中国入院日記3 投資家として飛行機なしの世界一周 その10

 ワンさんは24時間付き添いなので自然と仲良くなった。
 話によると、宿の人たちが病院の前を歩いている人に適当に声をかけ、仕事をしないかと誘っていたところ、何人目かで仕事をしたいという女性が現れ、それがワンさんだったという。ワンさんは細身で笑顔の優しい女性だった。
 入院中はホントに色々なことを感じたり学んだり体験した。

 とりあえず最初は病院を出て、太陽の下、自分の足で散歩することを夢のように想っていた。けれど実際は四日目には外出できるようになり、病院の前の庭を散歩した。このときあまり無理はできないのでベンチに腰掛けていたのだけれど、ただひなたぼっこをしているだけで、静かだけど強い幸福感を感じたのをよく覚えている。

 その日の夜、僕以外の二人の患者は退院していなくなっていた。中国の病院では金が払えないと入院し続けることはできない。だから皆早めに退院していく。けれど患者が僕一人だけの静かな時間もつかの間で、寝ていると深夜の二時くらい、血だらけの少年とその友達たちが入ってきて騒然となった。少年は頭から大量の血を流していて、顔中血だらけでお化けみたいだった。友達たちは大声で色々と話していて、もう眠るどころじゃなくなった。

 朝になると少年の母親がきた。母親は野菜とかを入れるかごを背負ったまま来ていて、人目で農民だと分かった。そして入り口で自分の息子を見るなり号泣した。その泣きっぷりは痛々しくて、見るに耐えないほどだった。おえつを交えながら泣き叫んでいた。少年は最初は目をつぶりながらじっとしていたけど、しばらくすると静かに涙を流しているのが見えた。

 話ではケンカの最中にビール瓶で頭を割られ、その破片が頭蓋骨に食い込んでいるということだった。しかも貧しい農家なので金が払えない。

 ここ中国、少なくともこの病院では、金が払えないと手術もしてもらえないということだった。だから結局この少年は、親戚からの募金や借金で手術費が集まるまで、破片が頭に食い込んだまま一週間近く待機していた。母親は、毎夜息子を抱きながら、同じベッドで寝るようになった。(ちなみに中国は一人っ子政策だが、金を払えば二人目も産めるらしい。ただ、貧しい農民の人たちはお金が払えないので、二人目を生んでも届出を出さず、それが今いろいろと問題になってるらしい。)

 保険会社から派遣された和さんいわく、外国人が来るような観光地はみせかけで、山をひとつ越えた農村では悲惨な現実が繰り広げられているということだった。


 話は変わってヘルパーのワンさんは、顔に大きな傷がいくつかあった。ずっと聞かないでいたけれど、24時間付き添いなので自然と仲良くなり、入院一週間目だったかついにその話になった。酒とギャンブルと女が好きで、暴力を働くという絵に描いたようなダメ夫に、ぶん殴られたときについた傷だという。一年ほど前に離婚しているが、今は不景気で職もなく、子供の養育が大変らしい。だが、色々と大変なことはあるけれど、子供のためならなんでもできる、命と引き換えにでも子供を立派な大人に育ててやる、という話を涙ながらに聞かされた。

 中国の現状、母親、それに命ということについて色々と考えさせられた。


 最後の晩、俺の隣のベッドのおっさんとワンさんとで議論になった。


 議題は僕が帰国するべきかどうか。次の日の朝に抜糸をし、その状態によって医者が診断をくだすことになっていた。

 ワンさんは帰国しなくてもいいはずだという。きっと大丈夫。腕はよくなってるはずだし、少しの間動きづらくて大変かもしれないが、どんなに辛くともやる気さえあればなんでもできる。夢があるなら達成するべきだといった。

 おっさんは帰国するべきだといった。腱と大動脈を切ったら腕が動かなくなる可能性もある。田舎の病院の診断は完全に信頼できるものではないので、ちゃんとした病院で見てもらうべきだといった。もし世界一周がしたいのなら、いったん帰国してまたやり直せばいいじゃないかといった。

「いったん帰国すればいい」

 それは本当に正論だと想う。恐らくほとんどの人がそう思うだろう。でも僕にとってそれは中途断念、敗北以外の何物でもなかった。

 世界一周の旅にでてほとんど西に進んでもいないのに、たった二ヶ月で帰るということは、ハナから選択肢の外にあることだった。

 けどおっさんの言うこともわかる。だから結局その中間の案を取った。明日医者が問題ないといえばもちろんそれでOK。もしダメだったとしても、西安まで行ってそこの一番いい病院にいけばかなりいい治療がうけられるはずだ。一ヶ月でも二ヶ月でもリハビリをすればいい。そうすれば旅をあきらめる必要もないし、中国語の勉強もできる。それでようやくおっさんも納得してくれた。

 次の日の朝、抜糸をした後、ワンさんに状態を聞いてもらった。帰ってきたワンさんは筆談を交えながら丁寧に教えてくれた。(ワンさんも含め、この病院の全ての人はごく簡単な英語も話せない)

「あなたは帰らなければならない。ギブスが取れるまで正確な状態はわからないが、腱と大動脈を切って神経にも異常をきたいしている以上、あなたの腕は「一生」完全に動かなくなる可能性がある。だから、日本の最高の病院で見てもらい、リハビリをする必要がある。もしかしたら再手術もしなければいけないかもしれない。」

 それを聞いた僕は信じられなくて、ホントに「一生」動かせない可能性があるのかと何度も聞いた。

 僕がどんなにこの旅を夢見ていたかを知っていたワンさんは、涙を流してうなづいた。

「あなたは帰らなければいけない」

 あんなに僕を励ましていたワンさんが言うのだから本当なのだろう。

 右腕と旅、どちらをとらなければいけないかは明らかだった。

 そのとき僕がどんな気持ちだったか。

 右腕が動かないなんてことはそのときはどうでもよかったし、あまり実感もなかった。

 ただただ旅をあきらめなければいけないということが悔しくて仕方なかった。

 しかも半分オウンゴールのような間抜けな形で。

 自分自身をぶん殴りたい気持ちだった。

 自分が負け犬だということを強く感じた。
 日本に帰るとすぐに病院にいった。が、やはりギブスをとってしばらくしないと正確な状態はわからないという。でも交換したときの感触ではそこまで悪くないんじゃないかという。期待をもって関東労災の腱の切断に関して権威のある医者に診てもらった。

 ギブスをとって診断してもらった結果は、、、最高の状態だということだった。ここまで腱と大動脈を切ってつなげられる医者は横浜市内にもそんなにいないということだった。病院の環境は最悪だったが、医者の技術はすごかったらしい。

 ホントに心から安心した。それでも一ヶ月は日本で安静にしている必要があるということだった。

 その間、これまでの旅を活かして荷物を再構成し、金を稼ぎ、勉強をして再出発に備えることにした。

 そして再出発の日を6月13日と決めた。

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