振り向けば、いつもマーさん
「どうしたのその顔。お化粧、濃すぎじゃない? シッカロールがファンデのかわりじゃなかったの?」
「ああ、これ。半月前にテンカン起こしてしばらく入院してたんです。血が固まらない薬を飲んでるし、それでこんな信号機みたいにカラフルになっちゃって…」
町内の体操仲間(60歳~90歳)は、「何て声を掛けたらいいの」と言いたげに、互いの顔を見つめ合っていた。
それから予想通り夫に、「アンタも大変だ…。いくら若い嫁さんでも、こう手が掛かっちゃ、やってらんないでしょ」と眉をひそめ、でも半分笑いながら聞いていた。
開業していた塾を閉める時は、親御さんへの通知とお詫び、転塾希望の生徒には転塾先を決める手伝いをし、大学の後輩K君(「スタッフ」兼「時事解説」担当・全盲)には、自らを表現する場も設けつつ…。
塾の廃業は、「結婚し顔を見合わせ笑い合う相手ができる、と同時に、人生感や価値観を正反対にすること」である。
取り柄も若さも美しさも無く、しかも例の疑問は未解決になったままだ。
が決めた。「火事を起こすよりマシ。生徒に迷惑を掛けぬためにも」と廃塾を決意した。最後の力を振り絞り、後片付けをした私なら天が必ず味方になってくれるはず、「やるだけやってみよう!」と考えて。
でも互いの住居を行き来するうち、彼の文化レベルが遥か上であることを思い知った。
まず私設図書館?と思う位の本(登山・歴史)の量。次に「一人でよく聴きに行っていた」とのオーケストラLP盤の枚数の多さ、後は、囲碁、ゴルフ、料理、全てプロ並みか、それ以上だった。
こちらも40年間同じ仕事をしてきた「オタク」だが、開頭手術を受けアホになり(半側空間無視+地誌的障害+意識と感情障害)、塾を辞めたのだが、最後に講師らへ伝えたのが、「むやみに人を信じないこと。騙され泣いても誰も助けてくれません」だった。
でも、これもまた逆だった。何にでも例外はあるので、自分を赦すことにした。
ご近所でもこの年の差婚は奇妙に思われていたらしい。それに気づいた夫は町内の壮年体操グループに夫婦での入会を申し込み、自分のいとこ会にも私を連れて行き、少しでも私に「世間・常識」を教え込もうとしてくれている。
が、母からの被虐待歴を持ち60年間親と離れている私には、「入院・治療費は幾らで誰が払うか、後遺症としてどんな苦渋が待ち受けているか」しか興味が持てなかった。
でも彼の頭は常に「自分亡き後の妻(私)」を案じてくれている。「16歳も上なので、多分僕が先に逝く。そしたらアナタは…」と。
現在は衣食住に差支えが無い限り、障害者認定はしてもらえない。私は夫の支えがあるので日常生活には困らない。今でこそ「発達障害」「おたく」「アスペルガー」等の言葉は普及しつつあるが、50年前は詳しい人がなく、それゆえ母も困って【一見風風変わりな娘(私)】に、殴・蹴るをしていたのかもしれなかった。
こう思えるようになったのも、「見返り」を一切求めない夫やそのきょうだいを見てきたからだろう。
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?

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