無給インターンから社長になった話

やりたい事がなかった人生だった。何も熱中する事がない。それがコンプレックスだった。「これが僕のやりたいことだ」と言えるものを見つけたかった。それが自分らしさになると思った。
大学5年目。もがいた末に、やりたい事を幸い見つけられた。
人生の体験談を共有し、価値を生み、保存するサービスを作りたかった。理由を話すと長くなるが、人生で初めて見つけた「自分のやりたい事」だった。
そのwebサービスを作るために起業しようと決め、少しずつ準備をして上京した。しかし、僕がまさにやりたかったようなサービスがすでにあった。
「みんながストーリーを持っている」というコンセプト。
いろんな人たちが思い思いの人生のストーリーを投稿していた。僕が上京するちょうど1ヶ月前にリリースされたサービスだった。夢にまで見た光景がそこにあった。感動した。しかし、自分がやりたかったことは、もう誰かがやってしまっていた。涙が止まらなかった。
僕はその会社の無給インターンとなり、その6年後、
そのサービスを運営する会社の代表となった。
それが「STORYS.JP」だった。


西新宿のシェアハウス
重いスーツケースをごろごろと引きずって向かったのは西新宿。都庁や新宿中央公園の横を通り過ぎ新居に向かう。東京は車が多い。
新宿の新居というと聞こえはいいが、入居するのは古びた一軒家のシェアハウス。庭には竹が生え、大きくて古い玄関戸にむかって飛び石が並んでいる。雨水が伝う鎖樋が瓦屋根から地面に伸びていた。
「ここは、もともと連れ込み宿(=ラブホテル)だったそうです。」
不動産屋のお兄さんが言った。僕の部屋は、その連れ込み宿の一階、玄関入ってすぐの受付人の待機部屋のような所で、四畳半の畳の部屋、備え付けの家具が置いてあり、布団を敷くと部屋が布団で埋まった。
黄ばんだ布団が押入れにしまいこまれている。
2013年の4月7日。そこで寝泊まりしながら、webサイト制作を行う日々が始まった。歩いてすぐの図書館に通ったり、「ドットインストール」というプログラミング学習の動画サイトで、webサイト作成に必要な言語を学びはじめた。webの知識は0だった。
僕はどうしても「人生経験を蓄積・共有するサイト」を作りたくて、ノートに手書きのサイトイメージを書きながら、ああでもないこうでもないと日々悶々としながらサイト制作の勉強に励んでいた。
日銭は貯金を使ったり、日雇いの派遣バイトをしたりする。
初仕事は銀座などにある百貨店内の衣料品店の商品の陳列棚を作る仕事。夜の12時に指定された集合場所に集まった。大体30人ぐらいの人がいた。20代の人もいるが大体30代40代。なかには50代ぐらいの人もいた。顔が真っ黒で歯がなくニヤニヤしているおじさんや、3日ぶりに自宅から出てきたようなスウェットの人、頭髪がはげていて実に真面目そうなおじさんがいた。みんな大体初対面でその日のために集められたような、よそよそしさがあった。
夜中の12時頃に集まって、その後リーダー的な人に連れられてぞろぞろと百貨店の中へと入った。1階の化粧品売り場の横を通り過ぎて、3階の衣料品店に向かう。化粧売り場では化粧部員の人がメイクを落としていた。
何に使うか全くわからないような部品を言われたままに組み立てていくと、見慣れた洋服棚になっていった。昼間に婦人が買い物を楽しむ銀座の百貨店の洋服棚が、深夜にこうした男たちの手によって組み立てられているのかと思った。
仕事が終わって「三田製麺所」というところでラーメンを食べた。
「ここがうまいんだよ。おれは好きだぜ〜」と聞いて4、5人で入った。
麺をすすりながらみんなで話す。リストラされた。夢を追いかけている。みんないろいろな人生だった。
今では見慣れた「三田製麺所」に入ると、たまに当時のことを思い浮かべる。みんな元気にしているといい。
シェアハウスには、いろんな人たちがいた。全部で13部屋あったはずだ。歌舞伎町で働くホスト、建築事務所で働くイケメンお兄さん、アニメ製作会社で働く人、かつてオシム監督の元でプレイしていたサッカー選手Sさん、美大出身で今はフリーターで小説を書いているFさん、元スタイリストで同じく小説を書いていたHさん。そこに、ちょっと変わった管理人のおじさんがいた。

管理人のおじさんは、僕たちと同じくそのシェアハウスの住人なんだけど、どういうシステムか、そのシェアハウスを管理すれば低家賃で入居できるということで、そのシェアハウスに住んでいる方だった。沖縄からこられた60,70代ぐらいの方。肌は黒く焼けて快活でお茶目なおじさんだった。のっそのっそと歩くがその体はしっかりと筋肉があった。元体育教師だった。教師を定年退職し、老後をどのように過ごそうかと考え、「これからの時代は英語だ!わしは、英語を勉強するんだ」ということで、娘さんと奥様を沖縄に残し、1人英語を上京し、英会話学校に通っていた。

