感情とコミュニケーション

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言いたいことを言える
自分の思いを自分の言葉で伝えられる
こんなにもシンプルなことが
簡単にできる人もいれば
なかなかできない人もいる

私は長年後者のタイプで
それがやっとできるようになってきた

できない人の多くは
おそらく幼少期に「自分の意見を言っても否定される」
という経験を繰り返したのだと思う

私もそんな1人だが
1つの例として自分の話を書きたくなった

家族の中で
言いたいことも、「ノー」も言わない
喧嘩になるような反抗もした記憶もほとんどないし
怒られて「泣く」ということはあっても
こちらの怒りを直接ぶつけたことはない
それに、「怒られて泣く」は日常茶飯事なので
その涙には何の効力もない

子供の頃から
いつも高圧的に抑えようとする母親の態度が
何より恐かった

きっと記憶にないくらい小さい時は
親に対してわがままも言って
反抗もしてたのだと思うけど
抑えられ拒否されるうちに幼いながらに悟ったんだ

怒らせたら恐い思いをするのは自分
反抗してもどうせ言い負かされ抑えられる
黙って言うことを聞いていれば、
大人しくしていれば平和でいられる
それならそれでいいと思っていた
だから反抗期も経験していない

できるだけ母親を怒らせないような言動をとる
それが、私が平和に生きるための術だった
必要以上に空気が読める子供だったと思う

「嫌だ」「違う」「私はこうしたい」
そうゆう自分の本当の感情に蓋をすることが
いつしか当たり前になって
自分の感情に不感症になっていった
そうであることにすら気づかないほどに

家庭環境の影響は
当然学校や社会に出ても及ぶもので

先生や上司には怒られないようにする
友人や同僚とは喧嘩せずいつも仲良くする
恋人も結婚相手も同じ

つねに相手の反応を気にしながら
嫌われないように
自分が傷つかないように
ただ平和に過ごせる関係性を保ってきた

一見、平和で良さそうな関係性に見えるけど

誰とも本音で付き合えていない
ということ

そんな人間現関係ばかり創っていたら
「さがみちゃんて怒らないよね」
「いつも笑顔でいて癒される」
なんて言われるようになって

いつも笑顔でいる人
怒りを露わにしないどころか怒らない人
それが「私という人」なのだと
他人の創り上げた「私イメージ」を
そのまま私が思う「私イメージ」にして過ごしてきた

子供の頃から2016年の春まで
長い長い他人イメージの私

「私ってやりたいこととかあるのかな?」
ふとそんなことを考える時もある
でも考えても考えても答えはわからなくて

きっと世の中には
「やりたいことを見つけてやる人」と
「やりたいことは特にない人」と
ジャンルの違う人間がいて、私は後者だと思っていた
いや、正確には「思おうとしていた」

「違和感」というか「もやっと感」みたいなものが
なかったわけじゃないのに見ないふりをしていたのだ

私にとって当たり前だった「他人基準」が
崩壊し始めたのが2016年の春

「もやっと感」が日に日に大きくなって
だんだん無視できなくなってきた頃

初めて意識的に
「自分の感情を感じてみる」
というワークをした時
私は今の自分の感情がわからなくて
まったく言語化できなかった

自分の感情に蓋をし続けて生きてきた結果
ここまで不感症になっていたのだ

これは私にとっては衝撃的な出来事だった

ショックを受けると同時に
これが私の知りたかった「もやっと感」の正体だったことも知った

自分のやりたいことは何なのか
何をしている時が一番楽しいのか

「自分がどうしたいのか」を考えたことのない人間が
「やりたいことは何か」をいくら考えたところで
答えが出るわけがない

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