酒とオレと 〜さようなら平成〜

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気づくと自宅のベッドで泥のように眠っていた。二日酔いの不快感を洗い流すように浴室に向かいジーパンを脱ぐと、ポケットに紙切れが入ってることに気づいた。

「マミ 22ー○○〇〇」

それは電話番号のようだった。僕は泥酔の末、アルバイトのマミちゃんの電話番号をゲットしていたのだった。
僕は「お酒のチカラ」によって人生で初めてのカノジョを作ることに成功した。

===

お酒による恋愛経験値のブースト効果。シャイボーイの抑圧された虚栄心を取り除く効果は絶大だった。

ただし、一方で得るものあれば失われるものもある。

お酒を覚えてからというもの、何かと「お巡りさん」に世話になる機会が増えた。
茨城県の片田舎ではお巡りさんに会うことなどほとんどない。警官の制服とすれ違うときは、何も悪いことはしてないのにひどく緊張したものだった。

でも、東京だと自転車に乗ったお巡りさんとしょっちゅうすれ違う。茨城で野良犬にすれ違う頻度に近しい。なので、東京でお巡りさんと会話することは、すなわち、茨城で野良犬に餌をやるようなものだと勘違いしていた。「犬のおまわりさん」っていう歌もあったし。

お巡りさんに諭されることは、「東京のオトナがみんな通る道」なんだと思っていたけれど、周りの友人は誰一人そんな道は通っていない。(平成31年3月現在)

いくつか思い出の警察署がある。

池袋警察署
新宿歌舞伎町の派出所
土浦警察署
蔵前警察署
深川警察署

どこのお巡りさんも、二日酔いでボロボロ姿の若い僕を見ると、「お前、バカだなー」という表情を露骨に見せる。
金八先生に出てくる陽気な警官とは大違いだった。

日テレ「初めてのおつかい」風に、僕の「初めてのお巡りさん」は池袋警察署だった。

僕は気づいたら池袋の路上で寝てしまっていた。お酒を覚える前、高校生の頃などではこの「路上で寝る」なんてことは考えられなかった。田舎では路上で寝ている人はいなかった。関東平野のからっ風にさらされて、寒くて耐えられないからだ。

まさか自分が路上で寝るオトナになるなんて。酔ってカラダが熱くなると、冷えたアスファルトが意外と気持ちよかった。外でも東京の夜はそんなに寒くない。人通りの多い繁華街の路上で一体どこで寝るんだ?と疑問に思う人も多いだろう。都会は「寝れる路上」にあふれている。ビルとビルの隙間などは、人も入ってこないし誰にも迷惑かけずに寝れることができる。

ビルの隙間の冷えたアスファルトで寝ることは、コンクリート打ちっぱなしのオシャレなカフェでカプチーノを飲むかのようだ。アーバンなオレ。

アーバンな雰囲気に飽きてしまったら、あなたの寝室に「緑」を取り入れたほうがいいかもしれない。そう、東京はステキな街だけど、とにかく自然と緑が足りない。そんなあなたには、生け垣のそばがオススメだ。東京のビルのエントランス近くには、ちょっとした生け垣があったりする。冷えたアスファルトに加えて、生け垣の「緑」がまるで、あなたを森に連れて行ってくれる。都会にいながら森を感じれるその寝室は、椿山荘のカフェ「フォレスタ」で庭園を眺めながらいちごのショートケーキを食べることに近しい。

僕は池袋の雑居ビルのスキマの、生け垣と生け垣の間のベストポジションで良質な睡眠をした結果、、、驚きのリラックス効果が!





なんと!




人生で初めて!






財布と携帯を盗まれました。






見事です。見事としか言いようがありません。おしりのポケットからいつの間に財布とられたんだろ?心地よい睡眠だったので全然気づきませんでしたよ。ジャケットの裏ポケットにあった携帯も跡形もなく無くなってる。見事すぎる。


まだ二日酔いで頭がバカになっているので、ほどよい喪失感。池袋という雑多な街並みの朝は爽やかさが微塵も感じられないはずなのに。(本当の喪失感はこの後襲ってくることになる)


