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母が亡くなって、アイドルになった時のハナシ。3

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今のわたしを知る人は、わたしの過去の話をにわかには信じられないといいます。


それはそうだろう。今、あの頃の自分を客観的に思い出しても、ヤバすぎて仲良くしたくない。







きっかけは小学校二年生の時だった。


もう、何が先かはわからない。周りと馴染まない雰囲気があったのか、甘えた根性が見えたからなのか、その他に理由があるのか。

そういった曖昧な記憶の中で、タナカという女性の担任教師から強く当たられていたことは覚えている。



タナカ先生は、授業中に教師用の大きな三角定規で私の膝を叩いたりした。

その度に私は泣いて、授業を中断させたりした。


だんだんと他にも些細なきっかけで泣くようになると、毎日泣き続ける私をみてクラスメイトも私のことを敬遠し始め、気付いた時には完全に孤立していた。



完全なる負のスパイラルの中で完全に情緒が不安定になってしまった私は、腹痛に悩まされ、爪を噛むのが癖になり、授業中も机の下に潜って出てこなかったり、教室を出て行くなどの奇行に走るようになっていった。



この負のスパイラルはものすごくて、一人は寂しくて、普通に周りの人に認められたい気持ちはあるのに、何が正解かわからなくて、とりあえずやってみる行動の全てが見事に裏目にでて、変なことばかりしてしまって変わり者というレッテルが強固になる。


おそらく、小学校3年くらいの時にはもう、2クラスしかない学年の中でわたしはある意味名前が知れていたと思う。


よくある話だけど「自由に二人組を作ってね」なんていう言葉はわたしにとっても最大の凶悪呪文だったし、そんな時は机に伏せて寝たふりなどをしてやりすごした。



ただ、それでもわたしは学校に行くことをやめはしなかった。

学校でのそんな姿を、親に話すのは嫌だというプライドがあったのかもしれない。


そして、私はこの極限の状況の中で、とあるツールを使って生きていく術を自然と身につけていくこととなる。


続きます。



喜屋武ちあき


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今森大介

俺は、中学時代1年2年は
行って無い😚
せんこうに、ケッバットされてから😊
だからきゃんちの事は良くわかるね😃

レオパチ

ワイも3、4年時の女性担任先生(フルネーム今でも覚えてます)に目をつけられました。その担任はヒステリックで、昔によくありがちな、平準的な生徒を作る為の管理を重視し、少しでもはみ出ると容赦ない罵声が飛んできた。今でも覚えているのは、好きな色付折紙を選んで工作しろと言われ、ワイが紫色の折紙を選んだら、「そんな色を選ぶ人は碌な人間にならないから止めめなさい!」というヒステリックな罵声を浴びせられた。
今考えれば、典型的な日教組教員らしい思考で、反論も今ならできるけど、子供の時には厳しいよね。ワイにとってその先生から逃れる事ができた救いは、その先生が産休に入り、担任が変わった事でした。

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