世界平和を愛するチアリーダーが世界一周に出るまでの3つのターニングポイント!!

こんにちは!!

世界平和を愛するチアリーダー松本真奈美です。


現在は「伝える」ことを通じて世界平和に貢献すべく、セミナーや講演活動を行う傍、「チアを通じて世界中の人と人を笑顔でつなぐ」ことをミッションに、NPO法人SC HURRAYを設立。海外、日本各地でチアリーディングを通じて思いやりの心を広めています。



突然ですが、あなたの夢はなんですか。


私は夢が二つありました。

一つ目は、「世界中の人とお友達になりたい」

二つ目は、「世界の平和に貢献したい」


これはイコールで繋がるのでは。と考え、2014年から2015年13か月かけて、チアリーダーの私はポンポン両手に、アメリカ、中米、南米、ヨーロッパ、アフリカ、中東、南アジア、東南アジアを周り、まるで世界ウルルン滞在記のように、世界中のご家庭に泊まらせていただき、ウルルンな体験をたくさんしてきました。








まず1つ目のターニングポイントは、3歳の時アメリカに住んでいる従妹を尋ねに、アメリカに行ったことです。

アメリカに行くと聞いたとき、私は宇宙でお星様が見られると思いました。

なぜなら地球には日本しかなく、他の国は他の惑星にあると思い込んでいたからです。


しかし、飛行機に乗ると、宇宙を見ることなくアメリカに着いてしまったのです。

あの時の衝撃はいまでもはっきりと覚えています。


地球には、日本以外に国があることを知ってしまいました。そして、アメリカに到着すると、目の色、髪の色、肌の色、話す言葉などが「違う」お友達がたくさんできました。地球に住むお友達は日本人だけではなかったことを知ってしまいました。

この時私の中で初めて夢が出来ました。



「世界中の人とお友達になりたい」



2つ目のターニングポイントはすぐにやってきます。私が5歳の時に弟が生まれたのです。

しかし、私の弟は、産まれて1歳でミトコンドリア脳筋症という重い病気になりました。今では歩くことも食べるとこも話すことも、自分の力で息をすることさえ出来ません。

心臓も3回も止まったことがあります。しかしどんな時でも弟は

「お姉ちゃん、僕、生きるからね」

と力強い目で訴えかけてくれます。そんな弟から、命の大切さを学んでいました。


そんなある日、小学生になった私は国語の教科書に載っていたのがきっかけで、黒柳徹子さんの「とっとちゃんとトットちゃんたち」という本を読みました。その本には、黒柳徹子さんがUNICEF親善大使になられて世界を周った時の事が書かれているのですか、そこで改めて世界で起きている戦争や、飢餓の問題について知りました。

「弟は毎日をこんなに一生懸命に生きているのに、今でもこの同じ地球では人が人を殺しているの?」「毎日余るほどの給食が私にはあるのに、おなかを空かせて死んでいる子供がいるの?」あまりの不平等さにビックリしました。と、同時にこれらは人が作り出している問題だから、人が解決できる問題。私も、この弟の姉として、この問題を放っておいてはいけない。と思うようになりました。この時二つ目の夢ができました。


「世界の平和に貢献したい」


3つ目のターニングポイントは少し時間が空いてからやってきました。

大学に進学し、就職活動がはじまると、みんなと同じように大手の安定した企業に就職することが自分の幸せなのだと思い、就職氷河期の中、無事に大手の金融系の会社から内定をいただくことができました。

内定獲得後、大学最後の卒業旅行でサイパンに行きました。ものすごく楽しく過ごしたのですが、最終日に宿泊していたホテルのドアマンが一緒に行った友達の中から私だけを「パッ」と指差してこう言ったのです。


「YOU HAVE A BIG HERT」


その言葉があまりに衝撃的でした。昔からの自分の二つの夢が込上がってきたと同時に、もっと世界を視野に入れて自分の可能性を試してみたいと思うようになりました。

そして、その思いを抱いたまま入社し、社会に出て働き始めると、自分がこの世に生まれてきた存在意義を深く考えるようになります。そして、「世界中の人とお友達になりたい」と「世界の平和に貢献したい」はイコールで繋がるのではないかと思うようになりました。

世界中の人と友達になることは、相手を知るということだから。それを実行することが世界平和の第一歩になるのではないかと思いました。




しかし、一生の安定が得られるような、とても環境のよい会社だったため、自分の夢と引き換えに会社を辞める勇気がありませんでした。

その葛藤は入社後3年間続きます。

葛藤の末、自分の夢は自分の手で叶えなくては。自分の可能性は自分の手で広げなくてはと決心しました。会社の上司にもありったけの想いを伝え、3年目の3月末で退職することが決まったのです。


こうして最初の行き先であるニューヨーク行きの航空券だけを握りしめて、2014年5月、日本を発ちました。

25歳の春でした。

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