すぐ近くに「池袋警察署」の看板が見えた。人生で初めての警察署。
20代後半のガッシリとした体型のお巡りさんが、哀れみと優越感の混じった表情で調書をとってくれる。

「こいつバカだな、、ホントに。オレはこんなバカなやつを相手に朝っぱらから調書を取る仕事をしてるのか。。まあ、仕事だからしょうがないか。公務員で安定した職業なんだし、コイツよりはマシだな」

と彼の目が物語っていた。

「すいません、お金がないので家に帰れないんですけど…どうすればいいでしょうか…。」

若い警官は「ちゃんと返しに来いよ」とつぶやいて、電車賃相当を貸してくれた。


===

新宿歌舞伎町の派出所。


平成4年4月に大学入学。人生で最も浮かれていたに違いない。春という季節も人を浮かれさせるけれど、初めての東京、初めての大学、初めての私服通学、初めての電車通学、初めての肩掛けバッグ。

「素敵なキャンパスライフ」を夢見て、テニスサークルとマスコミ研究会の2つのサークルをかけもった。

「マスコミ研究会」で知り合った僕とアジマとアライは、茨城県と群馬県の高校出身な「北関東連合トリオ」だった。みな都会の素敵なキャンパスライフを夢見て上京してきたものの、入学半年足らずで早くもドロップアウトしていった。

僕らは、浮かれた都会の大学生になりきれなかった。
ヤサグレ気分の僕らは夜の街に堕ちていった。
たどり着いた先が、大学近場の繁華街「新宿歌舞伎町」だった。

異様な匂いのする街だった。アルコールと生魚と柑橘系の香水が混ざったような、先進国とは思えない香り。
すれ違う人種も様々で、学生のみならず、歌舞伎町の奥の怪しいスポットに向かう社会人やオジサンたち。水商売のお姉さん、真っ黒なスーツに身をまとった客引き。

新宿の大通りから「歌舞伎町一番街」と書かれたド派手な看板をくぐって繁華街通り200mほどの進むと広場にぶつかる。「コマ劇場前広場」。繁華街通りとコマ劇前広場までのルートは一周400mのトラックのような長方形になっていて、僕らは体育会系陸上部のごとく、この長方形を何周も何周も歩いた。龍が如く、歩き続けた。

好みでもない女性に声をかけ、無視され、断られ、バカにされ。たまに引っかかっても、飲んだりカラオケしたりしただけで、何ら人間関係を築くこともなく終わり、「虚しさ」だけが残る日々。僕らの「千日回峰行」だった。

北関東トリオの中で、ルックスの点でアジマだけが図抜けていて、僕とアライは非モテキャラでトリオの足を引っ張っていた。いつまでもアジマの力に頼っていてはダメだ。僕ら非モテコンビも頑張って街中で女性に声をかけてみる。

「俺たちこれから飲みに行くんだけど、一緒にのまない?」

非モテコンビはプライドを捨てて、歌舞伎町入り口にある居酒屋ビルの前で片っ端から声を掛ける。僕らは女性の好みが似ていた。背が低くて、おとなしくて、色白で、純粋な女性が好きだった。だけど、そもそも、そんな人は歌舞伎町を歩くはずがなかった。こんなとこにいるはずもないのに♪。

僕らの好みとは真逆な女性にも、気合で声を掛けなければならない。千日回峰行だ。
茶髪で、ガリガリで、化粧が濃くて、目元と頬がくぼんでいて、紫色の服を着て、どぎつい香水の匂いのする女性2人組にアタックした。

「えー、アンタらそんなに言うなら付き合ってやるわー、ヒマだし」

僕とアライは目を合わせて、「やったぞ」という表情を浮かべた。果たしてこれは喜んでいいものなのだろうか、今では甚だ疑問である。

僕らはいつものように歌舞伎町居酒屋ビルで最安値の「ルパン亭」に入った。(養老乃瀧、白木屋、庄やより安い)
その日は珍しくアライがいじられキャラになった。
やせ細った老女のような女性に「お前は顔がナスに似てるからナスビだな」とかバカにされ、「ナスビ、いっき!いっき!」と酒を飲まされた。
何度かイッキするとアライは飲めなくなってしまいジン・ライムを残した。「おい、ナスビのクセに酒残すんじゃねーよ!!」と言われて、頭からジン・ライムをかけられた。

