宗教にお布施をおさめる人に思うこと

宗教といえばお布施!というぐらいお決まりです。

私にもお布施のお願いが来ました。
そもそもお布施ってその人の善意からではないの?!
それを強要するとはいかがなものかと思いました。
ま、大して高額にしなかったので払いましたが。

でもこのお布施事情。
ちょっと知ってびっくりしました。
ふだんあまり人にお金を使わないような、そして自分の生活も質素な人が3万円以上など、結構な高額のお布施を納めるんです。

私は考えました。
お布施って彼らにとって何?どういう存在?何を願っているの?
たまたま最近読んだ本に、その人にとって宗教が心のよりどころであるとするならば、それはそれで幸せなことなのではないかと。
たしかに人には何らかの心のよりどころが必要です。
何かを信じていくことで生きていけます。

私は宗教を肯定も否定もしません。それほど積極的ではありません。
別の話になりますが、お墓まいりでご先祖様を敬うことは大切だと思っています。

私は正直、高額のお布施は良いものだと考えていません。
そのお金は何に使われているの?気にならない?まきあげられていない?
そんな感じです。
誰かの手に入り、いい思いをしている人がいると思っています。
高額のお布施を納めることで幸せになれる、病気などから神様が守ってくれる。そんなふうに思っているのかもしれません。
はたしてそうでしょうか?
私は高額のお布施を納めるのであれば、その分を周囲の人に使ったほうがよほど意味があると思うのです。
食事をした時に多めに出す。ごちそうする。お土産を買っていく。
現実的なことですが、そのほうがダイレクトに自分に何かが返ってくるような気がするのです。
感謝、笑顔が返ってきます。
そのほうが自分も幸せな気分になれるし、相手もありがたいと思ってくれる。
「生き金」の使い方はこういう使い方だと思っています。

お布施を納めている人には声を大にして言いたい。
そのお金で周囲の人を喜ばせてはどうかと。
ここまで書いた時に穿った考えが浮かんできました。
お布施を納める人は自分、家族だけが幸せになれればいいってこと?
利己的な感情も浮かんできました。
やっぱりこういう考えは良くない。

私はきれいごとを言うつもりは毛頭ないけど、自分が大事にしている周囲の人が幸せになってほしい。笑顔になってほしい。もし自分が何かできることで相手がハッピーな気持ちになれるのならそうしたい。

なにかお布施に穿った考えが浮かんでしまいました。
宗教上では世界平和、皆の幸福などと謳っておきながら、結局は自分のため。
こういう考えは好きではありません。むしろキライ。
言行一致していない。

宗教には否定的な自分なのでした。


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