南米南部 投資家として飛行機なしの世界一周 その22

サンパウロ

中華街が世界中にあるのに対して、それなりの規模でちゃんと機能している日本人街は、世界に二つしかないらしい。

一つはロサンゼルスのリトルトーキョー。

そしてもう一つがここ、サンパウロのリベルダージュだ。

ここでは日本食が食べれるのはもちろん、日本の本屋や家具屋まであり、店員さんと日本語で会話できる。

彼らは日系移民やその子孫である。

2008年は、1908年に初めての移民が渡ってからちょうど100周年になる年だった。

その100年の歴史を、残念ながら写真は撮れないのだけれど、移民資料館というところで見ることが出来る。

明治時代、まだほとんどの人が着物を着ている時代にブラジルに渡り、日本とは全く違う環境、ワニや蛇など危険な生き物もいるジャングルを開拓して、世界大戦などに翻弄されながらもたくましく生きた移民の歴史を見ていると、畏敬の念を感じずにはいられない。

それは想像を超える大変さだったと思う。

まだポルトガル語辞典などもなかった時代。

言葉が分からないのはもちろん、調べることさえ出来ない。

そして海外に長期間出たことのある人なら分かると思うけど、日本人は日本人であることから用意に逃れられない。

食や文化に対する郷愁が、どれほどのものだったかと思う。

ジャングルを開墾して畑を耕しながら、日本のことを想って涙を流す人も多かったという。

それでも彼らはやはり日本人で、真面目に、勤勉に働いて、農業などの産業技術の高さがブラジルの発展に大きく貢献し、それは他の多くのブラジル人にも認められている。

移民資料館は決して大きいものではないけれど、「和僑」の人たちのたくましさと、同じ日本人であることの誇りを感じさせてくれる内容だった。


今は日系人も三世や四世の時代になり、道行くご年配の方が綺麗な日本語で話しているのは聞くが、やはり若者はポルトガル語で話している。

日本語が話せなくなっている人も多いし、話せても外国人なまりのある人が多い。

もちろん混血も進み、一見日系人だとは分からない人もいる。

様々な人種が共存するブラジルでは、そもそも日系人というくくり自体、そこまで大事なものではなくなっているという話も聞いた。

それでも確かにここでは、日本の伝統文化が生き残っている。

僕にとっては長い長い旅の、丁度半分が終わったところ、地球の真裏で、日本の文化、社会に触れられるというのは、感動的でさえあった。


初日に宿で日系ブラジル人のおじさんと仲良くなり、一緒にラーメン屋に入った。

「いらっしゃいませ」

「ありがとうございました」

と日本語の挨拶が飛び交う店内で「豚骨ラーメン」を食べていると、あやうく涙が出そうになった

この国のおもてなしの精神、礼儀、和。

世界にも他に例を見ない、特異まれな素晴らしい文化だと思う。


下は食堂やスーパーの写真。

日本で見てる人にとっては何を撮ってるのかと思うかもしれないけど、俺にとっては感動もの。

もう日本でも見なくなったようなお菓子まで売ってる。

地球の裏側の、ブラジルでの光景


サンパウロに着いたのが木曜日で、土曜日からお祭りが始まった。
一年に一回のお祭りらしく、かなり運がよかった。


宿の近くにあった曹洞宗のお寺。

このお寺に日本から働きに来てるお坊さんがいて、同じ宿に泊まっていたので仲良くなった。

さらに他のお坊さんも紹介してもらい、一緒に飲んだりした。

お坊さんといってもみなさん若くて、インドのゴアに行ったりするような種類の方(つまり旅好きや音好きや、そういう人たち)もいて、びっくりした。

かなりディープな仏教話をしてもらったりして色々と勉強になったし、何より初めての座禅は、かなり貴重な体験になった。


かき氷や今川焼き、たこ焼きなどが売ってる。

なかでも餃子と焼きそばが人気で、ポルトガル語に混じって「ヤキソーバ、ドイス!」「ギョーザ、クアトロ!」と聞こえるのは、なんだか面白い。

日本の祭りの出店で売ってるものは、何故か買いたくなるからあまりおいしくないのを分かって買って、実際そのとおりなことが多いけど、ここで売ってるものはどれもおいしく、特にギョーザはかなりおいしい。


太鼓。

一番人気があって、一番拍手が多かったように思う。

音はもちろん、パフォーマンスも迫力満点で、見ているだけで楽しめる。

日本でも見たいと思った。

日本の伝統文化の素晴らしさに、海外で気づくことは多い。


それにしてもこの町では、「日本人である」とはどういうことなのか?ということについて考えさせられた。

ただ日本に生まれれば、日本人であると言えるのか?