「いやー、今日の魔女はひどかったなー」
「俺たち、ホント、ダメだなぁー。せっかく東京の大学に頑張って入ったのになぁー」
「ホント、ダメだ。ダミだこりゃ」

恒例のオトコ3人の反省会。「ドリフ大爆笑」のいかりや長介風の口調を自分らを揶揄した。
ナスビ呼ばわりされて、ジンライムまみれになったアライはいつも以上に神妙な面持ちだった。
「ダミだこりゃ」連呼に精神が耐えられないようだった。


「あんなやつらにナスビ呼ばわりされるために、オレは上京してきたのかかよ…」


アライはこの日を境に、「公認会計士を目指す」と言い出して、歌舞伎町への出入りを減らしていった。

===


平成8年3月。
大学の卒業式を終えて、僕らはそのまま歌舞伎町の卒業式に向かった。

僕らは、この雑多な街で、いくらの無駄な時間とお金を溶かしたのだろう。
製紙会社の御曹司ほどではないが、間違いなく「溶かした」。

この4年間で数え切れないほどの合コンやナンパをこなしたものの、僕自身がお付き合いできたのは、地元土浦の白木屋で知り合ったマミちゃんだけであり、ここ歌舞伎町では0勝100敗ぐらいの戦績だった。


こんな無駄な修行も今日で「卒業」だ。

「いやー、俺たちもこの『歌舞伎町という”支配”からの卒業♪』だな」

とアジマが尾崎豊風に口走る。

卒業のお祝いということで、ルパン亭は避けていつもよりも若干単価の高い安居酒屋に入る(新宿三丁目方面の魚や一丁だったかもしれない)。

「いやー、この街でロクな事なかったな〜。まあでも危ない目にはあってないし良かったな」

危ない目といったら、酔っぱらって客引きの黒服に顔面を殴られたことぐらいだ。
口から血が出たけど、酔っていたので全然痛くなかった。

ビール5杯ほど飲んでほろ酔いになった僕らはいつものコマ劇前広場に向かった。
アイスクリーム店の前で、ちょっと派手目だけど、キレイめな女性2人組を発見した。我らがエース「アジマ」が先行隊として話しかける。さすがは地上波テレビ局の内定をゲットした男のトーク術だ。スムーズに「一緒に飲もう」というハナシに落ち着いた。

大学3年の女子大生だった。北川景子さん風な女性と元モー娘辻希美さん風で、これは歌舞伎町の神からの「卒業プレゼント」かと思った。

「行きつけのバーがあるから、そこに行こうよ」と北川景子が言った。

コマ劇前広場から更に奥に進んだ雑居ビルの5階。
スナックのようなお店だった。
僕らは安居酒屋しかいったことないし、キャバクラもスナックも行ったことがない。バーとスナックの区別もつかない。

安っぽいソファに腰掛けて、ナッツをつまみに水割りを自分らで作って飲むというスタイルだった。小奇麗なママが一人で切り盛りしていた。僕らは卒業式の無礼講ムードもあって、ナッツじゃ物足りなかったので、メニューをもらって唐揚げやら焼きうどんやら食べたいものをガンガン頼んで食べた。客は僕らだけだったので貸切状態。カラオケの機械が置いてあって、100円を入れて歌うやつだった。

すぐさまカラオケ大会になった。B’zやらBOOWYやら夏の日の1993やらを歌った。
卒業式の思い出づくりかのように、カメラ付き携帯電話のシャッターをきる。女子たちは恥ずかしがって顔を隠したりしていた。

2時間ほどでお開きにした。
ママにお会計を頼むと、すぐにお会計明細が出てきた。



15万円だった。




「は?これおかしくね?」




僕ら男三人はそのママにキレそうになってカウンターを振り返った
すると、店の入口にはいつの間にか、真っ黒なスーツに身をまとった、大柄な男が5人ほどずらりと並んで、僕らを睨んでいた。
出口を完全に塞がれていた。



女性たちは怖がる様子で、「え、、どうしよう。みんなで割ってもこんな現金もってないよ。。」とつぶやいた。



「これは法律的におかしいと思います。ちょっと待ってもらえますか?」



公認会計士から司法試験の勉強に切り替えていたアライが勇気を持って、大柄な男たちに聞こえるように大声を出した。
大柄な男たちは目で睨むだけで一言も発さなかった。
まるでセリフのない悪役商会エキストラのようだった。


