「なんくるないさ」は「なんとかなる」という意味ではないらしい【夫婦力アップ論・エッセイ】
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私は
「なんとかなるから大丈夫」
と平気で言っちゃう人を、とてもじゃないけど信用できない。
私はひねくれ者で人付き合いが上手ではないので、苦手な人も多いんだけど、なかでもこの言葉を口にする人だけは瞬時に信用できないと判断してしまう。
先日ある集まりで、子供を今持つべきか、少し待ってから持つべきかと悩んでいる女性と話した。彼女は自ら事業を営む経営者で40歳目前。一方彼女の夫は、2つ年下のサラリーマンで、すごく優しいけれど少し頼りないタイプだという。年齢のこと、仕事のこと、家庭の経済状況を考えて、子供をいつ持つべきかと真剣に考えている彼女に対し、夫はなんだか実感がないようで、真面目に話し合おうとしてもなかなか確かな答えをもらえないのだという。
同席していた初老の男性が「産んだらなんとかなるから大丈夫」と言い出した。
彼は言った。
「僕は、働き始めてすぐに結婚して子供も持ったが、なんとかなった。なんとかなるもんだよ」
彼女は返した。
「でも、そう楽観的には考えられない。なんとかならなかったときが怖いんです」
それでも彼は続けた。
「いや、なんとかなる。僕だってなんとかなった。僕らの時代は今よりもっと不便だったが、今は便利だ。なんとかなる。
結婚してからはとにかく夢中で、あっというまに人生が過ぎた。あんまり覚えていないよ、その頃のこと(笑)気づけば子供が大きくなっていた。子供は勝手に育つ。だからなんとかなるんだ。離婚した妻も言っていた、『20代30代のことは覚えていないほどだった』と」
突っ込みどころはたくさんあるが今は一旦置いておいて私の話に耳を傾けてほしい。
「なんとかなる」
という言葉ほど無神経なことはないと思うのだ。
「なんとかなる」という言葉は、なんとかなった人の結果論でしかないし、なんとかならないかもしれないという不安を持つ本人でないから言えるのだと思う。
加えていうなら、「なんとかなる」に自分の経験をプラスして話す人ほど無責任なものはない。本人はなんとかなったかもしれないが、自分以外の人も「なんとかなる」保証はどこにもない。たとえ世の中の大勢の人が「なんとかなってきた」ことであっても、ある特定の人にとっては「なんとかならない」ことも十分ありうるし、それにまつわる悩みの数や大きさは人によって違うし、悩みに向き合う力や考え方もそれぞれだ。
「思い切ってやってみる。もし順風満帆とはいかなくても、上手くいかせるために精一杯努力してみる」であればいいと思う。しかし、「なんとかなるからとりあえずやってみる」では、あまりにむこうみずではないか。
「なんくるないさ」なんて言葉が沖縄の方言にあるけれど、あれは「めげずにがんばればいいことが起きる」といった希望や願望を意味していて、「なんとかなる」というお気楽な意味ではない、と沖縄人に聞いたことがある。ゆるくてあたたかい沖縄の人たちでさえ、「なんとかなる」なんて軽々しくは言わないのだ。
……断線しかけたので話を戻す。
たとえ失敗しても、そのプロセスの中で学ぶことや、感動や喜び、嬉しい気持ちなどもあるだろう。けれど、辛さ、悲しさ、痛み、後悔、虚しさ、その他あらゆるマイナスな影響も考えられる。なんとかならなかったときは、もしかすると後者の割合はが大きいかもしれない。
私たちが今生きている時代は、「なんとかなる」精神で上手くいくこともあるが、大きく後悔をする可能性だって秘めている難しい時代だ。いろんな人にいろんな選択肢があるからこそ、選択を誤ることやタイミングを間違えることでのちの人生の大きく響くことだってある。多くの人が同じ生き方をしていた、この初老の彼が生きてきたような時代ではないと、少なくとも私は感じている。
悩んでいた本人は、その後「そうですよね〜」と当たり障りのない返事を返した。彼女の言葉や表情からは、彼女の思いを汲み取ることができなかった。
もしかすると彼女は、どんな言葉でもいいから誰かに話してみたかっただけかもしれないし、一歩踏み出すきっかけとして「なんとかなるよ」という無神経な言葉を他人にかけられたかったのかもしれない。
しかし私なら、自分のことをさほど知らない人に向かって「僕もなんとかなったから大丈夫だよ」という人をみて(しかも離婚してるし)、将来が怖くて不安で仕方ない気持ちが倍増するだろう。
横で聞いていた私は、他人の真剣な悩みに「なんとかなる」と平気で答えてしまう人はやはり信用できないな、と再確認した。
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