ここ地球の裏側のブラジルでは、日本列島に住む人間よりも、「日本人」である人が一杯いる

教会の前だというのに、かなりのホームレスがたむろしてる。


ちなみにここらへんの家は、俺が泊まってる宿もそうだったけど、普通のドアの外に鉄格子がついた、二重扉が基本。

実際はそこまでじゃないけど、夜の一人歩きも一応避けるべきだということになってる。

宿には日系ブラジル人の人がたくさんいるんだけど、その人たちからは腕時計とか金目のものはあまり露出しないように言われた。

まぁいつもながらガイドブックに書いてあることは大げさなことがあるとはいえ、やっぱり南米。

今まで通ってきたところよりは、危険な雰囲気がある。

この人死んでる?


と思って他の人も無視してるし10分くらい観察してたら、顔をかいたので寝てると分かった。。

でもホームレスに見えないし、場所も態勢も一見寝てるとは信じられない様子だった。

歩いてる途中で急に眠くなって、そのままぶっ倒れたという感じ。


下は完全なホームレス。

基本ここらへんのホームレスは「どこでもベッド」状態。

雨も気にしないらしく、ある意味色んなことを超越してるのかもしれない。

こういう人って都会に住んでるからホームレス扱いだけど、山に住んでれば仙人扱いなのに、と思う。


世界では主に都会で日本料理屋を見ることができるけど、ほとんどが寿司屋。

また、日本食の中で最も体に染みるのはやはり味噌汁だけど、味噌汁は味噌さえあれば大体の味を出すことが出来る。

ということで、海外ではなかなか味わえないという意味で、僕にとって最も恋しくなる日本食は、ラーメン。

まぁラーメンも時々はあるのだけれど、味がおかしいことがほとんど。

特に豚骨は、基本的には日本でしか味わうことができない。

そんなわけで、ここでは豚骨を中心に、ラーメンを食いだめしていた。


サンパウロでは日本人宿に泊まっていたのだけれど、その宿で世界一周しているカップルに会った。

27歳で、世界一周航空券で旅しているという。

(最近は世界一周航空券のおかげで、飛行機を使った世界一周がかなり一般的になってきていて、カップルでしている人も珍しくない。)

