入が増える見込みは正直相当低い、と感じました。

更に、フォトグラファーは体力仕事。フルボディのカメラを1台持っても十分重たいですが、撮影につき2台持つのは必須。さらに三脚やレフ板、レンズなどを持つと、スーツケースが必要な大荷物です。フォトグラファーを始めた時は20代半ばでしたが、毎週整体に通っても肩こりと頭痛がひどく、体力的に、この先結婚や子育てをして続けられるか?と言われたら、疑問を感じました。




悩みに悩み、オウンドメディア運用も始めました。
自宅で作業できる仕事なら、今後結婚や出産をしても、自分のライフスタイルに合った仕事ができます。wordpressを使って、地域の情報を発信していきました。


仕事としては「好き」だし「ライフスタイルにも合っている」。
しかし、こちらは時間をかけても「マネタイズ」するまでに時間がかかりました。見切り発車で行動して、後からマネタイズを考えても、かける工数、予算に限りがあったその当時、軌道修正が効かなくなりました。「好き」だけでは仕事として成り立たないということを学びました。



自分らしくない肩書き

こうしてやりたいことが見つからぬまま、20代後半突入。いよいよ周りの女友達は、結婚をする人が現れ、収入が徐々に増え始めます。


やりたいことがわからないまま、焦りを感じる日々の中で、蒔いた種のひとつがSNSでした。
当時、家庭の事情で理由あって、神奈川県のはずれに住んでいました。
最寄りの駅までバスで20分というアクセスで、都内に出ると往復3時間半。
自宅から徒歩圏内にあるのは、スーパーとコンビニと、何故かGU。

暇をもてあました私は、每日のコーデをSNSに投稿することにしました。
正直、投稿していたコーデは、「普通」で、特別オシャレでもなんでもなかったのですが、
気がつくと、時代の波もあって、あっという間にフォロワーが増えました。
あれよあれよとフォロワーが1万人を超え、次第にインフルエンサーとしてのPRの仕事の依頼が来るようになりました。

やりたいことがずっとわからなかった私に、光が差した気がしました。なにも肩書きなんてないと思っていたけれど、これはもしかしたら、自信をもてる肩書きかもしれない、と。


インスタグラマーという仕事を少し頑張ってみようとしたのです。

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