家族の崩壊 11 「母は捨て子ではなかった?!」

前話: 家族の崩壊 10 「稼業の人と遊び回る日々」
以前書いた記事に、 

*俺の母は長野県中野市の、とある民家の軒先に捨てられていた捨て子である* 

と書いた。 

だが最近、この文章を書くことで自分自身の過去を振り返ったり、記憶を手繰り寄せる作業をしていく中である疑問点が浮かび、もしかしたら母は捨て子ではなかったのではないだろうかと思うようになってきた。 


いや、ないだろうかと言うより、捨て子などではない! と断言出来るとさえ思っている。 


だからと言って、母が実の両親に育てられていない事に変わりはないのだが…。 





母の旧姓は「ヤマモト」と言った。 

母は捨てられていたとされるこのヤマモト家で15才までを過ごした。 

そして中学卒業と同時にヤマモト家を離れ、兵庫県尼崎市にある、ある会社の寮に住み込みで就職している。 



やがて父とこの会社で出会った母は、結婚し東京で暮らすようになった。 




何年かして俺が生まれ、それからまた数年して弟が生まれた。 





そして俺が小学校一年生の頃、母は俺と弟を伴って、この育ての親である「ヤマモト家」を訪ねている。 


ちなみに俺はこの「ヤマモト家」の人間を誰1人記憶してない。 

全く記憶が抜け落ちている。 


そしてここからが話の本題なのだが、実はこの長野訪問から半年後、母の実の父親だという人の存在が明らかになり、母は再び俺と弟を伴って実父が暮らしているという埼玉県秩父市を訪れている。 




母の実父には、俺達兄弟は勿論、母も初対面である。 


初めて対面した母方の祖父は、眼鏡をかけていて、随分と痩せ細っていた。 

そして両足が不自由で、歩けなかった。 



記憶にあるのは、母が祖父と対面した時、ずっと静かに泣いていた事…。 


そして祖父の名字も、育ての親の家と同じ「ヤマモト」であったという事。 


今まで深く考えなかったが祖父はきっと母の事を、見ず知らずの人の家の軒先に捨ててきたのではなく、血縁関係のある兄弟、または親戚に託したのではないだろうか? 



そしてかなり密に連絡を取っていたのだろう。 

母が祖父に逢う半年前に長野を訪れた理由は、この実父の存在を明かすために「ヤマモト家」が母を呼び寄せたのではないだろうか? 

母はこの「ヤマモト家」でともに暮らした、血縁関係のない姉と頻繁に連絡をとっていたので、母の消息などは逐一祖父の耳にも入っていたのかも知れない。 

となれば祖父が里親であるヤマモト家と同じ名字である事も合点がいく。 


縁者であるが故に母の情報も入手でき、そして機を見て母との対面を育ての親の方に申し入れたのだろう。 




ちなみに祖父は義足ながらタクシーの運転士をしていた。 

家の中での移動は、専ら座った姿勢で足を投げ出し、手を松葉杖のようにして進んだ。 


言葉はどもりが酷く、何を話しているのかは一回では聞き取れなかった。 


祖父が歩けなくなった理由は、ある時車を運転中、女の子が突然車の前に飛び出してきたのだそうだ。 

祖父は咄嗟にハンドルを切り、はねるよりはましと壁にぶち当たる方を選んだ。 

女の子は助かったが、その代償として祖父は歩けなくなったのだという。 



祖父は、生き物の一切を殺さなかった。 
蚊にしても蝿にしてもゴキブリにしても、一切殺したりはしなかった。 



恐らくは、その様な不自由な身体になってしまったため、命の尊さの様なものを感じていたのかも知れない。 

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