もう旅が始まって10ヶ月目だというのだけれど、彼女のほうは用事があって帰らなければならず、サンパウロが最後の町だと言った。

世界一周航空券は期限が一年で、彼氏のほうは残り2ヶ月、一人で旅を続けるという。

彼女の最後の日の前日、思い出話をたくさん聞かせてもらった。


翌日、僕も次の町への出発の日だったのだけれど、偶然宿を出るとき一緒になった。

彼女は泣いていて、目を赤く腫らせていた。

これまでずっと一緒だった彼とのしばしの別れを思ってか、それとも長かった旅の終わりを思ってか分からないが、恐らく両方だろう。

これまでの十ヶ月は、いくら話を聞いたとしても、二人にしかわからないものだ。

結局、話や写真だけでは、旅のごくごく一部分しか伝えることは出来ない。

話にするまでもないこと、写真に写すまでもなかったことの積み重ねが、何よりも大事だったりする。

その時だからこそ、その二人だからこそ体験できたこと、感じれたことも一杯あったと思う。

確実に分かるのは、この旅が二人にとって、壮大な、かけがえのない、大冒険だったということだ。

もちろん楽しいことだけじゃなかったと思う。

ケンカや困難や障害はいくつもあっただろうし、実際そういう話も聞いた。

それは旅という恐ろしく濃密な時間を、毎日二人離れずに過ごしていれば、当たり前のことだ。

けれども彼らは世界一周という共通の目標を掲げて、無事に乗り越え、今旅を終わろうとしてる。

想うことはたくさんあるだろう。

それは今後も二人の関係の中に、かけがえのない貴重な財産、大切な思い出として、一生残ると思う。


僕ももうはるか昔から旅をしているような気分になっているけど、いつか旅を終えるときが来る。

そのときについて想像してしまうこともある。


でもそれは、まだまだ早すぎる想像だった。

南北アメリカ北上の旅は、まだ始まってもいない。

イグアスの滝の町、フォス・ド・イグアスに向かう深夜バスの中で、そんなことを考えながら眠りについた。

イグアス

まずはアルゼンチン側のイグアスの滝。

ハナグマのお出迎え。


でかすぎて写真に入らないけど、半端ない規模。

結構離れてるのに水しぶきを浴びてびしょ濡れになる。


パラグアイ

以下はパラグアイの首都、アスンシオン。

この国を一言で言えば、「何もない」。

ここまで何もない国は初めてだった。

見所はほとんどないに等しく、あっても全然大したことない。

でも、何もないからこそ、できることがある。

それは、「何もしない」ということだ。

首都アスンシオンでは、公園でテレレという冷たいお茶を飲みながら、ひたすらゆっくりしていた。


南米の南半分の国、アルゼンチンやウルグアイなどでは、マテ茶というお茶が国民的な飲み物になっている。

暑いのをマテ茶といい、冷たいものをテレレと言う。

街中でも水が入ったポットと、お茶を飲むための専用の容器を持った人がたくさんいるけど、特にパラグアイはその比率が半端ない。

どいつもこいつも、両手にポットと容器を持っている。

携帯持ってるやつより多い。

控えめに言っても外にいる人間の半分は持ってる。

すごい。

邪魔じゃないんだろうか、という感じ。


こっからはある点で旅が劇的に変わる。

それはアメリカに入るまで数ヶ月の間、全ての国の言語がスペイン語だということ。

今までは国境を越えるたびに言語が変わっていた。

中国は中国語だし、中央アジアはロシア語だし、モロッコはアラブ語かフランス語が基本で、ヨーロッパはあの国の数でほぼ全ての国に現地語がある。

英語はできるとかなり便利だけど、現地の一般人やバスの運転手などは話せないことがほとんどなので、結局はある程度の現地語が必要なこともある。

また、中央アジアをはじめとして、英語がまったくと言っていいほど通じない地域もけっこうあった。

(そして今まで通った国で英語が公用語だった国は、イギリスただ一カ国だけだった!しかも三泊四日の滞在。)