個人的には、沖縄の方が英語を勉強できる機会が多いように思うのだが、なんとも豪快で愉快で少し変なおじさんだった。山川さん(仮名)と言った。
僕も以前海外に留学していたことがあり、英語が話せたので、山川さんの提案で一緒にいて英語を話せる時は、英語を話すことになった。あと、お互い別々に自炊していたわけだが、自炊をすると食材が余ることが多いし、手間もかかるので、家事を分担して、夕飯は僕が作り、朝食は山川さんが作ることにもなった。これも山川さんの提案。
山川さん「ヘイ、ミスターキヨセ! ワットイズ トゥデイズ ディナー??」
18時前になると、そうやってリビングにやってきた。
僕が料理を作る間、山川さんは相撲などを見ていた。
「あっはっはっは。ソーファニー」
一緒にお酒を飲んで、バラエティー番組を見たこともあった。

朝起きると新聞を広げ、訝しげな顔をしていた顔をしていた。
なんだっか忘れたが当時の政治状況を快く思っておらず、それに対して
「ノットグッド、ノットグッド!(怒)」
山川さんは怒っていた。
2人でケンカもしたことある。
(今思えば、すごく仲よかったなあ)
「住めば都」とはよく言ったもの。そんなこんなでシェアハウスにも慣れてきた訳だが、一向にサイトの制作が進まなかった。自分が行いたいことをどういう風に実現したらいいかが分からない。

ニートのような生活をしながら、サイト制作を1人行うのはなかなか辛いものだった。facebookをみると、就職をした友人たちの新入社員歓迎会で盛り上がる写真が並ぶ。自分は、大学を出させてもらっときながら、夢を追い、といえばかっこよくは聞こえるが、社会から取り残されている感覚は果てしなかった。
それでも、どうしても「人生を共有するサイト」を実現したかった。

しかし、もうすでにあった。

ある日、作業の合間facebookで暇を潰していた時、友人がいいねしているサービスがあった。なんだろうと思ってクリックしてみると、「みんながストーリーを持っている」というキャッチコピーのもと、人生の体験談が”ストーリー”として投稿されているサイトがあった。
まさに自分が夢に描いていたような光景がそこに広がっていた。
それが、STORYS.JPだった。
泣いた。やりたかったことは、他の誰かがやっていた。僕がようやく見つけられた「やりたかったこと」は、他の誰かがやっていたのだ。
もうただの惨めな無職の23歳が新宿のボロボロのシェアハウスのリビングで座っているだけだった。僕が上京するちょうど1ヶ月前に始まったサービスだった。
お昼ご飯食べ終わったころから誰もいないリビングで声を押し殺して咽びなくように泣いていた。そのまま眠りに落ちて目が覚めた頃には、部屋はオレンジ色の光が満ちていた。
それでも、まだ心が落ち着いていなかった。STORYS.JPのことを考えるだけで途方にくれた。
心臓を含めて体が誰かにもぎ取られ、遠くの方に運ばれてしまったようだった。残っている体に意識はあるが、それはもはや自分ではない。僕の本体は、向こうにある。
僕はやりたい事は、自分らしさだと思う。何かを求めること、何かを好きだということ、胸を張って、僕はこれがやりたいと言えること。何かに熱中できること。生きたいという欲があって、生きていて、よりよく生きたいとう欲があって、何かを欲する。そこに人間としての自分が宿る。
ずっと引っ込み思案で、人に合わせていきてきて、そんな自分を変えたくて、無我夢中で走ってきた8年間、ようやく見つけた自分が命を使ってもいいと思えた、そのやりたい事が、他の誰かがもうやってしまっていた。サラッとやってしまっていた。
23歳にもなって、webのコードをろくにかけず、日雇い労働をしている自分が恥ずかしかった。
おじいちゃんに誓ったあの約束はなんだったんだ。おじいちゃんごめん。
別に、そんなに悔しいならSTORYS.JPよりもいいものを作ればいいのだ。でも、当時の自分にとってSTORYS.JPはドンピシャだった。すでにビリギャルがバズっていて、優秀なメンバーで運営していて、僕は1人でボロいシェアハウスに暮らす毛の生えたニートだった。
そうして思ったのは、何としてでも、ここに入る事だった。求人応募をみるとマーケティングインターンの文字。マーケティングがそもそも何かわかっていないので、ググって調べる。履歴書とメッセージを送れるようになっている。
本当に入りたい会社なのだから、今の自分が出せうる本当の意味での最大限の事をしないと、確実に後悔する。本当に好きな人だから、捨て身で、本当に告白するのだ。全てを出し切って、だめだと言われたら、それでいい。そう思えるくらい、出し切ろうと思った。
履歴書はただのPDFのテンプレのような履歴書を送っても何も面白くないし、あんな文字だらけのものでは何も伝わらない。他の候補者に差をつけるべく、パワポでプレゼン資料を作ろうと考えた。
ちゃんとSTORYS.JPを使用し、ストーリーを読むだけでなく投稿した。サービスをくまなく使って、自分が思う課題を挙げ、それの改善点について考えた。ビジネスアイディア(施策アイディア)を2個作った。
・ストーリーを使った広告は PR力の高い広告商材にもなればコンテンツにもなるということ。
・自由に投稿するだけだと、コンテンツの内容がバラバラで、その記事が何について書かれた記事なのかがぼやけるため、読んでて面白くなくなる。そこでテーマを設けて募集し、エッジの立った記事を募集すること。
これを盛り込む事にした。
でも、ただプレゼン資料を作っても物足りない。よくあるプレゼンテーション資料だ。
最大のインパクトにはならない。だから、デコる事を考えた。
STORYS.JPのファビコン、(パソコンのブラウザのタブの左側のアイコン)を模して、表紙を作った。
当時のSTORYSの記事ページは、本を広げたようなデザインをしていた。これを真似して、パワーポイント資料を本をめくっているようなものに仕上げようと決めた。パワーポイントの図形機能等で、そのようなギミックを行う事はほぼ不可能だが、僕にはphotoshopやイラストレーターといったデザイナーさんが使うものは使えない。むしろ貧乏すぎて買えないし、買っても勉強してる時間がない。そこで、僕が唯一使えた、イラストツール。昔からwindowsのPCに必ずついてくる「ペイント」ツールを使った。ひたすら使った。
履歴書を送ると、返事が来て「ぜひ君に会いたい」と当時の社長、ジェームスさんから連絡が来た。
二日後、渋谷駅から六本木通りの坂を上り、青山学院初等部前のわき道を進み閑静な住宅街の中にシェアオフィス The Scape(R)に向かった。
でも、結果は無残だった。喋っているとジェームスさんの顔がみるみるうちに曇っていった。もうだめだ、と思った。
帰り道。
「はぁ〜、ダメだった。」と肩を落として歩いていた。
でも不思議と気持ちは落ち着いていた。話してみて、彼らの能力の高さが分かったからだ。少数精鋭の会社。ジェームスさんも年は僕より一つ上だが、外資系金融出身の優秀な人だった。アメリカ出身なのに日本語が流暢。そして、彼にとっては外国で起業している強者だった。当時24歳だった。
一方、僕はペイントしか使えないニートだった。落ちても当然だと思った。
「一から修行だなぁ・・・。」
そう思いながら、渋谷駅までの坂道を歩いてくだっていった。
それから1週間ほど時間が経った。
むくむくと「やっぱり入りたいなあ...」という気持ちが湧いてくるようになった。思い出すたびにその気持ちがこみ上げた。

