第8章 ドン底から1年で年商1.5億円のV字

カンボジアでのパイロット経験後、日本帰国後、沖縄で友人と民宿をすることになった。

最初の2年はまぁぼちぼち軌道に乗ってやっていたのだが、急に友人が京都のお坊さんになることになり、一人ですることになった。


急に右も左も分からないまま、僕は一人で経営していくことになった。


なんとかやっていたのだが、だんだんと経営が苦しくなり、貯金を切り崩しながらもやっていた。だが、うまくいくことはなく、無一文になってしまった為、泣く泣く地元に帰ることになった。


地元に帰りお金がない中どうしようかなぁとまた考えていた頃、アップルからアイフォンが発売された。


もともとそう言った目新しい機会が好きな僕は、お金はなかったが買うことにした。


すげぇ~!と思いながらアイフォンを愛用して2日目に悲劇は起きた。


家に帰り、玄関の扉を開き、ただいま~と帰り、携帯をポケットから出そうとした瞬間、


バキッ


ポケットからアイフォンが落下し、玄関の床で何かが割れた音がした。


拾ってみると、買ったばかりのアイフォンの画面がバッキバキに割れていた


めちゃくちゃショックだった。

当時修理をしようとすると2万円前後した。

もちろんそんなお金はない。


どうにか修理したいといろいろ考えていた頃、沖縄で民泊していた頃の知り合いに中国人がいたことを思い出した。すぐに中国人の伝手を使い、連絡とって今の状況を伝えると、アイフォンの画面が安く手に入ることを教えてくれた。


すぐに日本まで配送してくれるようお願いして、自分でアイフォン修理をした。


素人ではあったが、メカニックが好きなおかげもあってか、それなりに綺麗に修理できた。


そのときにピンときた。アイフォン修理屋さんを展開すると絶対需要があるぞ。そこから1週間でアイフォン修理のホームページを構え、知り合いにも掲載してもらい、大手のホームページにもダイレクトメールを送ると、すぐにネット上でバズった。


日本初のアイフォン修理屋さんがスタートした。


オープンしてからどんどん自分の家に日本中からアイフォンが届いた。もちろん修理をするのは僕一人だったが、一人でも間に合わないようになり、簡単な作業は奥さんの手も借りながらやっていた。


普通の一軒家が壊れたアイフォンまみれになったが、お金になると思うと、全く苦にならず寝ることも忘れて、面白いくらいにどんどんどんどん手は動いた。


気がつくと年商1.5億円になり、お店も構えて従業員も雇い社長になっていた。


そんな最中、3.11があった。


これはすぐに懐中電灯や、発電式の充電器が必要になると思った僕は、すぐに中国に手配し、中国に飛び立ち、ありったけの必要物資を持って帰国してすぐにネットで発売すると全て完売になった。


その売り上げで家族全員で東北にも向かい、直接的にも自分で援助できることはした。


本当にどん底を味わったが、日常生活のどんなところに逆転するようなきっかけが転がっているか分からない。


ここまでいろんな経験をして常に思うことがある。僕一人では何もできなかった。誰かの助けがあったおかげで僕はここまで成すことができた。だからこそ、3.11でもできることはしたいと思い、毎年足を運ぶようにしている。本を読めば誰も同じようなことを書いているが、本を読んでわかることなんか計り知れている。実際にその立場にならなければ分からないことはたくさんあると、いろいろ経験を自分でしてきて実感した。お金がなくなり、お腹がぺこぺこになれば誰でも盗みをしてでも生き延びようとする心はあるのだ。綺麗なことばかりではない。


そして、僕は常にもうだめだと諦めることはなかった。流れに身を任せながらも、今の自分に出来る最大限のことを施してきた。もちろん自分も楽しみながら。今も尚、アイフォン修理屋は続けている。今では競合店も多くできたため昔ほどの利益は得られなくなってきた。それでも、僕は諦めない。苦しいこともあるし、腹が立つことも、どうしようもならないことも、もちろんある。立ち止まってしまうこともあるが、そこで立ち止まり続けていても何も生まれない。

次、またさらにもっと楽しむ為に、僕は挑戦することを恐れず、突き進んでいく。

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