いつかのノンフィクション大魔王の話

私は心臓疾患と発達障害ADHDがあり、大学を卒業時、就職をして働く自信がなかった。そんな時、母がラジオのパーソナリティー養成所に行けばいいと言ってくれた。正直、音楽は高校時代から作詞作曲が出来たけれど、人の音楽を届けるラジオには興味がなかった。

にも関わらず、ラジオ養成所では想像を超えて天性のトークの才能があった。レッスンでクラスメイトがデレクターさんから「お前ら面白くないぞ!」と言われていても私は「お前だけは面白い!」と言っていただけた。時には奇想天外な事もやらかした。台本を読むだけの発表会で審査員FM大阪の局長もいる前で、台本にメロディーをつけて歌ってみせた。大爆笑がおきた。子供の頃から作曲は出来たから、悪い音楽ではなくむしろCMソングのような名曲だったが、「よしもと行けば?」とも言われた。
ラジオ養成所の卒業時には、第1希望の司会事務所の研究生として入所が決まった。そして大学時代に出演したNHKのど自慢の時の共演者から某FMにてラジオの音楽番組の仕事が頂けた。
毎週火曜日15時から18時迄の生放送に出演した。最初はトークも支離滅裂だったが、帯番組ながら1番の人気が出た。おたより&FAXの数が他の曜日より多かった。人気の分、虚像の自分が一人歩きするように感じられた。
そして自分自身が音楽を作る能力があるのに、流行の曲やリクエスト曲にコメントしてゆくことも辛くなった。
ある日の仕事帰り、路上のコスモスを眺めていた。ふと自動販売機をみあげたら「地球1周船旅行」というポスターが視界に入った。ラジオでは何が伝えたいのかわからない。自分が目立ってちやほやされたいだけなのかと悩んでいたほどだ。地球を1周すればもっと伝えたい事や大切な事を知れるだろうかと考えて乗船を決意した。
しかし、3ヶ月の地球1周後、日本に戻る頃には、世界の悲惨な実情を想像を超えて知ってしまい、数年ノイローゼになった。
旅行では、地球環境や世界の貧困について、現地の人との触れ合いも経験した。
マーシャル諸島では、現地のおじいさんは子供の頃避難させられた先で軍人に踏みつけられてキノコ雲を見せつけられたらしい。
船からみた南十字星も見える満点の星空を眺めてこんな悲惨な現実は生涯忘れないと心に誓った。
下船後、世界の問題を抱えてノイローゼになったけど、でも立ち上がる為に、資格の勉強をした。日本は海外よりセーフティーネットがしっかりしているのでファイナンシャルプランナーや年金等の資格を取得。年金の資格を活かし金融機関で働いたけれど、ADHDの特性で先輩とうまくやれなくて、社内で騒ぎをおこしてクビになった。だから会社を訴えた。沢山、お金が頂けた。しかし自分の傷みに値段がついた日、精神が崩壊した。
そこから這い上がるに10年かかった。
6年前、再び芸能事務所に入った。今は作詞作曲家を目指しているが、タレントの才能があるのか、坂上忍さん、ロンブーのあつしさん、西村賢田さん、SKEの方等、トーク番組で共演を果たせた。
今、どこへ向かっているかというと、やっぱり音楽をつくりたい。
精神科に入院した時、個室病棟で「ここから出せー!」と叫んでいる人たちに向かって、大きな声で歌を歌うと静まった。自分の音楽は必要とされていると実感した。そして、精神科から退院したくない、生きる希望がないという友達でもカラオケ時間に、テレサテンを歌っていた。
人は死のうと思えた時、たまたま音楽を聴いて自殺を辞める人もいる。
歌に自分の人生の投影をして客観性を持つ事でまた元気にもなれる。
毎回毎回、命をテーマに曲をつくるわけでもないが、時代の飢餓に命中した歌を、人の心に響く歌を、100年後も愛される歌をつくり続けたい。
苦しかった日々、
作詞作曲ネリエ さよならの10年間
人生なんてねけっこう残酷で誰もが被害者になりすまし
人を憎むことを覚えて 生きる深さを知れた
私は「今」を生きる


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