小柄で人の良さそうなママが、いつの間にか魔女のような鬼の形相に変わっていた


「アンタら、だれかクレジットカード持ってるやろ。それでええんや。早く誰かのカードを出さんかい!!!」



大学生の若造な僕らは従うしかなかった。
僕がクレジットカードを出した。


店を出て、すぐさま被害届を出そうと5人で近くの派出所に行った。


新宿歌舞伎町の派出所。

4年間通った街だったけど、派出所にお世話になるのは初めてだった。


30代前後のお巡りさんは諦めたような表情で僕らのハナシを上の空で聞いていた。



「あー、それは警察ではどうにも出来ませんねー。君たちそういうの気をつけてくださいねー」


食卓のコバエを追い払うかのような対応だった。

明け方まで時間を潰すべく、ミスタードーナツに入った。


「警察なんて何もしてくれないんだな。。」と僕らがボヤくとと、

「まあ、しょうがないよ。みんなで割り勘しましょう。私達、今日の朝からスキー合宿だから、連絡先交換して。今度私達の分払うから」

北川景子が陰鬱な笑みを浮かべて言った。







その後、その女性達とは二度と連絡が取れなかった。




僕らはまんまとボッタクられただけだった。
卒業式の日に。
僕らは何から卒業したのだろうか。

1杯4,000円の水割りと8,000円の焼きうどんから、何を学んだのだろうか。

お金以外にも何かを失ってないだろうか。


そういえば、この割り勘ってちゃんとアジマとアライと精算されたのだろうか。
20年経過した平成の終わりに、すっかり忘れてしまった自分がいる。



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大学時代にお酒を覚えなければ、こんな半狂乱にならずに済んだかもしれない。


世田谷一家殺人事件。
光市母子殺害事件。

凄惨な事件が頭の中を巡る。門前仲町の交差点をママチャリで猛スピードでこぐ。1秒でも早く到着しなければ。刃物で刺されていたりすると1秒でも早く止血する必要がある。刃物による殺人事件で死因の主なものは「出血多量」である。

大人になってからここ15年ほど全く運動もしていなかったので、全力でのママチャリは限界ギリギリだった。清澄白河から月島まで往復で40分ぐらいはかかるだろうか。途中で意識が白濁していった。

40分。。
もう遅いかもしれない。手遅れ。。


人生への後悔が多く頭をよぎった。


僕と結婚さえしなければ、カノジョはこんな目に合うことはなかった。


先ほど、鍵を借りたお母さんに陳謝の念が浮かぶ。

陳謝?

深謝?

謝ることなんて出来ない。

そもそも、こんなにも完全なる悲劇、落ち度は100%自分にあり、一体どう謝ればいいのだ。


「私が育ててきて娘を!!!!なんてことするのよあなたは!!!

葬式で号泣と怒号に襲われる映像が浮かぶ。


葬式?

僕が喪主をやるのか?

新婚で妻と娘を亡くした僕が喪主をやるのか?


できない。。。

絶対にできない。。



原因は自分がただ単に酒に酔っ払ってしまい、路上で寝てしまったからだ。

落ち度は100%自分。

家族は何一つ悪くないのに。

僕はママチャリを全力で漕ぐのを止めた。
歩みを止めるわけでなく、自分のマンションへ向かうペースを落とした。息を整え始めた。
到着後でも余力を残しておかねばと思った。

犯人は家に居座っている可能性がある。凶悪犯罪者は家の中で勝手に冷蔵庫を開けてアイスなどを食べていたりする。

犯人を刺殺して、僕自身も自殺するしか無い。
道はもうそれしかない。

あと5分ほどで自宅マンションに到着する。
頭の中で自宅突入後のプランを立てる。
体力に余力を残しておかねば、犯人とのもみ合いに負けてしまう。


鍵を開けてダッシュで玄関と廊下を駆け抜ける。
台所にいき、包丁の場所は分かっている。
シンク下の棚を開けて一番大きな包丁を取り出して、犯人に突進する。
力いっぱい全力で突進するべきだ。声を上げずに無言でチカラはその包丁全てに託すように。


