酒とオレと 〜さようなら平成〜

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平成の終わりに。
この想いを誰かに届けなければならない。
●事件
「清澄白河、身ぐるみ剥がされ事件」
「上野、蔵前警察署独房事件」
「上野、階段落ち救急車事件」
「赤坂、全裸チョークスリーパー事件」
「幼稚園のママ会クリスマス泥酔事件」
「幼稚園のママ会花見泥酔事件」

●影響
 「龍馬伝」の坂本龍馬(福山雅治)
 父からの遺伝説

泥酔ツイートの祖、寝過ごしの旅
 千代田線、山手線、常磐線、東武東上線、中央林間
 寝過ごしツイッター回顧録(ホリウチ氏まとめ) 
  西船橋編 https://togetter.com/li/67652
  人生の不確実 https://togetter.com/li/142910

●泥酔小ネタ
 階段落ち:池袋、赤坂のカラオケ
 道端で寝る:池袋、新宿、終電の公園
 下痢と俺と
 awabar時代
 泥酔配信の祖(voicy)

●結婚後も泥酔
 マンションの廊下で寝てたら「ここに物は置かないでください」の張り紙されていた
 風呂で顔だけが浮かんでいるドザエモン
 ルクルーゼの鍋が黒焦げに

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物事の本質を説明する際に、「どこから語るべきか」はとても重要だ。
人は順序立ててものごとを理解するということに慣れすぎてしまっている。
言い換えると、順序立てないと理解できないというシーンが多い。
しかしながら、複雑な世の中で、重要な条理は「順序がない」ことがほとんどだったりする。
小賢い人間がロジカル思考の罠にハマって、モノゴトを全く理解できていないというのに近しい。

さて、どこから語ればいいだろうか。
導入部分のエピソードとしては、異世界モノに慣れすぎたワカモノに迎合した物語がいい。

「清澄白河、身ぐるみ剥がされ事件」

事実は全く異なるけれども、タイムリープものの世界観と重なりやすい。


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あれは今から10年前の2009年、平成21年。僕は35歳だった。

事件のはじまりは、いつも、どこか似たような光景から生まれることが多い。
同じような場所、同じような季節、同じようなメンバー、同じような店。

平成に鮮やかな幻覚を見た有名なシンガーも「はじまりは、いつも店」と平成の初め頃に歌っていた記憶がある。

僕にとってのそんな店が、赤坂見附の雑踏に構える居酒屋「赤坂亭」だ。この店に初めて出会ったのは2005年、平成17年ごろだっただろうか。職を転々としていた僕は西新宿→お台場→日本橋→渋谷と勤務地を変え、20代最後の戦場はここ「赤坂」に流れ着いた。

「赤坂の料亭」という言葉をよく耳にしていたので、華やかな舞妓さんが歩く京都の街並みをイメージしていたのだが、全く違っていた。亜細亜香る雑多な飲食店、パチンコ屋、外国人スナックが目立つ街で、僕が学生時代によく通っていた新宿歌舞伎町に近い雰囲気だった。

「こんなところで仕事するのかよ…」

僕の職場はまさに飲食店街ど真ん中にある雑居ビルで、隣は「榮林」という酸辣湯麺が有名な中華料理屋だった。
くたびれたスーツを身にまとい、帰りはほぼ0時過ぎの終電だった。
駅までの帰り道、クビはうなだれていて、街並みを見回す余裕などなかった。

あるとき、苦悩のまま帰路についてボーッとしていたのか、いつもと1本違う通りを通ってしまい、「あれ、似たような道だけどいつもと違うな」と違和感を感じてあたりを見回した。

