死への恐れ 悟りを求めて 学生編

次話: 死への恐れ 悟りを求めて 歓喜編

「死」が恐ろしい。

幼少の頃、何よりも怖かったのがそれでした。
何故かって、自分が消えてしまうなんて考えるだけで嫌になるから。それが第一の理由だったと思います。
強く死を恐れるようになったのは、4歳頃だったと記憶しています。私は兵庫県明石市に生を受けました。
当時、明石の幼稚園に通っており、同じ園児が蝶の幼虫を分解して遊んでいたのを見た。デロデロの枝豆のような内臓が中から出てくるのを見た時はショックだった。さっきまであんなに動き回っていたのに。
5歳になって集団でいるのに嫌気が差して、機を見計らい自力で幼稚園の門を乗り越えて自宅まで帰宅した。この頃からどうしようもなく他人と馴染めなかった。
同じく5歳の頃に通行中の車に飛び込もうとして、少し車に当たってしまって母に強くビンタされた。
泣きながら一緒に家に帰って、母がお腹を空かした僕のためにお昼を作ってくれて、独りトイレでサッポロ一番醤油ラーメンを泣きながら食べました。
幼稚園児の頃から服を脱がされたり、転ばされたりとそんな目にあっていました。そんな所ではあったけど、たった一人取っ組み合いの喧嘩になっても親友になったM君がいる。
そのM君とは今でも唯一無二の親友です。家族ぐるみでの付き合いになっております。
幼稚園は卒園式に出られなかったと思います。高熱を出して…
小学校に入学、一年生になる。ランドセルを祖母が買ってくれた。それに給食袋を付けて溌溂と家を出る。あっと驚いた…なんと、いきなり集団登校でもハブられちゃった…。
担任のM先生が怖くて学校に行くのが嫌で、親に泣きながら行きたくないと懇願していました。一年生からもう大変…僕よりも親が特に。
今思えば、その担任の先生は優しさから来る厳しさだったんだなと思います。みんなに公平な方でした。
一人で遅れながら登校するのはしょっちゅうだった。上級生が犬のフンを新聞紙に、わざわざ包んで持ってきて、踏むのを強要されたりもしました。
小学二年生になって、親友が二人になった。H君をM君が紹介してくれた。この二人のお陰で小学校に通うのが段々と楽しくなっていきます。
友人が増えても、学校に通うのが苦しいのは何も変わらなかったけど…
小学三年生になっても集団生活というものに少しも馴染めませんでした。席替えになると周りから席を離されたりしましたが、担任のO先生が宥めてくれて何とかなりました…ここまでくると僕に原因があったのでしょうね。
小学四年生になって、超スパルタ先生が担任になりました。春休みも学校に来らせられたのは、僕を含めての三人でした。全校生徒の中でです。
内一人はそれが嫌で登校拒否になっちゃいました。しかし、そのスパルタ教育のお陰もあってか、漢字に多少は強くなり、本もより多く読むようになっていったと思います。今では一切に感謝です。
小学五年生と六年生も大体似たような感じでしたが、下級生が僕に暴力を受けたと吹聴して家族みんなでその子の家まで謝りに行きました。今でもそれは少し悔しいです。
この頃に父方の祖母が他界しました。あまり深い関りもありませんでしたが、物凄く悲しくなったし、父が静かに泣いているのを初めて見ました。
人は死んだらどうなってしまうんだろう?
父方の祖母のお葬式で浄土真宗の住職様がこちらの心を読んだように「死んだらどうなるか?それで多くの人は悩んでいます。」と答えてくださいました。何で心中を見抜かれたんだろう?
ここから本格的にスピリチュアルや宗教世界に傾倒していったように思います。マヤの大予言やら霊言やら気功やら精霊やら、もう見境なしに読み漁りました。仏教には何故かあまり触れなかったという…
小学校の卒業式は合唱中に失神してしまって、途中退場しました。緊張からだったみたいです。
中学校に入学しました。
地獄でした。
殴る蹴るは当たり前でお弁当をトイレに捨てられたり、体操服を隠されたりしました。教師はそれらの行為を誰も咎めず、ただ見て見ぬ振りを貫きました。
日中当番というのがあって、一つでもミスをすると延々と当番をしなくてはいけないのですが、僕は一年ずっと当番でした。何故かというと、親友だと思っていたH君が僕のした戸締りを全て台無しにしていたからです。
それだけでなくクラス中での取り決めでそうなっていたようです。
教師もその事を知っていましたが、見て見ぬ振りを貫きました。
そして、僕がみんなから笑われている時、一緒に教師も笑っていたのです。「イジメはダメ!」と書かれた横断幕の教室前で、殴られ蹴られました。段々と人間不信に陥っていきます。
中学一年の一年間、こんな事があっても何とか無欠席で通ったと思います。親が怖いから。周りから落ちぶれたくないから。必死でした…
でも中学二年生はダメでした。もう耐えきれなかった。そしてその頃、
父が丁度亡くなりました。六十二歳でした。末期ガンでの餓死です。
最初は愚かにも僕は凄く喜んでいました。これで学校に行かなくても済むんだと思って。
それが、時が経つにつれ、後々になればなるほど悲しくなってきました。父も「シルバーパーチの霊言集」やら読んでいた。人生に苦難を覚えていたんだと気づいていって…
共に過ごした僅かな楽しい思い出が牙を剥いて来ました。罪悪感で夜も眠れなくなっていきます。
「死」とは何なのか?悩みはグルグルと頭を回り続けて、僕は、より深く内に引き籠るようになり、中学校も通わなくなりました。
親友のM君だけは不登校になってからも我が家を度々訪ねて来てくれました。僕が会いたくないと追い返しても、遊びに来てくれました。感謝です。本当に親友です。
その頃はスピリチュアルの本をよく読んでいたかと思います。本には死についてのそれらしい答えがやんわりと書いてありますが、僕は安易に答えを決め付けたくなかった。心からの安堵を求めておりました。
不思議な事が起こりまして、より精神世界に傾倒するようになっていきます。
父の一周忌、お坊様をお呼びしてお経を読んで頂きました。その時、仏壇の裏から大量の30匹を超える蠅が一斉に飛び出して来ました…。住職様も困惑しておりみんなで呆然と、愕然としていました。後で、仏壇の裏を見ても、壁だけでどこにも通り道なんてないんです…本当に不思議でした。
引き籠っている頃、古いパソコンを母の友人のH田さんという方がくれました。