マンション前に到着し、ママチャリを投げ捨てる。
深呼吸をし、気持ちを整える。


もはや人生への後悔も何もなかった。
オレはバカだった。
酒なんて飲まなきゃよかった。などという後悔もなかった。
何かを冷静に考える思考は出来なかった。

とにかく「犯人」を殺すことだけを考えた。無事殺すことが出来たら、自分はマンションから飛び降りる。
それで「終了」だ。


「終了」


エレベーターでも深呼吸を繰り返す。とにかく冷静に。腕に全エネルギーを注ぎ、相手の胸元に注ぎ込む。


頭の中で完全にシュミレーションできていた。扉を開けて間髪入れずに突っ込む。
自宅階に到着し、廊下をやや前かがみで歩く。突進するつもりだからだ。
リビングのソファでアイスを食べている犯人をイメージする。
台所で包丁をとり、リビングに駆け込む。
犯人より俊敏な動きで全力を出す。
僕の人生で最初で最後のホンキを出す。


扉の鍵穴に奥さんの母から借りてきた鍵を近づける。ここからは刹那にイッキにいくぞ。




「ガチャガチャ」




鍵の音に犯人は気づくだろうが、僕はコンマ0.1秒で鍵を開けて、玄関に飛び込む。





つもりだった。




「ガチャガチャ」






「バイーーーーーーーーーーーンーーーーー」






金属の鈍器で打ち付けるような音がマンションの廊下に鳴り響いた


し、、、しまった。。。。



扉の鍵だけでなく、金属でできたフック状の内鍵もかかっていた。

全力で扉を開けようとしたものの、10cmほど開いたところで金属フックがストッパーとなって、大きな金属音だけが鳴り響いた。


ああ、犯人はやはりプロだった。フック状の内鍵もかけて、逆にナタのような武器を持って僕を待ち構えていたのかもしれない
この金属音で僕が来たことに気づくはずだ。
僕は台所にも入ってないので包丁ももっていない丸腰だ。
丸腰の、運動不足の、二日酔いの、ママチャリ全力疾走でほぼHPが残ってない、哀れなオトコだ。







10cmほど開いた扉の隙間から、ゆっくりと人影が入り込んできた。







「ん??どしたー??」







わずか10cmの隙間から、赤ちゃんを抱っこした奥さんの姿が見えた。





僕は腰を抜かして廊下に座り込み、号泣が止まらなかった。






====


夢か現実か分からなかった。

昼ごはんはそうめんだった。
マンションのリビングの小さなテーブルで、生きた親子三人でそうめんをすすった。
人生で一番長いそうめんだった。
僕はそうめんを食べながらずっと泣いていた。
4時間ぐらい泣きっぱなしだった。
「オレは今日、自殺するつもりだった」と言ったら、奥さんは何のことだかさっぱり分からず、首を傾げていた。

「ピンポン押してたんだね〜。寝ちゃってて気づかなかったよ〜」

奥さんはそうめんをすすりながら、魔法少女まどかのような口調で答えていた。


===



ヒヤリハットの法則。

大惨事を起こす前には、小さなきっかけがある。ヒヤリとすること、ハットすること。そんな小さなミスが大惨事に繋がる。
酒はそんなヒヤリを起こす。のちのちの大惨事に繋がるかもしれない。


「もう、酒はやめよう」


僕は酒を辞める決断をした。
2010年の初夏。37歳に差し掛かるところだ。

酒はリスクが大きすぎる。特に泥酔はリスクが大きい。何が起きるかわからない。
ドラッグと何ら変わらない現実逃避行動だ。

娘も産まれた。もはや僕は僕だけの体ではないのだ。
遺伝子論でいえば、子供の方が価値が高く、おっさんであるボク自身は価値は薄い。
生命学的に言えば、生殖能力のない生命体に近づいているおじさんである私は無価値かもしれない。カマキリだったら嫁に食べられている。

子供を育てるためだけに、餌を運んでくればいいだけの存在だ。機械だ。マシーンだ。餌運びマシーンだ。マシーンが飲酒で泥酔して故障したら大変だ。ヒヤリハットの法則もある。辞めるという判断が大人の見解である。

