ベトナム人の誇り 投資家として飛行機なしの世界一周 その4

 中国南部の都市、南寧から、バスでベトナム第二の都市、ハノイに向かう。そこで初めて、陸路の国境越えをした。少し緊張したがなんていうことはない。空港でするような手続きと変わりない簡単なものだった。しかし、国境を超えると外の雰囲気が急に変わった。道路など、インフラのレベルがガクンと落ち、バイクの数が目に見えて増えた。場所によってはほとんど車が走っておらず、バイクがアリの行列のように流れている。信号がない交差点も多いのだが、何事もないようにするするとすれ違っていく。大きな交差点になると、渋谷のスクランブル交差点で全員がバイクに乗つているような状態で、迫力があった。そこでは常にクラクションが鳴り響き、排ガスが吐き出され続けていた。ハノイは二日いただけで喉を壊し、軽い風邪をひいてしまった。僕はあまりの空気の悪さに、一日療養した後、早々とハノイを出て、ベトナム中部の町、ダナンに向かった。
 ダナンのゲストハウスでは、ヨウという日本人と仲良くなった。彼はビザがなくなるまでベトナムにいて、なくなるとラオスやカンボジアに一回出国し、またベトナムに返ってくるという生活をしていた。お金はウェブサイトを作って稼いでいるというが、なんのウェブサイトを作っているかはどうしても教えてくれなかった。何か怪しいサイトを作っているのではないかと邪推したが、しつこくは聞かなかった。まだスマートフォンが一般的ではなく、グーグルマップもフェイスブックもそこまで広まっていなかった当時、ネットでお金を稼ぎながら旅をしている人は珍しかった。でも、その「稼ぎながら旅をする」というスタイルこそが、今回の旅の目標の一つだった。

  大学時代、友人4人とタイに行き、家族や彼女とするような「旅行」ではなく、「旅」、もしくは「冒険」という言えるようなものを、初めて味わった。行き先はその時々で決め、他の旅人と合流したりしながら、安宿に泊まったり、深夜列車で移動したりする、いわゆるバックパッカー的な旅を、初めてしたのだ。僕らは最終的にヒッピーの多くいる未開の島に辿り着き、レオナルド・ディカプリオの映画「ザ。ビーチ」のような体験をした。
 それ以来、僕は旅に夢中になった。旅関連の本を読み漁るようになった。そしてタイ旅行から一年くらいたったころ、ジム・ロジャーズの「世界大発見」という本に出会った。「人生を変えた本」と言えるものが、誰にでもあるわけではないだろうが、僕ははっきりとこの本だと言える。投資家として成功したアメリカ人のジム・ロジャーズが、車で世界一周するという話なのだが、彼は自分の知識と判断力を武器に、旅をしながら投資をしていく。自分の目で実際に見たもの、経験したことを頼りに、「この国はまだ伸びる」と思えば、株などを買うのだ。彼が投資した国は次々と成長していった。投資に限らず、この世界がどう変わっていくかも的確に分析し、昔の本に書かれていたことはほとんどその通りになっていて、まるで預言者のようだった。
 僕も元々勉強が好きだったこともあり、得た知識や経験を武器にお金を稼いでいくというスタイルに、心底あこがれた。何よりも重要なことは、自由であるということだった。働く場所が限定されないどころか、旅をして見聞を広めた方が、稼げるようになるかもしれないのだ。まして今はネットの時代。ネットさえつながっていれば、どこでも簡単に投資ができる。休みも自分の裁量で取れて、長期旅行にも出れる。終始屋内で仕事が出来るので、満員電車に揺られる必要もない。
 そういうわけで僕は大学四年生の時、個人投資家になる決意をした。バイトで貯めた軍資金、百万円を元手に始め、最初の半年で50万まで減らしてしまったが、そこからは勝ち続けた。ライブドアショックやリーマンショックもあったが、四年かけて十分なお金を貯めた。そして大学卒業時、「27歳になったら世界一周をする」という目標を無事叶え、旅に出たというわけだ。そしてこの旅でも長期投資を中心に、せめて旅代ぐらいは稼ぐつもりでいた。