でもこっからはずっとスペイン語か英語。

今のところ僕は片言だけど、勉強のしがいがある。

アメリカに抜けるまでの間に、ちょっとは話せるようになりたい、と思ってる。


パラグアイは何にもなかったけど、宿が最高に良かったし、子供たちのおかげもあり、かなり楽しく過ごせた。

アルゼンチン


アルゼンチンの首都、ブエノスアイレス

クリスマス前。

カラフルな家々が並ぶカミニート。


アルゼンチンはタンゴで有名。

関係ないけど「日本がアルゼンチンタンゴを踊る日」っていうベンジャミン・フルフォードの有名な本がある。

アルゼンチンは一度財政が破綻してデフォルトを起こしてるわけだけど、そこから学ぶべきことは多いと思う。


ブエノスアイレスの町並みは本当にキレイで、ブラジルのような物騒さもなく、治安も比較的いい。

ホントにヨーロッパみたい。

でもヨーロッパと断然違うところは、物価が安いこと。

南米のほかの地域から来た人にとっては若干高く感じるらしいけど、ヨーロッパとブラジルを通ってきた僕には、全然安く感じた。

物価の安さと治安の良さは、過ごしやすさの重要な要素だと思う。


クリスマスはやることがなかった。

というのも、初めてキリスト教社会で過ごすクリスマスということで楽しみにしていたにも関わらず、なんにもなかったから。

マジで何もなかった。

店という店はレストランも含めて全部閉まっていて、人も全然歩いてない。

いつもは活気あふれていてよく渋滞する道も、車さえ通ってない。

ゴーストタウン状態。

なんか危ないんじゃないか、というくらい。

恐らく仕事は全部休んで、家で家族とまったり過ごすっていう文化なんだと思う。

それにしてもこれはやりすぎなんじゃないか、という感じだった。


まぁ最終的には色々あって楽しく過ごせたんだけど。

とりあえず、今までにない不思議な雰囲気のクリスマスでだった。


しかも24日の昼、衝撃的なものを見てしまった。

ある動物が死ぬところ。

しかもただ死ぬんじゃなくて、トラウマになるくらい壮絶な死に方だった。


実はモロッコでも、また違う動物が無残にも死んでいく様を見ていた。

そういうのを見ると、ホント色々考えさせられる。

そしてやっぱり、自分が死にかけたときのことを思い出させられる。

日本にいると、「生き物は簡単に死ぬ」ということを忘れがちだけど。


ところで、世の中には二種類の人間がいる。

例えだけど、映画「蛍の墓」を悲しくて見られない、見たくないという人がいる一方で、

あれは素晴らしい作品だ、みんなが見るべきだ、という人もいる。

前者は悲しい現実やツライことはできるだけ体験したくない、もしくはただただ楽しく生きていたいという人。

後者はたとえキツくともエグくとも、「リアル」「真実」を求める人、もしくは「公益」や「義務」を考える人。

前者は後者を「暗い」などと言って蔑視し、後者は前者を「お気楽」などと言って蔑視する傾向がある。

でもどちらが良いとか悪いとかいう話じゃない。

どちらも必要な人間であると思う。

ただ僕は、後者の人間でありたいと思う。


ヨーロッパやその他の地域では、日本では考えられないことだけど、電車のドアは自分で開ける。

でも大体ノブを動かしさえすれば自動で開いてくれるのがほとんどなんだけど、ここアルゼンチンの一部の車両は、完全に手動。

なかには重たい扉もある。

しかも走ってる途中でも開くから、まだ動いてる最中に降りる人もいる。


アンデスの麓の町、メンドーサへ。

ブエノスアイレスのバスターミナルで待っていたら、異臭がして目が開けていられないほどに痛くなった。

周りにいる人たちも騒ぎ出して、みんな涙を流しながら非難することに。

しばらくしたら、特殊部隊みたいな人たちが駆けつけてきた。

しかもこの事件とはまったく関係なしに、バスが一時間も遅れてかなりイライラした。

そして結局異臭の原因はなんだったのか、分からないまま出発した。


さて、

どこで年越しをするかはすごい迷った。

ここっていうところが近くになかったのだけれど、今までずっと西に進んできた旅が一旦終わって、北に向かう旅に変わるという意味で、サンティアゴが一番適当かなと思った。

それなりに盛り上がってくれる大都市で迎えたいというのもあった。


そんなわけで急いでサンティアゴに向かうため、メンドーサでは一泊しかせず、写真も一枚も撮らなかった。

下はメンドーサからサンティアゴに向かう途中の南米最高峰アコンカグア


チリの首都、サンティアゴ。
年の瀬。

東京で言えば六本木通りみたいなところが、歩行者天国になって人だらけ。


元旦の一日。


そして北上の旅が始まった。

チリは南北に細長く、バスの景色は右手が東側で険しい山並みが続き、左手が西で綺麗な海が見え、北上してるということがとても分かりやすい。


途中、ラ・セレナという海沿いの町に寄った。

ここは本当は来る予定じゃなかった。

でもサンティアゴでサン・ペドロ行きのバスを探してたら、正月のせいかどこも一杯で、早いのでも四日は待つと言われ、仕方なく中継地点であるここで暇つぶしすることになった。

