0歳で脱毛症になった娘
ただ。
彼女は私がどんなに周囲との壁を作って引き籠ろうとも、髪のない姿を見られるのが嫌で「お願いだから帽子をかぶって!」と追いかけ回しても、決して変わることなく「自分の意志」を貫き通してきました。
そうなんです。
娘はどんどん髪が抜けていっても、ウィッグや帽子で隠す事を全力で拒否しました。
理由は「だって嫌だから。」
「誰かにからかわれたらどうすんだよ〜」
「君が傷つく姿なんて見たくないよ〜」
そうジタバタする私なんぞ構うことなく、「だって嫌だから。」という超絶シンプルな一言を残し、保育園も小学校もNOウィッグ・NO帽子で過ごしています。
彼女はおそらく気づいていたんだと思います。
私がいちばん恐れていたのは娘が誰かにハゲをからかわれ傷ついて帰ってくる事ではなく、傷ついた娘とどう接したら良いのかわからない事なのだ、ということに。
私には自信がなかったんです。
傷ついた娘をフォローできるのか。ちゃんと守ってやれるのか。
そして本当は何よりも、自分が傷つきたくなかったんです。
傷ついた娘を見る事で、私自身が傷つくことが怖かった。
そんな自分の弱さを見透かされてる感、半端なかったです。
相手は年端もいかない子供じゃないかと思ったら大間違い。確実にバレてます。
こわっ・・・・と思うと同時に、そんなわが子を誇らしく思いました。
すげーな、と。
ちなみに娘の事をからかったりいじめたりした子は今まで一人もいません。
やっぱすげーな。
しかしそんな鋼鉄メンタルのわが娘でも、一度だけ思いっきり号泣したことがあります。
わたしがいちばんつらいのは
それは娘が6歳の時、今から2年前の話です。
時は3月。
来月には小学校の入学式を控えているという状況でした。
その当時、娘の髪は良い感じに生え揃ってきており、「このまま完治するんじゃないか・・・?」という期待感でいっぱいでした。
もちろん眉毛もまつ毛も鼻毛も復活。私だけでなく、誰もが「もう大丈夫なんじゃない?」と感じていたはずです。
しかしあっけなく再発。
またしても耳の後ろに、小指の先ほどの小さな脱毛を見つけたのです。
「小学校までには何とか治してやりたい」というひそかな目標が無残に打ち砕かれ、私はその場で泣き叫びました。
なんでよ!!
やっとここまで来たのに!!なんでまた抜けるのよ!!!!!
それも、娘の見ている前で。
「こんなこと絶対だめだ、優芽が見ているじゃないか」
頭ではわかっていても、もうどうにも止める事ができませんでした。
そんな私の姿を見て、娘も大声でわあわあ泣き始めました。
私は慌てて娘を抱きしめ、「ごめんね。こんな病気に生んで。髪の毛ないの辛いよね。」と泣きながら語りかけました。
その言葉を聞いた娘は私の腕を力いっぱい振りほどき、
そうじゃない!わたしがいちばん辛いのはママがそうやって泣くことなんだよ!!
そう叫んだのです。
娘のその言葉は、私の頭に鈍器で思いきり殴りつけたような衝撃を与えました。
ああ、私はなんにもわかっていなかった。
6年もこの子の母親をしてきたのに、この子の心の叫びにまるで気づいていなかった。
娘にとって何よりも辛いのは、髪がない事じゃなく誰かにからかわれる事でもない。
「私が泣くこと」
ただそれだけだったのです。
それから
あの慟哭の日から、早や2年が過ぎました。
8歳になった娘は相も変わらずNOウィッグ・NO帽子で毎朝学校へ行っています。
脱毛の方も生えては抜けを繰り返し、完治には至っておりません。
それでも毎日楽しそうです。
私はというと、娘と同じ髪の毛の病気をもつ子供さんやそのご家族の手助けになれればと思い、啓蒙活動や医療用ウィッグの開発・販売事業を始めたりしています。
もちろん、あれ以来一度も娘の前で泣いたことはありません。
今いちばん大切にしているのは、とにかくかけがえのない「今」をいかに楽しく幸せに過ごすか。
そこに髪のある・なしはほとんど影響していません。
だからあなたも、細かいこと気にしないで楽しく生きてこーよ!!
・・・とは言いません。
この記事には誰かに何かを教えたい!とか励ましたい!とか、そんなたいそうな意図はありません。
ただただうちの子すごくない?っていう事が言いたいだけです。
でももし、読んで下さった事でなにかを感じていただけたなら、こんなに嬉しいことはありません。
そしてもし、あなたに辛い事や悲しい事があったときには、髪はないけどNOウィッグ・NO帽子で学校へ向かって歩く女の子の姿を思い浮かべて頂けたら幸いでございます。
お読みいただきありがとうございました。
新井 舞
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