ミスブサイクに選ばれて醜形恐怖になったけれど

生まれ落ちた瞬間から、ご近所はなぜか男の子ばかり。
しかも運の悪いことにいじめっ子ぞろいで、私は毎日棒きれで追い回され、ボコボコにされていた。

3歳で隣村に引っ越したため、小学生時代は平和だったが、中1の時「ミスブサイク」に選ばれた頃から、また不穏な空気が忍び寄ってきた。

クラスメイトに「ブスは死ね」が口癖の男の子がいて、私はたちまち槍玉にあがった。
近くを通ると「げーっ」と吐く真似をする。
日直で私が司会に立てば、ペアになった男子には「かわいそうやのう、こんなブサイクと」と憐れみの声がかかった。

最も多感な10代に、容姿をジャッジされる日々。
私が醜形恐怖に陥ったのは、ある意味自然なことだったと思う。

誰かと話す時には「すみません。こんなブサイクな女に時間を作ってもらって」と頭の中で唱えていたし、人と話す時には、どもるようになってしまった。
このろくでもない思考の癖は日常生活にも影響を及ぼし、私は俗にいうコミュ障になっていった。

醜形恐怖はOL時代にもついてまわった。
「渡辺さんって老人みたい。そんな顔で惨めじゃないですか?」
洗面所で髪を直していたら、後輩からいきなり声をかけられた。
「いや、別に……」
私は愛想笑いを浮かべてその場をやりすごした。

コミュ障だったわりに、オタクで男性的なコンテンツが好きだったため、男友達は多かった。
前の席に座っていた男性の同僚と、ある漫画について熱く語り合っていたら、ある日受付のOLに呼び出された。
「彼が好きな子知ってる? フロアのマドンナ的存在の花山(仮名)さん。男の人はみんな可愛い子が好きなのよ。彼女と比べたらあなたは下女と姫。そのことをちゃんとわきまえておいてね」
それからというもの、彼女は私に内線を取り次ぐ時、『下女さんにお電話です』と言うようになった。
そんな出来事があるたびに、私はきっちり傷ついて、自分をミジンコ以下だと思いこむようになった。

と、こうやって惨めネタを書き連ねながら、私はものすごくイライラしている。

「それ、全部、ちゃんと解決できたよね!」
と頭の中のツッコミ担当が叫ぶのだ。

3歳の頃の男の子たちからのいじめは、幼かったので仕方がないが「ミスブサイク」は逆に面白がってもよかった気がする。
なんたって、ミスに選ばれたのはクラスの中でたった5人。
「ブサイク」といううれしくない称号ではあるが、ある意味目立っていたということだろう。
それに、「ブスは死ね」のクラスメイトは、私よりよっぽどブサイクだった。
「お前もな!」とさえ言い返せば、簡単に逆襲できたはずだ。

どっちにしても、美醜なんて主観に過ぎない。
心を傷つけられる必要なんて、ちっともなかった。

ネガティブな出来事を久しぶりに思い出したのは、話題の映画、「カメラを止めるな」を制作した上田監督の逸話に心を揺さぶられたからである。
有識者の談話によれば、数年前の上田監督は、典型的なやらない若者だったと言う。
「俺は天才だ!」と言っては創作以外のことに手を出してばかり。
当時を知っている方々が、懐かしそうに、誇らしそうに、当時の出来事を暴露していた。
「あんなに痛い奴だった彼が、ここまで偉くなるなんて」、と、やんちゃだった親戚の子供を見ているような、温かい眼差しで、語り合っていた。

有識者たちの話を信じるなら、きっとその頃の上田監督は、巷によくいる口だけの人間だったのだろう。
しかしある時きっと、奮起するきっかけがあったのだ。
そして過去の自分を捨て去り、一歩前に踏み出すことで、「行動する自分」へと進化し、多くの人を喜ばせる偉大なコンテンツを作り上げることができた。

人はいつからだって変われるのだ。
自分が変わろうと思ったその瞬間に。
上田監督の成功が、それを証明している。

若かりし頃の私は、すっかり自分自身に匙を投げていて、何かを生み出すこともなく、場当たり的な人間関係をやり過ごすことだけに必死になっていた。
「やらない人間」どころの話じゃない。
目的等なく、ただただ苦しいだけの時間を、1秒でも先に進めるためだけに呼吸をしていた気がする。
そして苦しみを全部他人のせいにしていた。

子供の頃いじめられたから。見た目についてネガティブな指摘をする人がいるから。
だから私はのびのびと生きられない。

笑ってしまうほど甘えた考えである。
その後色々なことがあり、今の私は、過去のことなんてすっかり忘れ、楽しい毎日を送っている。

好きな仕事にもつけ、「ポジティブで生き生きとしてますね」、などと言われることもある。

変わったのは周囲じゃない。私自身だ。

今ならはっきりわかるが、周囲の人から、どう扱ってもらえるかは、自分自身にかかっている。
私自身が自分を「ミジンコ」などと思いこんでいれば、ぞんざいな扱いを受けるのは当たり前だ。

目の前には人がいるのに、私は自分のことしか考えていなかった。
「私でごめんなさい。こんな私でごめんなさい」
そりゃ、誰だってイラッとする。
他人に怯えるということは、相手を信じてないということだもの。

「私と話してくれてありがとう。あなたのことを尊敬してるよ」
そう思えるようになった瞬間から、世界は一気に変わっていく。
土砂降りに見えていた景色に、晴れ間がさしてくるのだ。

輝かしい記録を打ち立てた「カメラを止めるな」。
私はこの映画から「黒歴史もトラウマも吹っ飛ばせ。未来だけ見れば、道は拓ける」というメッセージを受け取った。
どんな人間でも、いつでも挽回のチャンスがある。
人生の質を高めるのは、いつだって自分自身なのだ。

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