 そういうわけで「旅をしながら稼ぐ」というのが僕の目標だったわけだけど、ヨウもネットを使って稼ぐ同じような人種だったため、僕らはすぐに意気投合した。ヨウの話によると、他にもマッサージをして稼ぎながら旅をしている日本人がいて、彼はもう10年以上も旅を続けているということだった。ヨーロッパには大道芸をしながら旅をしている人は多くいるし、ネットに限らなければ色々なスタイルで、稼ぎながら旅をしている人たちがいるということだった。

 ヨウとの話は尽きることがなく、僕らは夜の街に出て、飲むことにした。
 店を探してブラブラしていると、露天で飲んでいる二人組みのベトナム人男性に声をかけられた。
 「日本人か?日本人なら大歓迎だ。一緒に飲もう。」
 見ず知らずの現地人と飲みに誘われた時は結構迷ってしまう。中には悪い奴らもいるからだ。最悪、ドリンクに睡眠薬を盛っている可能性もあるし、そこまでいかなくても、お金をぼられるか、支払いをさせられることも考えられる。でも警戒ばかりして現地人と話さなければ、旅をしている意味がなくなってしまう。
 とりあえず軽く話を聞いていると、自分たちが泊まっている宿の、隣の宿のスタッフということが分かった。なんだか悪い奴らではなさそうだし、ベトナムの先輩であるヨウも「大丈夫だろう」と言っていたので飲むことにした。
 「ここではバイクのことをホンダというんだ。本物のホンダのホンダに乗ってないと女の子にはモテないんだぜ。偽物も多いからな。HANDAとか書いてあるバイクを見ただろう?」
 僕らは片言の英語であれこれ話した。
 「ベトナムには可愛い女の子が多いね。特にアオザイを着ている子はセクシーだよね。後、可愛い犬もそこら中にいるね。チワワの野良犬が結構いるけど、日本じゃあまり見ないよ。」

 しばらく話していると、彼らが飲んでいる酒を勧められた。警戒はしたけれど、彼らも同じものを飲んでいたし、すでにメニュー表を見ていて、最悪支払いをさせられたとしても大した値段にはならないだろうと判断し、飲むことにした。

 飲んでいるうちに一人が身の上話をしてくれた。
 戦後間もない頃に生まれて、孤児として育ち、ほとんどホームレスも同然で、学校にも通ったことはないが、努力してベトナム語はもちろんフランス語と英語がしゃべれるようになり、今ではホテルのフロントを任せてもらっているという。(ベトナムは元フランス植民地)
 ベトナムは1975年まで戦争をしていたので、中年以上の人はみな戦争を体験しているし、若い人も青春を戦後の貧しい時期に過ごしている。

 そして彼は、ホテルのフロントはホームレスからの出発としてはかなりの成功だと誇っていた。
 「俺はじきに自分の宿を持つのが夢なんだ」
 と言った。

小一時間話をした後、勘定をする段になった。僕たちはかなり気持ちよく酔っ払っていて、いい話も聞けたし、お金を払うと言った。けれどその二人組みは、
「おごると言ったんだからおごる。俺たちが誘ったんだから、俺たちが払うのは当たり前だ」
 と言って聞かなかった。
 東南アジアでは、しつこい物売り当たり前のようにいて、外国人からお金をせびろうとする人が多いので、このベトナム人には驚いてしまった。
 ちなみにその前日、ベトナム人が戦争中に潜んでいた巨大な地下壕のツアーに参加した時、ツアーガイドがこんなことを言っていた。
 「私たちは世界最強の国と戦争をして、国が分断されましたが、決してあきらめませんでした。決してあきらめずに戦い抜いて、ついに平和と勝利を手にしたのです!私たちはアメリカに勝ったのです」
 ベトナム人からは、誇りを感じることが多かった。


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