カンボジアの闇と光 投資家として飛行機なしの世界一周 その5


 ベトナムのホイアン、ホーチミンを通って、バスごと川を渡ったりしながら、カンボジアの首都、プノンペンへ向かった。

 プノンペンに着くなり、トゥーンスレーン博物館へ向かった。
 
 カンボジアは1970年代から90年代まで、内戦状態だった。ベトナム戦争の最中、アメリカはカンボジアに親米政権を立てる必要があるという都合で内政干渉し、それがもとになって紛争が起きたのだ。紛争の最中、共産主義勢力のクメールルージュが台頭、反乱への疑いから知識人階級を虐殺した。アメリカの爆撃、北ベトナムの侵攻、深刻な食糧不足による飢餓なども合わさって、当時の人口800万のうち、200万人近くが亡くなったと言われている。4人に一人はなくなったということだ。そしてそのほとんどが、クメールルージュによる虐殺だったという。
 
 この紛争は名作「キリングフィールド」で映画化されたりもしているが、プノンペンにあるトゥーンスレーン博物館では、その生々しい記録が展示されている。僕は真実を知るためにはどんなに残酷な現実も、自分の目で見るべきだという考えだったが、さすがにこの博物館にはこたえた。クメールルージュはただ虐殺していたのではなく、ありとあらゆるおぞましい拷問で自国民を虐殺していて、その内容が写真や絵で解説されているのだ。無数のガイコツや、実際に拷問を受けた人の写真も展示されている。皆、目がうつろで、瞳の奥に何の意思も感じられない。あまりの拷問に自我が崩壊し、命があるだけの人形になったようだった。実際に使われた拷問器具と、どのようにして使われたかを解説した絵の内容はすさまじく、女性や赤ん坊まで見るに堪えない殺され方をしていた。展示を見ている人の中には、声を出して泣いている人もいた。


  行きのバスで一緒だったインド人女性と帰りも一緒になり、彼女は
 「地獄を作り出すのは人間なんだわ」
 と言った。なんだかカンボジアが怖くなってしまった。

 帰った宿は、一階がオープンカフェなのだが、その周りは鉄格子でおおわれている。その鉄格子を数人の男たちがつかみながら、「タクシー、タクシー」などと言いって勧誘をしている。そこで食事をしていると動物園にいるような気分になった。でも宿の中にいても仕方ないので外に出ると、あまりにもトゥーンスレーン博物館の印象が強烈すぎたのか、実際に虐殺が影響しているのか、なんだか人々の様子も町の雰囲気も、薄暗い感じがした。少なくとも他の東南アジアの国とは違う感じがした。

 いい印象を持たないままプノンペンを出ることになった。

 出る時、宿で何度かすれ違った日本人のカップルと話すと、彼らも世界一周中だということだった。初めて会う世界一周中の日本人。しかも夫婦で新婚旅行だという。色々と話を聞きたかったけれど、バスの時間が迫っていたのでほとんど話せないまま出発しなければならなかった。
「良い旅を」
と言って別れた。

プノンペンからシェムリアップまでのバスは、道中何度も故障した。止まって直しては数百メートル進み、止まって直しては、、、を7回繰り返した。故障の時はなぜか乗客全員外に出なければならないのだが、灼熱地獄の中でバスが直るのを待った挙句、バスに戻ってもエアコンは完全にぶっ壊れていて、ほとんど蒸し風呂状態だった。到着予定時刻を大幅に超えていたが、故障のためかランチ休憩をとることもなく、僕は準備不足で食料も水もなくなりかけていた。6回目の故障の時には、手や足の先から次第にしびれだしてきていた。故障が原因とは言え、初歩的なミスで熱中症になりかけていた。うだるような暑さの中、僕は茂みに座り込んだ。他の乗客もうんざりとした様子で押し黙っていた。まわりはただ田畑が広がっているだけで何もない。しかもところどころ干上がって白っぽくなった地面がまだらに点在し、まさに無味乾燥というにふさわしい景色だった。まだ故障は治らないかとバスの後部を見てみると、二人の運転手が黒いチューブみたいなのを交換している。いったい何をしているのか。僕は体調不良とイライラでどうにかなりそうだった。プノンペンまで132キロとの標識があるが、あとどれくらいかかるのだろう。


  そのとき、カンボジア人のおばさんが話しかけてくれた。
「どうしたの?具合が悪そうね。」
 さっきまで暑さで顔をしかめていたが、今はとても心配そうな顔をして僕をのぞき込んで
「どこからきたの}
「日本です」
 僕はのどがカラカラで、声を出すのもやっとだった。
「大丈夫?これ食べる」
と言ってバナナと水をくれた。
「ホントにカンボジアのバスは嫌になっちゃうわね。日本ではやっぱりこんなことはないの?」 
 おばさんは英語がペラペラだった。周りの人たちに、僕が日本人で調子が悪いことを伝えると、みな「YOU OK?」とつたない英語で心配してくれ、「こっちのほうが涼しいぞ」と木陰のところに連れて行ってくれた。水を飲んで少し体調がよくなった僕を見て、さっきまで無表情だったみんなが笑顔で僕を眺めていた。おばさん以外は英語が喋れなかったが、みな「OK?」と気遣ってくれた。
 結局話してみれば、カンボジア人はいい人ばかりだった。旅で本当に良いと思えるときはよい人と出会えた時だと、心から思う。
 夜にはシェムリアップに着いた時にはヘトヘトだったが、ぐっすりと眠ることができた。

翌日、アンコールワットに向かった。

普通、初めてカンボジアに来るとしたらアンコールワットが一番の目的になるだろう。でも僕にとっては旅の通り道に過ぎず、「そういえばもうアンコールワットか」という感じであまり期待していなかったので、入り口に着いた時の印象は強烈だった。今までの遺跡とはスケールが違った。
 でも途中で会った日本人たちは、
「アンコールワットは期待し過ぎて大したことなかった。なんとかワットのような静かな遺跡の方が良かった」
と言っていた。観光地の印象は、自分の気持ちや状況によって全然違うのだ。

 
 一人しきり観光を終え、宿に帰った。ベッドに寝転び、ヤモリの泣き声を聞きながら天井を見ていると、
「僕はいつの間にこんなところに来てしまったのだろう」
 と思った。

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