「ボヘミアン・ラプソディ」を観た夜、孤独と過ごした話

とても泣いてしまうんじゃないか、と予想しながら映画館に足を運んだ12月1日、ファーストデー。

英国のバンド・クイーンは、先日亡くなった私の父の大のお気に入りバンドだった。
11月下旬から主にTwitterで「ボヘミアン・ラプソディ」に対する観客の声を見ていた私は、期待を膨らませていた。

これめっちゃ泣くやつや多分。

映画館で見なければと思った、しかし東京の映画館はネット予約の段階で売り切れ続出。
IMAXを諦め、なんとか探し出した錦糸町のシアターを予約した私は、びゅうびゅう風が吹き荒れる18時、イルミネーションの街を急ぎ足に駆け抜けた。

当然ながら、私が鑑賞した回も満席だった。
席に座る顔ぶれは実に様々で、まさに老若男女よりどりみどり。
私の左隣には落ち着いた雰囲気のご夫婦が、右隣にはでかいポップコーンのカップを持ったカップル(推定30代)が座っていた。
お一人様鑑賞の私は表面的にはすまし顔をしつつ、内心どきどきしながら、映画のオープニングを迎えた。

スクリーンに映るフレディは、クイーンは、私のような小娘が想像だにしないストーリーを抱えていた。
父の影響で 特に中学の頃はアルバムはよく聴いていたし、その昔「ウィー・ウィル・ロック・ユー」と言うミュージカルにも連れて行かれたことがある。
だけれど私が彼について歌以外に知っていたことは、男性も愛していたこと、エイズで亡くなったこと、それくらいだった。
彼の、彼らのパフォーマンスの裏側に潜んでいたもの、それは一言では言い表せないけれどドラマに富んでいて、あんまり言うとこれから観ようという方に申し訳ないので割愛するのだが、まあ光と苦悩と困難に満ちていたのだった。

そして映画も終盤に差し掛かると、噂通り客席のあちこちから鼻水の音が聞こえ出す。
私の右隣の女性(ポップコーンの方)は割と早くからお泣きで、クライマックスのライブ・エイド中はもうずーっとハンカチを目にあてていらした。
そしてそのままエンドロールまでグシグシとなさっていた。
しかしこんな超満員の入りでエンドロール中誰一人席を立たないのもすごいな。
そう頭の片隅で考えていた私は、実は全然泣けなかったのだった。

帰り道、興奮気味に映画の感想を言い合う観客の皆さんを、私はイヤホンでシャットアウトした。
すこしお手洗いに行きたい気持ちもあった。
けれどそれ以上にはやく帰りたくて、イルミネーションを横目に駅へ急いだ。
無言で電車に乗って自宅最寄りの駅まで帰り、私の涙は、近くのスーパーで唐突に解放された。

この映画、皆さんそれぞれ感じるところがあって、泣きポイント、爽快ポイントあると思うのだけれど、私にはあまりにも、フレディの孤独が突き刺さってしまっていたのだ。
今もちょっと泣きながら書いているのだけれど、ソロ活動するフレディのもとをメアリーが心配して訪れるというシークエンス。あれめっちゃつらい。

思えば小さい頃から小説や映画に触れてきた私は、幼いなりに様々な感情を追体験してきたように思う。
つまり実生活においてそれらが生じる前に、本のページやスクリーン・テレビ画面を通して、ともだちの素晴らしさとかだけでなく、例えば人が死ぬとはどういうことかとか、結婚とはとか、おマセにも程があるくらいにずいぶん事前学習してきた。
おかげで実際にいざそれぞれの「初めて」を知るときも、あんまり焦らなかった気がする。

それが最近どうも勝手が違うぞ、と思うようになってきたのが離婚以降くらいで、顕著だったのが「シェイプ・オブ・ウォーター」を鑑賞したとき。
魚人を前にあなたをどんなに愛しているか、と歌う妄想をするヒロインの姿に「私その感情知ってる!」と叫びたくて、叫べなくて、代わりにめちゃくちゃ泣いたのだった。

話を戻して今回の映画でも同じことが起こり、前述のシークエンスである告白をされたときのフレディの表情が、私にとってはこの映画のすべてだった。
自分の愛したひとが、もう絶対に、自分のそばには居てくれないということ。
私はそれを悟った瞬間の胸の痛みを、思い出してしまった。

このシーンのときなぜ涙を流せなかったのか、その理由は単純で、例の右隣の女性がこのシーン中ずっとポップコーン音をさせていたからである。
こんなシーンでそんなに食べる? 今? といううっすらした私の意識が邪魔をしてしまって、逆にこのとき右隣が静かだったら、多分ひとりものすごく泣いていた。

結果的には近所のスーパーで、急に感情に襲われることになってしまった。
明るい店内に色とりどりの食品や生活用品が並んでチカチカして、どれもきれいでおいしそうで、でも私は自分が何を欲しているのか分からない。
どれを買っても、それを分かち合う人はどこにもいない。
何を選んでも、それで楽しく誰かと笑い合うことはない。
そう思ったら目にあついものがぶわーっと溢れてきて、慌てて半額になったパンと餃子を引っつかんで会計し、家に帰った。
北九州に暮らした時代も、スーパーで泣いたことがあったな。
私にとってはどうも時折危険ゾーンとなることがあるようだ。

先週と今週は予定をたくさん入れていた。
誰かと会うことで、「私は大丈夫」と自分に言い聞かせていた。
でもこの日は家に帰るとひとりだった、そんなのこの1年ずっとそうだったのに、この日は本当にひとりだった。
猫を抱え名前を呼び撫でながら、本当は違う人を想う夜を過ごした。

そばにいてくれる猫がありながら、孤独だなんて申し上げるのはきっと図々しいので、あと「フレディの孤独分かる! 私も同じ!」と言うのも恐れ多いので、この話はこれで終わり。

猫といえば「ボヘミアン・ラプソディ」は素晴らしい猫映画でもあって、未見の方は是非劇場へ足を運んでいただきたいなと思う。
楽曲誕生の軌跡も詳しく描かれており、バンドの楽曲への姿勢がよく分かった。
作品を通して流れ続ける彼らの曲は、どれもこれもこれまで何度も聴いてきたにもかかわらず、初めて胸に迫ってくる気持ちがした。
ストーリーを知るって大切なんだな。

あと、映画を見たら父のことを偲ぶ気持ちにもなるだろうと思っていたけど、そこは案外そうでもなかった。
ごめんねお父さん。クイーンを教えてくれてありがとう。

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