母が亡くなって、アイドルになった時のハナシ。5

前話: 母が亡くなって、アイドルになった時のハナシ。4


SNSのフォロワーさんには、10代の、まだ親と暮らしているような人もいるようで、たまに、親とうまくコミュニケーションを取れない、好きじゃない、ということを伝えてくれる人がいるんです。


私も、母とは仲が悪い時期が多かったんですよね。




15年前に亡くなった母親のことを思い出そうとすると、まずは小さな頭、華奢な肩が浮かんできます。
アゴも小さくて、私と顔が似てる、気がする。

性格は反面教師もあって、どちらかというと母よりは父に似ていると思っているけれど。

母は若い頃は大変モテたと言っていました。本人曰く「アッシーがいた」とか。ほんとかね。

確かに、若い頃の写真を見ると私より華奢で美人さんだなーって感じ。父と結婚するまでは読売広告社で働いていたそうだけど、きっと実際お誘いも多かったことでしょう。それはそれで良き。

父と母の出会いは友人の結婚式の二次会ということでしたが、世の中のどんなカップルさんもきっとストーリーがあるように、彼らにも紆余曲折があり、結婚。その後は所沢に一軒家を買い、父は東京の出版社に勤め、母は専業主婦として家庭を切り盛り。

きっと母は、絵に描いたような幸せな家庭を作りたかったんです。
前述の通り、母は自分の家庭に強いコンプレックスを抱いていたから。
でも、私は幼少期まあまあ変わっていて、きっと母の望む娘ではなかったんだと思うんですよね。

不注意で色々な失敗をやらかしたり、まだ善悪の区別がつかず奇怪な行動をとる私のことを、母は多分悩んでいたと思います。

「あなたはおばあちゃんに似てる」
眉間にしわを寄せ、嫌そうな顔でこう言うこともしばしばありました。
私の髪の色は日に当たると金色に透けるくらい茶色くて、それは祖母の隔世遺伝だったし、もしかすると、性格も似ていたのかもしれません。
もちろん、褒め言葉でないことは理解していました。


だんだんと、母はヒステリーを起こし私にあたることが増えていきました。
しつけの範囲内として家から締め出す、ということは一般的にあることかもしれませんが、小学校の名札の安全ピンで刺そうとしたり、寝ているときに苦しくて目が覚めると首を閉められていたことも。怖いな!


私が中学生になる頃には、母は鬱と更年期障害でかなり感情の振り幅が大きく、居間で横になっている時間も増えていました。
台所にはプラスチック製の大きくて安い焼酎のボトルが常備されていて、母は昼間からマグカップに氷と一緒にそのお酒を入れて飲み、タバコもヘビースモーカーと言えるくらいよく吸っていました。

時期をはっきりとは覚えていないのですが、おそらく私が中学3年生くらいの頃、母が薬のたくさん入った瓶を取り出し、私に「一緒に飲もう」と言ってきたんです。
嫌な予感を感じた私は「嫌だ!」とその場を離れましたが、間も無くガタン!!と大きな音が聞こえ、駆けつけると母が薬瓶と共に倒れていました。睡眠薬の多量摂取でした。すぐに救急車を呼び、母は病院で胃洗浄を受け、数日間昏睡状態になりましたが一命を取り止めました。


私は、母とどのように向き合っていたのでしょうか。この頃のことはあまりよく覚えていなくて。
母がうつ病だと言うことは睡眠薬騒動の後に父から聞いた気がします。もちろん家族として普通に接している瞬間もあったけど、ヒステリーを起こしたり、キッチンドリンカーでヘビースモーカーの彼女に対して強い嫌悪感を抱くようになっていきます。


そもそも、私は私で、自分自身の人生をどうにかしなくてはならなかったので。小2から中3の8年間という暗黒時代を経て、いよいよターニングポイントとなった高校生活に入っていきます。
一体何が起きたのか。
そう。なんと!私は!高校デビューを迎えます!


続きます。



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