中1で脳腫瘍になった私が理学療法士をするまでの話

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後日、普通の病棟へと戻っていきました。

 

病室での抜糸の時のことです。

ここで人生最大の痛みを経験しました。


「ん。ここだけくっついてないな」

突然、頭にホッチキスみたいなもので

バチンとされました。


「痛ったーー!!」


病室中に声が響きました。

これで、術後の処置が終わりました。


無事に終わりましたが、

もしかしたら再発の危険性があるかもしれない

ということでした。


手術した左頭部に放射線治療を

八月の約1ヵ月(夏休み中)

受けることになりました。

  

そのときは中1の夏休みが

全部潰れて最悪だ

としか思っていませんでした。

 

また、右半身の麻痺を取るために

リハビリが始まりました。

 

 脳を圧迫していたものを取ったためか

すぐに右半身の機能は戻っていきました。


自分で歩けたり

食事を取れるようになるのに

時間はかかりませんでした。


「あっという間に良くなるとは思ってなかった。

 二ヶ月苦しんでいたのがすぐに消えるなんて」

と思いました。


 歩けるようになって

日常生活ができるようになると、

病院と併設している養護学校に

放射線治療を受けながら通いました。


放射線治療はかゆかったりしたものの

痛みは全くなかったし、

一回の時間もそんなにかからなかったから

苦痛ではありませんでした。

 

ただ、放射線治療の副作用として

左側の髪毛が徐々に抜け落ち、

最終的にはなくなってしまいました。

 

事前に治療の副作用は聞いていたので

仕方ないか」と受け入れられました。


そんな生活を九月中旬ごろまで送りました。

 

放射線治療も終え、

体が元気になった僕は、

地元の中学校へ戻ることになりました。

 

がないことが恥ずかしかった僕は、

学校に黒い帽子着用の了承を得て

学校へ行きました。

 

正直学校へ行くのに

少しは抵抗がありました。


それは、髪の毛のことで

なにか言われるのではないか

と恐怖心があったからです。


そんな心配をよそに、

同級生の半数は小学校から付き合いで、

復帰しても昔と同じように

接してくれました。

 

もし、ここでいじめだったり、

変な距離感を作られていたならば、

今の僕は存在せず、

引きこもりになっていたかもしれません。

 

この時期が今の人格形成を作る上で、

大きな転機となっていたと思います。

 

明るいままの自分でいれたから

勉学に励み、高校・大学へと行けました。

 

今でも頭部の状態は変わっていませんが、

さほど、気にはなりませんし、

気にしても現状は変わりません。

 

今は、理学療法士として仕事をしていて、

人の体を良くする方面で頑張っています。



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