いじめられっ子がロンドンに

私は大学休学中の学生です。保育園、小学校、中学校、のけい12年間いじめにあってきました。それはとても悲しいことで、未だに夢ででてくることもあります。少しでも、同じようにいじめられている境遇にいる方々の救いになればと思い、このことを投稿しようと思いました。中学校では不登校を経験しています。そんな私がなぜ、ロンドンに行ったかをお話しします。

中学校のいじめ

中学校受験をし、私立の学校に入学しました。そのときは、周りの先生から無理だと言われた学校だったので、入れたときは、とてもうれしかったです。しばらく、通っていました。話す仲良くしてくれる友達がいました。その時は今までいじめられた時と違って、楽しい学校生活が送れると信じていました。ところが、ある日から話しかけられても、無視されるなどのことが始まりました。なぜなら、私は、運動会の練習で行っていたリレーのバトンを渡すことを言われましたが、理解できなかったのです。いまでも、意味が分かりません。多分そのことが発端だったと思います。運動が昔からできない私は、クラスのなかで居場所をなくしてしまいました。そして、だんだんと学校への足が遠のいてしまいました。両親や周りの大人たちからも学校にいかないことを咎められ、私は誰とも話さなくなり、パソコンに逃げていました。そして、そのときから、不登校として生きることになりました。

不登校生が高校受験

毎日パソコンやテレビを見て過ごしていた自分は、将来お先が真っ暗だと思っていました。それでも、中3になってしまい、高校受験を考えるようになりました。早くこの状況から脱出したかった、新しい環境に身を置けば、人生が変わると思い、受験しようとしました。それでも、中学校丸3年行ってない私は勉強についていけず、数学なんてチンプンカンプンでした。周りの先生からも、「高校なんて無理だ。」「行くところがない。」「あきらめろ」と言われました。それでも、私はイケイケの高校生になり、人生をエンジョイしたかったです。そして、塾に通い、年上の先生と毎日遅くまで数学の話をするようになり、数学の実力はあがっていきました。数学ガールという本をかって穴埋め問題で勉強するようになり、英語も洋画がすきなおかげか、学校行ってないながら、英検準二級をとることができました。今でもきらきらした思い出です。

高校入学

第一希望とはいかないまでも、私立の別の高校に入ることができました。そこでは中学校とは違い、自由な校風で、制服もなくのんびり過ごすことができました。勉強もそこそこやり、まあまあの学校生活でした。そのときはフランス映画にはまっていました。

大学受験

みんなが必死に勉強する中、私はそんなに気合を入れて勉強はしてませんでした。この先どうなってもいいとそう思い込んでいました。ですが、英語は好きだったので予備校の英語の授業だけは真面目にうけていました。なぜ、大学受験するのかの意味でさえわからず、ただすごしていました。そうしてなにか道がないかと探していた時に、父が居酒屋でフランス語学科のオープンキャンパスの情報をみて、その日の午後から行っていると知り、そこに行くことに決めました。そして、教授の先生方とお会いし、なんか面白そうだなとおもいました。すると、推薦枠があるとしり、そこになんとかすべりこめないだろうかと考えていました。そこで、高校の先生に相談したところ、「無理だ」「大学より高校卒業することを考えろ」と言われ、落ち込みました。またここで終わってしまうのかと、、、ですが、小論文と面接を受けた結果、合格。面接でも教授の先生方とこれからの大学の授業についての話をしました。(笑)

満を持しての大学入学

満を持して大学に入学した私は、またも無気力に悩んでいました。学校に毎日行ってたもののこれでいいのかと悩み、食事ものどを通らなくなりました。授業でも寝てることもあり、まじめに受けていましたが、悩んでいました。原因不明の体調不良にも陥り、ますますうつが加速しました。成績はまあ中くらいでした。

大学二年の決断

大学二年になり、さらに居場所をなくしてしまいました。毎日追い詰めていました。「これでいい」「これでおしまい」「不登校だったから」「引きこもりだから」とネガティブなワードばかり、に汚染され、ついに大学も行けなくなりました。授業もあわず、フランス語をやる意味もわからず、毎日無気力でした。

ある人のお言葉

あるとき、母がレストランで私の同級生のお母さまと食事に行ってきました。それで、その方が、「海外にいかなきゃだめ」「このままじゃもったいない」と𠮟咤激励され、その日に旅行会社のデスクに行き、お金を払い、ロンドンの旅行を予約しました。その時は、不安だらけでした。緊張で押しつぶされそうでした。

