不器用な優しさ

バスケットボールは中学生から始めた。

正直、中学生時代の思い出は部活のことしか記憶に残っていない。毎日休みもなく朝練午後練外練とずっと練習していた気がする。そして部活仲間とばかりいた。ただひたすらバスケをして、目の前のことに必死だった。私はバスケが今もずっと好きだ。
それは紛れもなくこの時を境に            
初心者から始めて、経験者に何1つ及ばず   それでも親身に教えてくれていた顧問。当時は死ぬほど嫌いだった。褒めてくれたと思えば怒られる数が圧倒的に多かった。試合に勝ったからいいじゃん。シュート入ったからいいじゃん。それでも怒られ続けた。部活外でも、授業中何もしてなくてもよく飛び火がこちらに飛んでいた。何がそんなに気に食わないんだ。たくさんしごかれた。だから1番嫌いだった 一生好きになんかならないと思ってた。だが、どれだけ不当な扱いを受けても親は一切味方をしてくれなかった。反発で毎日練習をこなし、反発で試合に臨んでいた。そして、結局最後は不甲斐ない姿で引退する羽目になった。嫌な思いを我慢して今まで練習してきたのに、負けたからまた怒られる。そして今回ばかりは次がないから、もはや命削ぎ落とされるとも思ってた。顧問は言った。
「ごめんな。勝たせられなくて」
寝言かと思った。負けたのは自分達に能力がなかったからで負けたのは自分達の心が弱かったからで‥あれ?なんで怒らないんだ?                      
これは引退して何年か経ったあとに知ったんだけど、彼は毎日手帳に一人一人の性格とか、好きなこととか、言われたらやなこととかたくさん書いてたらしい。
ずっと私達のことばかり考えていたらしいあー。八つ当たりとかうまくいかないとかそんなんじゃなくて、勝たせてやりたくて    バスケ好きになって欲しくてそれでわざわざ自分の休日削ってまで練習して、自分の時間全て捧げるくらいに私たちに付き合って。反発なんかでバカだな私。顧問は最初から全て私たちのためにやってたのに、私は恨むことしか、怒られないようにとか自分を守ることしか、考えてなかったんだ。
だから親は私をたくさん怒ったんだ。あんなに全力尽くしてくれる先生そういないよね。
結局最後まで「ありがとう」なんて言えなかった。顧問の為に自分らは何を残せたのだろう。貰ってばかりで返せてなかった。     だから私が高校でもバスケを続けると決めて、こんな無名の中学から、強い高校に入るなんて無謀だったけど、顧問は「頑張れ」って送り出してくれて。
私が高校生になって、試合に出たことを友達のお父さんから聞いた時顧問は
泣いたらしい。
こんな不器用な優しさを持つ人を私は
嫌いになんかなれない。

著者のMeikyさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。