装備品は木の棒とぬののふくのままですが、人生という冒険にチャレンジしています。

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その理由は、母が「自分も何時間もかけて大学に通ったから」いうものだった。その時は納得したが、自分がした苦労を子供にもさせたいというのは、少しおかしくはないか。その大変さがわかるなら、子供には苦労をさせたくないと思うものじゃないのか。

 

門限は23時で、その時間に帰宅することを逆算すると、サークル活動で遅くなることもできなかった。

門限があるといったほうが、周囲にはきちんとした家の人だと思われるという理由だった。

 

2年生になるころ、私は欠席が増えた。電車に乗ると腹痛と下痢になる。過敏性腸症候群だった。朝の満員電車の中、人身事故で電車が長く止まった。私はおなかの痛みを我慢し続けた。脂汗が浮いた。駅について、目の前が真っ白になって、ホームにへたり込んだ。トイレで吐いた。限界だと思った。

 

父は私に、いい成績を取るように言った。

下痢のことを相談すると、下痢止めを一錠だけ、出した。それで私は便秘になった。生理は二年くらい止まっている。毎日37℃の微熱のからだを引きずって授業に出て、授業が終わると電車に飛び乗って地元に帰り、バイトに行った。

 

家は病院で、父は医師だ。そのことが逆につらかった。

つらさを訴えても、検査一つ、お金の無駄だとしてくれない両親にとって、私とは何なのか。

 

毎朝、高層マンションを見上げては死ぬことを考えた。駅のホームで横を特急電車が通り過ぎるたび、飛び込んだら楽になると思った。

でも恐怖もあった。死にたいと漏らすたびに、母に「自殺が失敗したらその先どれだけ悲惨な人生が待っているか」と説かれたし、「今まであなたの生命を維持するために犠牲になった動植物の命を無駄にする気か」と言われていたから。

 

母の本棚にある、『完全自殺マニュアル』とか、『自殺のコスト』とか、そういった本も読んだ。夫婦関係やモラルハラスメント、女性の生き方に関する本もたくさんあった。ただ、たとえ食卓にそういう本が置いてあっても、父は気にも留めなかった。

 

私は大学のカウンセリングルームに通った。カウンセラーの前で泣いて、腫れた目で授業に出た。

 

そのころ、初めて恋人ができた。

恋人に可愛く思われたくて女の子らしい服を買うと、案の定母に目を付けられて散々似合わないと言われた。料理を作って行こうとすれば、相手がつけあがるからやめなさいと言い、デートに行くにも出かける場所や帰宅時間を詳細に告げていかなければいけなかった。デート中には監視するように何度もメールが入る。

 

束縛がしんどかった。母は私に好きな人ができることも、私を好きになる人がいることも望んでいない。


自分のそばでいつまでも、従順な娘でいることを望んでいる。母という美しい花を引き立てるわき役でいることを。私は母といるといつまでたっても人生の主役になれない気がした。母の趣味の外出に付き合い、母の愚痴を聞き、母の作品や母のファッションを称える。私は母より幸せになってはいけない。

 

苦しくて、ますます私は彼氏といる時間を求めた。母のメールに返信しなくなり、門限も破るようになると、母はメール攻勢をぱったりとやめた。言うことを聞かないならもう勝手にしろ、ということらしかった。

 

夜、心配だから早く帰れとあんなに言っていたのが全くなくなって、今度は先に寝ている。酷いときは、家にいないなんて知らなかったと、玄関にロックをかけておく。家に入れない私がチャイムを押せば、寝ていて不機嫌な顔をした父が出てきて無言でチェーンを外す。

 

わけがわからない。

私は荒れた。飲みに行っては強いアルコールをあおった。

彼氏の悪口を吹き込む母も、一切無関心な父も、なんだっていうんだ。

 

 

大学にはだんだん通えなくなった。家にひきこもるようになったが、それを父に知られるわけにはいかなくて、自室に引きこもっては息を殺して生きていた。父の足音がすれば隠れる、気配を察するために耳を澄ませる。自分の生活音がしないように気を配る。人の気配と物音に過敏になった。乱れた呼吸をどうすれば音にせずに整えられるかとか、足音をさせない足運びとか、そんなものを自宅で覚えた。

 

 

精神科の通院を再開した。

そのうち、自傷を覚えた。自分のからだを自分で傷つける人の気持ちなんて、わかるはずがないと思っていたのに。腕を切ると、赤い血が流れる。私の中の悪い血が流れる。心の痛みが体の傷として可視化できるのと、脳から頭をぼんやりさせる物質が出るようで、心の痛みが一瞬まぎれる。

 

私は自傷を繰り返した。最初は猫のひっかき傷程度だったそれは段々深くなり、床には血だまりができるくらい斬った。縫合が必要なレベルの傷だが、病院に行ったことはない。近くの病院は父の知り合いだからだ。何百回切りつけたかわからない腕はもうボロボロだ。私は夏に半そでを着られなくなった。