結局はここでもサン・ペドロ行きのバスが一杯で、何もないこの町で三日もバスを待つことになったんだけど。

結構暇ではあったんだけど、収穫もあった。

それはママジューカ天体観測所。

チリの、特に北部は一年のほとんどが晴れていて、天体観測に向いていることで有名。

ということでアメリカ出資の天体観測所がたくさんあるんだけど、その中でもママジューカという観測所が一般に公開されている。

本格的な望遠鏡で星を見ること自体初めてだったけど、肉眼で見る星も凄かった。

ママジューカ天体観測所は山の上にあるんだけど、そこから空を見上げると、360度見渡す限りびっしりと星で埋め尽くされている。

天の川も当然見えるし、あまりに密集しすぎて雲のようになってるところもある。

山の影も合わさって、地球と宇宙の壮大さに感動せずにはいられなかった。

地表の内側が地球であって、大気と宇宙は続いていて、僕らは宇宙の中にいるんだということを感じた。

数え切れないほどのこれらの星が、すべて想像を超える巨大さで、人類の到底及ばない距離で離れていることについて考えると、感慨深かった。

最後には、大きなスクリーンを使って宇宙に関する説明があった。

地球は太陽系の惑星の一つで、その太陽系は天の川銀河のほんの一部で、天の川銀河はたくさんの銀河が集まってできた銀河群の一つで、その銀河群がさらに集まって超銀河団を作っている。

もとから天文学に興味はあって知識はあったけど、改めて映像で説明されると、胸がしめつけられた。

世界の不思議さについて深く考えさせられる経験だった。

この世界自体が、奇跡以外の何物でもないと思う。

(昔、楳図かずおの「14才」っていう漫画があって、地球と宇宙が病的な状態になったのでその原因を探りに宇宙の果てを目指したら、宇宙の外に出てしまって実はこの世界は虫の体の中の一部だった、というような話だった。突飛な話だけど、原子と銀河とかの構造が似てることも考えると、それもありえなくもないと思えるほど、この世界は謎だらけのファンタジーなものだと思う。)



そしてついに着いたサン・ペドロ・アタカマ。

かなり小さい町だけど、郊外に見所が一杯あり、アクティビティも豊富で、素晴らしい観光スポット。

そしてご飯がかなりおいしい!

月の谷


翌朝早朝。フラミンゴのコロニー。


仲良くなったチリ人カップルと。

彼氏のほうはすごい優しくて面倒見で、彼女のほうはおしとやかですごく可愛らしい人だった。


分かりにくいけど、突然店の中にリャマが入ってきて、びっくりした客が悲鳴をあげたところ。

リャマを見たことない人が、気配がして振り向いて、突然こんな怪獣みたいなのが見えたら、そりゃ驚く。


ちなみにここらへんは高度が4000メートルを超えてるので、季節自体は夏だけど、朝は真冬並みの冷え込み。


カラマの町。

南米全体で言えることだけど、野良犬が多い。

日本では野良猫が多いけど、多分それ以上にいる。

特にチリの田舎では多くて、「ここは犬の動物園かよ」ってくらいいる。

しかもところ構わず交尾してるわ、夜になると戦争始めるわで、困ったやつら。


世界最大の銅山、チュキカマタへ。

隣の車に比べたダンプカーの巨大さ。


そのダンプカーが鉱石を積んでるところ。


をさらにひいたところ。 とんでもない規模の銅山。人間の破壊力はすごい。


よく「Save the Earth、地球を救え」みたいなフレーズを見かけるけど、人間中心の考え方だと思う。

別にちょっとやそっと環境破壊したからといって、地球が死ぬわけじゃない。

地球にある程度のダメージを与えれば、必ず先に人類が滅びる。

人類が滅びた後、地球は何万年という人類にとっては長いけど、地球にとっては取るに足らない時間をかけて、原始の状態に戻る。

まるで人類が存在してなかったかのように。

地球は人間なんかの力じゃ到底及ばない、とてつもなく巨大で偉大な、全能の存在で、地球のルール、共存の原理から外れたものに対しては、容赦ない反撃が加えられる。つまり環境保護は、人間が自分たちの生存のために必要なこととして行わなければならないことであって、地球のために「してあげる」ことではない。



ちなみに中央アジアとか南米の途上国では、当たり前のようにバスの窓とかからゴミをポイポイ捨てる。こんなんじゃ何十年後かにはどうなってるんだ?っていうくらい。この場合、「地球のため」と言うのもありだけど、それより「このままそんなことを続けてると、自分たちとその子供たちが大変なことになるぞ」っていうことを言ったほうが、まだ効果的なんじゃないかと思う。

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