事件から1ヶ月ほど経過する。

俺は酒を辞めている。
子供に餌を運ぶ生命体として日々過ごす。餌を運ぶ行為はすなわち「仕事」になる。この頃の仕事といえば、若い頃の資料作成などのデスクワークだけでなく、人とのお付き合い夜の会食も多く、餌を運ぶ=仕事をするには酒の場に顔を出さなければならない、という矛盾した事象にぶつかる。

仕事はしなければならない。
でも、酒は飲んではダメだ。
下戸プレイのようにウーロン茶で会食をこなす。こなすものの、今までのようにボクの酔拳がつかえないので、会話はそれほど盛り上がらない。
人間関係が築けず、仕事が進むような気配がない。

「なんなんだよ、酒ってよ…」

辞めても特に人生に支障がない気がしてたけど、何だか日々味気ない。


「泥酔する人って、日々抑圧されてるらしいですよ。普段から解放した方がいいんじゃないですかね?」



仕事の合間にとある起業家から言われた。
でもボクはいろんな人から


「何か、あけっぴろげで解放しまくりな方ですね」

などとも言われる。



酒ってドラッグと何が違うのだろうか。コカインと何が違うのだろうか。

酒がなければ女性と付き合えなかったし、結婚もできなかったろう。出会いのときはいつも酒があり、泥酔があった。恋愛だけでなく仕事ではどうだろうか?泥酔と仕事が結びつくシーンはあまり思い浮かばなかった。昔の上司(鬼)と初めてサシ飲みをして二人で泥酔して、三軒茶屋のバスのベンチで二人で寝ていたという思い出しか思い浮かばない。

昔の同僚たちと三人で赤坂の中華で呑んで、泥酔して、M&Aとかで日々ヤカラみたいな人たちと対峙して恫喝されたりするのが辛くて、号泣して訴えたような記憶も朧げにある。(その日からハイリスク案件が減っていった気もする)

酒には感謝しなければならない。

「泥酔殺人妄想事件」がボクの心に大きなインパクトを与えて、「禁酒」という決断をしたものの、ボクの人生において酒は感謝しかない。


「もしかしたら、『酒』は神かもしれない」


その神を禁ずるというのは、何という宗教改革だろうか。

過去の恩を忘れているのか俺は。

お前は何様なのだ。

神への冒涜なのか。


だいたい、泥酔して身ぐるみ剥がされたけど、数十万ほど使われたクレカは不正利用として返金されてるし、殺人事件もよく考えてみたら、自分が勝手に妄想してただけじゃないか。
「ファクト」を見ろ。
ファクトフルネス風にファクトを見ろ。


あの泥酔事件で失ったものは、使い古した財布やら携帯やらで、金額計算すると7,000円ぐらいだろうか。
ファクトでいうと7,000円足らずだ。



そんなこんなで、ボクは再びお酒を飲み始めた。

強引な隠喩を自分に使って洗脳して、ただ単に禁酒を辞めた、という話にも見えなくもないけれど。


===

さて、次の挿話に差し掛かろうか。

「清澄白河、身ぐるみ剥がされ事件」は直近事件の一側面にすぎず、これだけで物事の本質を捉えることは出来ない。
他の逸話、7つの逸話の謎を解きほぐして、総合して、解決させなければ、世界平和を実現することは出来ない。
ドラゴンボールだって7つ集めないと神龍(シェンロン)は出てこないし、里見八犬伝だってそんな感じだ。

「上野、蔵前警察署独房事件」
「上野、階段落ち救急車事件」
「赤坂、全裸チョークスリーパー事件」
「幼稚園のママ会クリスマス泥酔事件」
「幼稚園のママ会花見泥酔事件」

すでに物語ではお巡りさんが多く登場してきている。
蔵前のお巡りさんは池袋、歌舞伎町のそれとの共通点はあるのだろうか。その共通点を見出すことによって、「酒」の謎、泥酔の謎を解く鍵が見つかるのだろうか。

●蔵前独房事件

僕は朝起きると独房でオシッコが漏れそうだった。冷たいコンクリートに寝そべっていた。いつの間にかジーパンのベルトが無くなっている。(これは首吊り自殺防止のため)