 

父と母はうんざりしていた。

痛いだけでいいなら、切ったところに塩でも塗りなさいよと言われて、私はそうした。

馬鹿みたいだと思ったと、あとで母から聞いた。

 

反抗すると父に頬をはたかれた。「殴ればいいと思っているでしょ」とにらむと、父は「ああ思っているよ!」と言い、私をもう一度はたいた。

 

死んでやる、と近くの踏切に走れば、父に乱暴に腕をつかまれて戻された。抵抗した手が、父の顔面にあたって父のメガネが吹っ飛び、怒った父が私を殴ろうとする間に母が割り込んで「やめてよ!」と泣いた。

 

薬を過剰服薬するようになった。一度、父の病院の薬剤室から、睡眠薬を何百錠と盗んで死ぬ気で飲んだ。病院に運ばれて胃洗浄をされたが、記憶はない。

 

自傷行為や過剰服薬をしないよう、私は家で手と足をひもで縛られて生活した。ある日、母が目を離した一瞬で私は外に出て、二階の階段から飛び降りた。

母は泣いていた。こんな娘を持った自分かわいそうで泣いていた。私の入院に付き添わなければならないせいで、家の猫の世話ができないと恨みを言った。私の前歯の神経は二本分、死んでしまった。

 

 

入院をすることになり、精神病棟の保護室に入れられた。

布団と、自分で流せないトイレしかない場所で一週間過ごした。

お昼ご飯の牛乳を全部飲まないことを女性看護師に怒られ、男性看護師には胸を触られた。夜に宿直になったその看護師は、私の病室にきて、自分の性器を私になめさせ、写真を撮り、精液を飲ませた。

 

とことん堕ちた気がした。でも、どうでもよかった。

私はそういう扱いがお似合いなんだと。

 

 

退院して、休学していた大学をどうするか考えなければならなくなった。年数的に難しく、私は退学することに決めた。がんばって勉強して入った大学をやめるのはつらかった。

退学しますと父に言うと、「これからどうするつもりなんだ!」と怒鳴った。

 

そんなこと、言われなくたって私が一番わかっているのに。

彼氏とは、その時期に別れた。

仲がいいと思っていた高校の友人たちは、私の入院の連絡を受けて、怖いと逃げた。

 

 

 

アルバイトを探した。

接客業に就職して一年近く頑張った。

しばらくして、職場で知り合った人と、付き合うようになった。母の監視と束縛がまたはじまり、逃げているうちに無関心に変わった。

 

彼ははじめてのデートで、私を置いてほかの女性のところに帰っていった。

実はバツイチで、前の奥さんといまだに一緒に暮らしていて、その奥さんが怒っているから帰るということだった。彼の家の前で降ろされた私は、一時間歩いて駅まで行って、帰った。おしゃれした服は雨に濡れて、惨めだった。

交際の話になったとき、私には精神疾患があるから恋愛はできないと断った。彼はそれでもいいと、私を望んだ。だから好きになった。その後で、このしっぺ返しだ。

 

彼は奥さんとの関係を清算して、私に再び交際を申し込んできた。自分で泣きながら私のことを振ったくせに、と思ったが、一度だけは許そうと思った。彼はのちに、私の夫になる。

 

 

●言葉のナイフ

 

 

 

26歳のころ、バイトは体調不良で退職して、私は家にこもっていた。

16歳で、死にたくて苦しくて、あと10年だけ生きてみようと思って実際に10年がたった。相変わらずつらかった。二十歳になる前に拾った猫が心の支えだった。

 

冬。父の収入で買った食べ物を口にする気にはなれなくて、水以外口にせずに2週間くらい過ごした。

その間、私の部屋に両親が来ることはなかった。

横になって涙を流しながら、いつまでも来ない、ノックの音を待っていた。

 

彼氏は穏やかな家で育った人で、子供を愛してない親なんていないと私に説いた。それがもとで喧嘩になっていた。

夕飯の時間帯、リビングで両親はテレビを観ている。バラエティだろうか。

 

バイト代でお酒を買った。酔った勢いでリビングに行った。

どうして心配してくれないんだって、泣いた。

 

いつか私を裏切った、教師の名前を出した。

父と母がなかったことにしているその人物の名前を出した。

 

その男のことが忘れられないのは、誰のせいなんだと叫んだ。

 

 

父は言った。

 

「酒なんか飲みやがって。いつまで親にパラサイトしているつもりなんだ。そんなに死にたければ樹海に行け! 死ね!!」

 

 

パラサイト。寄生虫。

 

 

私は家を飛び出した。持ち物はコートに入った携帯電話一つ。12月も後半。寒い日だった。

酔った頭で田舎道を歩いたせいで、何度か道端のどぶに落ちた。濡れて、汚れて、どこか斬った。

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