すると、秩序のないアジアンな街並みの中、メインストリートとは外れた路地の一角に、やけに貧相で寂れた居酒屋に目を引かれた。

「高級料亭がひしめく赤坂で、こんなボロい居酒屋に入る客いるのかよ…」

入り口上の看板には赤と黒のコントラストで、「赤坂亭 全品300円」と書かれていた。

平成17年は金の蔵や東方見聞録、鳥貴族などの激安居酒屋チェーンがまだメジャーではなかった時代だ。和民や白木屋が少し安く飲める居酒屋として幅を利かせていた頃。

東北地方の寂れた駅にポツリと咲くような佇まい。田舎の古い蕎麦屋のような扉をあけて中に入ると、ベトベトした床。図工の授業で作ったようなテーブルとイス。男女共同の和式トイレが一つ。トイレの近くに小さな畳部屋。

300円のツマミも「ゲソの唐揚げ」をはじめ、まんざらでもないクオリティだった。
個人的なミスで借金を抱えて貧乏な社会人だった僕は、すぐさま全品300円の虜になった。

「ああ。赤坂の高級料亭の隙間に花咲くタンポポのようだ」

20代で始まったばかりのサラリーマン人生に早くも「終わりなき徒労」を感じはじめていた僕は、少し心を痛めていたこともあり、しょぼい居酒屋ですら、野に咲く花に感じてしまうぐらい病んでしまっていた。

赤坂で重要な人との会合はほぼ全てこの「赤坂亭」で済ませるようになっていた。チームラボの猪子っちともサシ飲みしたし、@narumiさんの転職祝いサシ飲みやインスプラウト三根さんを当時ジョブウェブの伊藤ゆういちろうさんから紹介されたのもこの店だった。

行きつけの店になって3年ほど経った、平成21年の初夏。
赤坂亭の奥の高級「個室」とも言えるその畳部屋で宴会は始まった。

男だらけの定例会。男4〜5人が集まって、お互いの近況報告を肴にして、「ゲソの唐揚げ」をひたすら「ウーロンハイ」で流し込むような飲み会。

「そういえば、前回、泥酔してしまい、夫婦喧嘩のキッカケになった。今日は気をつけるよ」

赤坂亭のチューハイ類は異様に焼酎が濃い。300円のつまみたちも濃い目の味付けで、どんどんウーロンハイが進むシステムになっている。ゲソの唐揚げにはたっぷりの千切りキャベツと大量のマヨネーズがかかっている。揚げゲソ、キャベツ、マヨの三重奏のコントラストがシェフのセンスを感じさせる。ショボい店だとマヨが少量だったりセコセコしているが、やはりここ「赤坂」の店は違う。300円だけど。

仕事と家庭での過労もあってか、僕は早々に酩酊してしまった。僕は2次会には連れて行かれずに、タクシーに押しこまれた。「この人を清澄白河まで連れて行ってください」と誰かがタクシーの運転手に呟いていた。まだ終電がギリギリある深夜0時前後だったと思う。

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次の日、いつも以上に太陽の暖かさを感じる朝だった。こんなに日光を感じる朝は久しぶりだ。
うちのマンションは東側の窓がないので、朝の日光が入ってこない。

今日はなぜか全身に日光を感じ、閉じたままの瞼からは子宮の中にいた頃のような暖かさが見える。
日はもうだいぶ上がってきてるみたいだ、10時過ぎぐらいだろうか。

瞼を開けて陽の光を確認すると、いつも以上に開放的な空間が広がっていた。まるで室内ではないような開放感。風も感じる。トラックの排気ガスのような臭いも感じる。

そこは「道路」だった。厳密にいうとアスファルトの上だった。
タクシーに押し込まれて帰宅したはずだったのに。

地下鉄半蔵門線「清澄白河駅」近く、大通り(清洲橋通り)沿いにある、車5台分ほどの小さな駐車場のアスファルトで寝てしまっていたようだった。

「ああ、道端で寝るなんて、さすがに久しぶりだな。10年ぶりぐらいかな。ああ、でもよく寝たわ」

若い頃は知らない土地で寝てしまい、朝起きたら「ここは一体どこだ?」なんて思うこともあったけど、今日は見慣れた風景だったのでホッとした。

ムクリと起き出して、ゆっくりと家に向かおうとすると、大きな違和感を感じた。

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