この方は凄い方で、警察署の前で首を切ったり、詐欺?で捕まったり水〇真紀から花束貰ったなど平気で言える虚言癖もある方です。
しかし、貰ったパソコンのお陰で知識も増えて、また同じ引き籠りの方たちの意見も見えて…僕の狭い世界が広がりました。確実に助けられました。
知らなかった覚者と呼ばれる方々、ジッドゥ・クリシュナムルティやラマナ・マハルシ等を知ることが出来たので見識が広がったのです。

もう中学校に通うのは嫌でしたが中学三年になる頃に親の懇願もあって一日だけ出席しました。その初日以降また引き籠りましたが…。
高校は行きたくなかったのですが、母の願いもあり定時制に通うことになりました。受験時から周りが金髪だったり、ピアスしてたりで心臓はバクバクでした…
勝手に恐れてただけで実際に話してみると優しい人でしたけど。見た目だけじゃ分からない事もあるんですよね。
高校生活は想像よりもずっと楽しかった。ヤンキーかオタクか別の何かの三極でしたが、みんな優しくて他人に配慮してくれる人ばかりでしたし、教師が何より素晴らしかった。
疑問に答えてくれるし、まともに返事をしてくれる。そしてここでも何とか友人が出来て嬉しかった。
高校も途中で表向きは不登校になります。三年生頃、ヤンキーに目を付けられ殴られて通えなくなりました。
生徒会役員になったりボランティアに参加していたことが評価されて何とか別教室通いで卒業まで何とかこじつけました。教師が親身になって私の味方になってくれてよかったです。感謝。
今思えば、幼小中高校と卒業式をまともに出れていないです…。
それでも、何とかなって集団生活から解放されました。それが一番嬉しい。

苦しく重い学生編は、ようやく終わり…歓喜編へつづく

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死への恐れ 悟りを求めて 歓喜編

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