ロンドン旅行

大学二年の夏にロンドンに行きました。そこでは、ヒースロー空港からタクシーに乗り、ホテルに向かいました。すると、タクシーの運転手さんがいろいろなことを教えてくれました。「ここにはフレディ・マーキュリーの家があった」「ブループラークという青い看板が、有名人とゆかりのある場所に掲げられてて、日本人のもある」などなどまるで、ロンドンのガイドさんのようでした。
そして、ホテルに着き、チェックインを済ませると、受付の人から「まだお部屋の用意ができてないので、バーでお待ちください」と言われ、バーで待っているとチップス(ポテトフライ)がきて、私が「これは有料ですか」と尋ねると「ホテルからのサービスです。皆さんがもらえるわけではないので、秘密ですよ」といわれ、母と私はありがたくいただき、本当に来てよかったね。と二人で笑いあいました。その後も、デパートでも、私がならんだとたん、店員さんから「こちらのレジがあいてますのでどうぞ。」と言われたり、そこのレジの店員さんから、いろいろな話を伺ったり、とても楽しい旅行になりました。母とのこの旅行はいまでも最高の思い出です。

ロンドン。悲喜こもごも一人旅

それから、一人でロンドンに行くことをきめ、ベルギーの語学学校に行くことを決めました。その時に、ベルギーの学校で私は2日間出席し、残りは休んでしまいました。なぜなら、朝、起きたとたんベッドから起き上がれず、食事をしてものどを通らず、授業でも集中できず、苦しんでいました。クラスメイトから日本のことを尋ねられても、うまく伝わらず、落ち込んでしまいました。ベッドのなかで、もう死んでしまおうか、早く日本に帰りたいと母に泣きながら、相談していました。「もういやだ」「迎えに来て」と。
そして、一週間がすぎ、ようやくそこから離れ、ブリュッセルの空港に向かいました。そこで、母から「ロンドンに住んでいる日本人女性が、会ってくれるそうだよ。」と言ってもらい、頭痛薬をのんでいたせいか、ハイテンションになり、ロンドン行きの飛行機に乗ってしまいました。そして、空港からタクシーで向かい、夏に滞在したホテルに行きました。そして、受付の若い男性が迎えてくれて、最初は「今夜はオーバーブッキングだから、君の部屋あるかな」と言われ、ドキドキでした。ですが、「君の部屋あったよ」と言われ、ホッとしました。その人が「ベルギーでは何してたの」と聞かれ、「英語を勉強してた」と答えました。そうしたら、「あーそうなの、ロンドンの英語のアクセントが強いから、気をつけてね」と言われ、話が弾みました。それで、安心して過ごせました。

ロンドンでの生活

ロンドンでの生活は決して、楽しいものではありませんでした。ロンドンでは、外に出るたびに、私に向かって、「顔が気持ち悪い。」「なんでロンドンで中国人が、いい服着て、いい仕事してるんだ」とか勘違いされたり、差別的なジェスチャーを明らかにされたり、私を見るなり、露骨に嫌な顔されたり、、、今でも多くあります。(それは、人種差別であり、私に向けられたものではなく、アジア人全体に対しての印象だと思いました。それはとても悲しいことであり、複雑な世界情勢が絡んでいると思います。あえて、ここでロンドンの人々を非難するつもりはありません。)
そのぶん親切な人々にも巡り合えて、親切心を知ることができました。

笑われる恐怖

ロンドンでの辛い生活をしていた私は、他者から笑われることに対して恐怖を抱くようになりました。なぜなら、自分がどこにいても異質な存在のように思えます。新宿でも、私ぐらいの若い女の子たちに笑われたり、万国共通なのかもしれません。それは劣等感や貧困問題や、その人たちも同じく笑われることに恐怖を抱いてるかもしれません。この経験は今まで知らなかった感覚でした。それでも、何か学べることはないかと思っています。

ロンドンで学んだこと

最後にまとめとして、周りを気にせず、自分の道を歩くことです。日本の学校でいじめられた私は、他人の評価、いかに人に嫌われないかとばかり気にしていました。いまでもそうです。うつにもなってしまいました。そして、10代の貴重な時間を無駄にしてしまいました。しかし、これを機に後悔のないように生きたいとおもいます。そして、わがままに。
ありがとうございました。


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