いらない子

次話: いらない子2 幼児の頃
私は富山の片田舎である映画の最終回でも使われた景色の綺麗な月岡という町に生まれた。そして、その町で母親から凄まじい虐待を受けて育った。
私はこの町を悪魔の巣食う町と心の中で呼んでいる。当時は気づかなかったけれど、住民たちの態度は私にとって悪魔そのものであった。
同じ学区内に住んでいた祖父は元警察官で自分の娘の犯罪をもみ消していた。そして外孫である私のことが嫌いだった。
私は今になり、なぜ昔の自分は誰かに助けを求めなかったのだろう?と不思議に思うけれど、虐待を受けることが恥と思っていたし、もし誰かに話したところ(実際は二度助けを求めているが、助けてもらえなかった。)で祖父がもみ消し誰も助けてくれないと諦めていたのだろう。
母がなくなったとき、私は母の面倒をみなかったと祖父母から縁を切られた。そして、祖父母が入院していた富山市民病院や役所を含め、色々なところに親不孝な娘と言いふらされた。彼らは私に対して金銭的な援助をしてやったのに…という、「やってやった」という話を繰り返すだけで、私に対して長年行った精神的、身体的な暴力については一切の秘密を貫いた。
そんな私のこれまでの人生を、自分の名誉にもかけ、語りたい。
これをみた人の中に、今、虐待に合っている子がいれば…私のようにならないためにもSOSを発信してほしいと思う。
受けた傷は時が解決してくれるわけではなく、逆に時が経てば経つほどに深くなっていく。今も動悸が起こり、文章にするのも怖いけれど、自分の傷に向き合うためにも事実をこれから何ら着色をせず、描いていこうと思う。
主な登場人物 ※偽名です
私のこと。現在三十代であり、子どもの頃の話は今から30から20年前のこと。未だに祖父母から受けた精神的暴力と、母から受けた精神的、身体的虐待のトラウマが大きく、精神的に不安定。
※私の学生生活については別のストーリーをご覧ください。(まだストーリー書き終えていませんが…)
U R子(故人)※旧姓
私の母。昔から色々な人に暴力を振るい私にも様々な精神的、身体的虐待を繰り返す。富山県内でも有名なおかしな人だった。
警察沙汰にもなるが、最後には祖父が謝りなかったことになる。本人もそれを知っており、開き直っている。
U T義(故人)
私の祖父。元地元の警察官。私のことを役立たずの娘(私の母)の子どもであり、外孫のくせにと忌み嫌っている。口が上手く周囲を丸め込む。
U Y子(故人)
私の祖母。専業主婦。内孫に暴力を振るった私の母から産まれた私のことも嫌っている。事あるごとに「私の内孫はあんたの母に暴力を振るわれて病院で検査を受けた。可哀想。」と繰り返す。
D子
母の姉であり、私のおば。私の母や私のことが大嫌い。母が亡くなった際には、祖父母に嘘をつき私を祖父母から絶縁させることに成功。
その他
祖父母の内孫
私と同じ歳の男性と、3つ上の女性
おばの夫
祖父母の婿養子
以上、次話よりストーリーをはじめます。
※追記※
千葉県野田市の児童虐待について思うこと
私はこの投稿でも書いているように周囲に相談することができませんでした。今回亡くなった女の子はきちんと自分の被害を周囲に相談していたと報道されています。まだ10歳にも満たないのに、きちんと被害を周囲に話せた彼女はすごいと思います。だからこそSOSを発信できていた彼女が殺されたことに怒りを感じます。私はたまたま虐待で死なずに大人になれただけです。もし私が母に殺されていたとしても、事件は揉み消されニュースにもならなかったと思います。
日本を含めアジアでは、子どもは親の所有物という考えが濃く残っています。この考えを根絶しないことには虐待はなくならないと思います。
#富山県 #児童虐待 #毒親 #不正 #揉み消し #悩んでいる人 #生きてほしい
#DV #家庭内暴力

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