山川さんの一言

山川さんと夕飯を食べている時に
「山川さん、あの入りたいって言ってた会社落ちちゃいましたよ」
「あぁ、そうか。残念だったなあ。」
「本当に入りたいんですけどねえ。」
「・・・そうか。そんなに入りたいんだったら、もう一回アタックしてみたらどうなんだ?」
「もう一回ですか?」
「そしたら熱意も伝わるよ。もし、それでダメだったら諦めてもいいだろうけど、もう一回くらいアタックしてみたらどうだ。・・・女と一緒さ!アッハッハッハ」
山川さんは、ちょっと笑いながら、それでも真剣な眼差しだった。
「わかりました、もう一度アタックしてみます」
僕は電話をかけてみる事にした。
本当に入りたいこと。無給でもいいから、どんな雑用でもいいから仕事をさせてほしいこと。まだまだ未熟だけど、がんばって力をつけること。
といった事を英語で伝えた。
ジェームスさんは、
「I respect your passion, but important thing is execution. You know right?」
「Alright, please come to our office tomorrow.」
想いが通じた。汲み取ってくださった。
その後、僕の試用期間は始まった。約1ヶ月間、僕の働きぶりを見る。それ次第で決めるよ。
そこから僕の仕事が始まった。
凄く緊張したが、楽しい。綺麗なオフィス、ガラス張りで、テラスで作業している人もいる。僕なんかが作業してていいのか感が半端なかったが、心は踊った。
そうして、続々と新しいメンバーも現れた。
エンジニアの溝部さん(ジェームスさんと彼が外資系金融会社で出会った事で始まった)、CTOの和田さん(コインチェックを作った方)、CMOの大塚さん。
溝部さんが一緒に帰ろうと言ってくださった。
緊張しっ放しでろくに話せなかったが、溝部さんが僕のペースに合わせて質問を重ねてくれて、僕は自分の想いの丈を伝えた。
2013年6月30日の終わり。ジェームスさんからメールが届いた
”In regards to your internship, I've decided to have you join us as a part time intern!" 
心臓が飛び出るほど嬉しかった。元プロサッカー選手 のSさんが、自分のように喜んでくれた。
山川さんにも報告すると、
「グッジョブ!!ミスターキヨセ!ナイス!」
試用期間を経て、僕は晴れて無給インターンとなった

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