ある講師の若かったころの話~苦労は若いころにした方が良い~

私の塾講師レビューは25歳から始まります。留学から帰って来て、新卒で何故か商品先物業界に入ってしまい、その後ホテルで契約社員をしていたのですが、「自分の得意なことで、人の役に立つ仕事をしたい」と思い、たまたま募集していた個別指導塾「個別指導学習会」に英語講師として入社することになりました。ちなみにこの塾なのですが、ビリギャルの舞台にもなった塾です。ビリギャルの元になった話は何となく聞いていたことがあったので、それが本やドラマ、映画になったことは驚きでした。私がその塾に入社したのは、そのビリギャルの生徒や本の作者である坪田先生もいなくなった後の話です。

 

私自身は英語講師になった理由は、アメリカの大学に留学していてある程度英語に自信があったことと、自分が高校生の時に英語が苦手だったので、逆にそういう生徒をなんとかしたいという思いでした。英語の採用試験(おそらく慶應の問題)を受け、塾長の面接で即合格をもらったので、ホテルの仕事はすぐ辞めて塾で働くことになりました。

 

しかし、最初いきなり壁にぶつかりました。アメリカの大学での読み書きには不自由しなかったのですが、文法を教えるという所で戸惑いました。正直、アメリカで使わないような構文も出てきます。(might as well とか)教えようとしても、教える側の私がわからないという状況です。当然、初期の指導は知識も自信もない状態だったので、クレームもそれなりの量ありました。今となっては正直そうだろうなと思います。

 

とにかく、初心者レベルの文法書からやり直そうということになりました。会社の計らいで、比較的難しい大学を受けない生徒が多い教室の担当にさせていただき、空き時間に文法書を読みふけって、理解して生徒にどうやって説明するかを考えました。最後はかなり分厚い「ロイヤル英文法」を読み込んでいた状態です。実験ではないですけど、生徒に実際に指導してみて、徐々にではあるのですがその教室での信頼も得られるようになりました。文法に関して自身もついてきたら、難しい大学の指導ができるように、難関大学の問題をどんどん解いていきました。その頃慶應大学を受験する生徒が多かったので、「慶応の英語」とよばれる教学社(赤本などを出されている所です)から出されている慶應の受験問題に対応した問題集や、同様のシリーズの「東大の英語」を解いていました。そういう問題を解いていて、感じたのは自分自身の英語力の向上です。昔は何となく解いていて結果も出ていたのですが、その当時からは理由がしっかりした上で問題が解ける状態になっていました。

 

そして、1年目の12月に事件が起こります。最初に赴任していた教室の英語主任をやられていた方が体調不良で辞められてしまい、急遽私がその教室に戻ることになりました。その教室には、医大を目指す生徒4人を含め、難関大学を目指す生徒が数人いて、かなり大変な仕事になると思っていましたが、結果はそこまででした。

 

赴任して教える内容を見たのですが、「思っていたよりもたいしたことないな」という印象でした。既に東大レベルの英語でも指導できる準備はしていたので、力はかなりつけていたと思います。指導に関しても、「ロイヤル英文法」を駆使し、私の言っていることに反論するものなら、「ここにも載っているでしょ」という感じで論破しました。私の指導を受けた生徒が塾長に、私のことを褒めていたそうです。そして、無事2月、3月の受験シーズンを乗り越え、何とか第一志望に受かる生徒や、第一志望はだめでしたが第二志望に受かった生徒がいて、無事ほとんどの生徒を送り出すことが出来ました。

 

この経験もあり、英語講師としてであればどこでもやっていけるという思いはあります。この時の1年は、私が英語講師として必要な知識と指導力を培う良い期間だったと思います。そんな英語講師だった時代から10年位がたち、紆余曲折の末、自分の学校(昼間はフリースクール、夜は塾)を立ち上げることになりました。今は立ち上げのための最終調整と、数学と理科の指導を研究しております。

 

のぶしのてらこや(20193月オープン)
住所:東京都新宿区弁天町177番地 エクセル早稲田2
ウェブサイト:https://www.nobushinoterakoya.org/
お問合せに関してはこちらからご連絡ください。
info@nobushinoterakoya.org

著者の川崎純さんに人生相談を申込む

著者の川崎純さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。