鉄格子の前に階段が見え、ここは2階のようだった。このフロアには誰もいないようだった。

僕はアメリカ映画で観たように、鉄格子を両手で握って、階下にいるであろう誰かに向かって、

「すいませーん、すいませーん。トイレに行きたいんですけど。すいませーん」

と、どれぐらいの声量を出せば聞こえるのかも分からないので、丁寧な言葉、かつ、ちゃんと階下に響くようにお腹に力を入れて、合唱部風に「すいませーん」と歌った。

昨晩の記憶はあまりないが、三人の若い警官に囲まれて、「大丈夫っす、大丈夫っす」と喚いていたような気もする。

●上野救急車事件

上野の階段落ち救急車事件については、事件性を感じるものがある。
気づくと妻から買ってもらったばかりのポロシャツがボロボロの破けている。
その日の会食は男5名ぐらいで上野の安い中華料理屋で、上場企業の社長ばかりだった気がするが、何者かがポロシャツを破いた可能性が高い。
僕は紹興酒で泥酔し、中華料理屋の階段を風間杜夫のように滑り落ち、首を痛めて、そのまま人生初めての救急車で運ばれたようだ。


●赤坂全裸チョークスリーパー事件

赤坂の某高級マンションで起きた事件だ。起業家のギリギリトークが面白くてついつい一人で勝手に赤ワインを飲みすぎてしまった。気づくと同じ大学出身の若手起業家に脱がされた。「おい、おっさん、黙れ」などと恫喝されたような記憶も薄っすらある。数年間、相談に乗ったり、お金を貸したり、面倒を見てきたヤツだった気がする。裸になった僕に同じく若手の投資家がチョークスリーパーをきめている写真が翌日何者かによってfacebookに公開されていた。(顔はモザイクがかかっていたが)

いずれの事件も物語の詳細、ファクトを見ていかないといけない。ざっとした概要を見るだけでは、単なる「泥酔」というファクトに対峙するだけだ。

===

●影響
 龍馬伝
 遺伝(父)


「龍馬伝」の影響は確かにある。これらの泥酔事件は主に30代以降の、結構大人になってからの事件である。そう、僕は20代は働きづめでお酒を飲む機会も少なかった。NHK大河ドラマで「龍馬伝」が放送されたのは2010年、平成22年、僕が37歳の頃だ。僕は小さ頃から読書をしてなかったので、司馬遼太郎を読んだことがなかった。でも、孫正義さんも坂本龍馬がいいだの、他の起業家も似たようなことを言っていたので、いつかは読まなければと思い続けて、15年経ってしまっていた。一度小説を読んでみようと思ったのだが、1巻の黒船が来るあたりで挫折してしまっていた。今回テレビ放映されて、しかも主人公が僕の好きな福山雅治さんということで、録画して毎週観ることにした。

坂本龍馬って一体何がすごいのか?何をした人なのか?何でそんなに尊敬される歴史上の偉人なのか。
ドラマを見ていると、脱藩してから何となくいろんな人と仲良くなるために、居酒屋みたいなところでお酒を飲んでて、「●●ぜよ」と言ってるだけだった。

「何だよ、いろんな人と酒飲んでるだけじゃねーかよ。それなら俺だって出来るぞ」

と思った。

「よし、これからは酒にコミットするぞ!」

と安易な目標設定をした記憶がある。泥酔事件は確かにこれ以降頻発している。歴史を紐解くと寝過ごしツイートやawabar通いもそれ以降の出来事だ。

====

歴史を紐解くように物事を時系列に並び替えて、重要な「要素」をあぶり出して、謎を解いていかなければならない。
「酒」とは何なのか。
「オレと酒」の関係性は一体何なのか。
平成が終わる今、我々に残された時間はあるのだろうか。

本当に神なる存在なのだろうか。
もしくは単なるコカインの代替なのか。

泥酔はなぜ起きるのだろうか。
なぜそんなハイリスクなトリップを決めるのか。
龍馬だって泥酔してたはずだ。
泥酔を決めて、同盟を仲介を決めたかもしれん。

バカなのか。
俺はバカなのか。


おっと、残念ながら、こんなところで、storysカタリエの文字数制限がきてしまったようだ。

これらのシナリオの真相を追うには、僕が2年連続でカタリエ大賞をとって再び筆を執るときしかない。

※添付資料:平成24年。酒にコミットしすぎて、健康診断で肝臓の数値(ガンマGTP)のグラフが天井を突き抜けた
<完>

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