とある女性の半生をば(高三まで)

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やるかやらないかならばやってみようかな派のみんみん(仮名)です。どの辺りから話したら良いのか分からないですが、ゆうるりと書いていこうかなと。

私は岐阜の片田舎に生まれ育ちました。両親は生まれた町生まれ育ち、死ぬまで生まれた町で生きました。そんな二人は見合いで結婚し、母は、夫、夫の母、夫の妹と同居しました。田舎で山に木があるからと木を切り出し木材に加工して、藁葺き屋根から今も建つ我が家が出来たそうです。母は六人兄弟の一番上。なぜ、父と結婚したのか聞いたら「駅に近い家だったし方角がよかったから」…おや?と思いましたか?実は母の親は地元で名の知れた「おもかるさん」使いでした。悩みがあると近所の人がやってきて、敷地内にまつられている「おもかるさん」に聞くのです。持ち上げるのが重いと難しい、軽いと良い…よく、寺や神社にあるあのしくみ。しかし、六人の子には継がす意思はなく京都のとある寺に返納したそうです。母が何を考えて嫁いだかは不明です。方角がよかったから…母の生まれた村からうちの集落に何人も嫁いでいました。なので、母は顔馴染みに囲まれていたわけです。そんな家には、姑と小姑が。やがて、母は長男を生みます。数年して小姑が見合いで隣の県に嫁いで行きました。少したち、長女を生んだ小姑は、夫が「パラグアイで農業やるんだ」というので、パラグアイに行くはめに。その頃、母は長女(私)を生みました。海外旅行なんてまだ庶民には夢の中、昭和49か50年あたりに、パラグアイに父の妹一家は行きました。ちなみに、親戚一同で空港までお見送りに。その時の写真があります。私は記憶にないですが。その後海外に行くのに反対した親族がパラグアイに来ただの、小姑と娘は先に帰国しただの、最後に高熱の病におかされ、治療をして、小姑の夫が帰国しただの、ありますが割愛。しばらくして母に次男(弟)が誕生。この辺りから私の記憶があります。母は家事を祖母に丸投げ(もしくはとられていた)し、パートで働きに。父は中卒でずっと同じ工場勤務。祖母は内職をしなから、孫の世話や家事をこなしていました。どこにでもある三世代同居。兼業農家のため、春には種を巻き、秋には収穫。畠や田んぼに囲まれていたわけです。春にはつくしや、菜の花、れんげが一面に。夏にはホタルやひまわりが、秋にはすすき、冬は雪。どこにでもある日本の田舎で。私が小4のある日、祖母が倒れました。即入院。後から聞いたら心臓が停止したそう。医師が「心臓マッサージやりますか?」と父に聞いたので「お願いします」と頼んだら、二年半病院ですごした祖母。毎月多額の入院費用に…夫婦喧嘩。母が「あのとき心臓マッサージを受けなければ」と何度も言っていたのを覚えています。父は一切文句を言わず、毎日会社帰りに病院により、実母の食事を助けていたそう。嫁の母は「育児があるから」と病院にはいかず、代わりに世話をするヒト(家政婦)を頼んでいました。1日八千円もかかるのよと聞いた記憶があります。(実際は分からないですが)この時期はあまり覚えていません。小2から小4のことです。兄が高校に受かって、VHSのビデオデッキを買って貰った後から、祖母が倒れたのは確かです。そして、二年半後の5月1日日曜日に祖母が亡くなりました。父の誕生日に父の祖母が亡くなりました。まさかと思ったら、弟の誕生日に祖母が亡くなりました。葬儀を自宅で行うため、母が、朝四時過ぎから家の中の掃除を開始。私や弟は邪魔になるからとそろばん塾へ行かされました。(日曜日朝に習い事があった)お通夜告別式…確かに大切。地元の祭りがゴールデンウィークにあり、小学校五六年がリコーダーを吹きながら街を練り歩きます。1ヶ月前から練習したわたし、出られません。神社関係の祭りなので、私は出られません。休みが終わっても49日までは神社に入れません。毎朝の集団登校の待ち合わせ場所が神社の境内、、仕方なく門の外に、私と弟はいました。ちなみに、身内がなくなったら49日までは神社に入れないというのは迷信になるのでしょうか。大人に言われるがままそうしていました。子供って、大人に言われたらかたくなに守るもの。ここがあなたの通学路、ほかのみちはだめですだの、寄り道はだめ、遊ぶならば家に帰って鞄を下ろしてからだの、よく守っていたなあ、良いこだったから。さて。49日も過ぎると、兄の大学受験がやって来ました。兄は進学校に通っていたので大学に行くことに。将来は地学をやるんだと、目指すは、名古屋大学。しかし、一次でしくじったのか、富山大学に変更。春が来て、兄は富山に下宿しにいなくなり、家には中一のわたしと、小2の弟だけになりました。兄が居なくなると、弟の天下に。弟が、ファミコンにはまりまくり、ゲーム攻略がのっている週刊少年ジャンプを買い出します。キン肉マン、ドラゴンボール、北斗のけん、シティハンター、気まぐれオレンジロード…名だたる漫画の嵐。テレビ化の嵐。テレビは午後四時から夕焼けにゃんにゃんが開始、おニャン子クラブが流行。また、歌番組には、チェッカーズやら何やらが花盛り。なかよしやらりぼんを読んでいた私は単行本でファミリーだのナイショのハーフムーンだの読むように。また、コバルト文庫で氷室さえ子にどはまりしていくことに。今の私はこの時期に土台が出来たといえる。ささいなことで、幼馴染みと仲たがい、一人で、登下校をするように。学校に行けば友人がいたから、学校には通った。しかし、家から学校までの通学で一人寂しく行くのは思春期の女子にはつらかった。そのうち、高校入試に興味が沸いてくる中二に。その頃は、兄と同じ高校に行こうと思っていた私は、大学出たら雑誌編集者になるんだと決めていた。小説家にファンレターを書きまくり、藤本ひとみさんには電話を貰ったほどだ。(中三の修学旅行で東京いきますとかいたら後日電話が。先生が日程を間違えて会えなかった)また、文章を書いて、地元の新聞に載ると図書券がもらえるため、稼ぎまくった。匿名だから誰も知らない。新聞に載った文章は私に勇気をくれた。中二病といわれれ思春期のいたいけな女子の私は、同じクラスになったとある女子に現実を突きつけられる。「顔、大きいよね」…写真をみる、ほかのこより確かにデカイ。これは衝撃だった。覚醒しだすと、自分の容姿に自信がなくなってくる。そこで、髪を伸ばし、顔を覆うことにした。私は瞳がでかい、鼻や口もてかいけど。鼻は仕方ないが、瞳がでかく二重なのは自慢だ。母にクリソツなだけ。街を歩けば「○○ちゃんの娘ちゃんでしょ」と見知らぬ人に何回も声をかけられるほど!私と弟はいまでもクリソツ(身長や髪型、体型が違う)。兄と弟は幼い写真がクリソツ(今は髪型が違う。兄が落武者←てっぺんハゲ)。その髪型は高三まで続く。黙っていると頭がよさそうに見えると言われるため、身近な人以外は話さなくなった。こうして、高校生になる頃には今の私が出来上がっていた。自宅では、弟とアニメ三昧。弟はファミコンでゲーム三昧。姉の私は小説漫画読みまくり、新聞や雑誌に投稿しまくり。文通も。小六にまいばーすでいを買い出した私は占い好きに。本屋で買ったタロットカードで日夜占うことに。表面は寡黙な真面目な少女、自宅ではお宅に。兄が、エロ本をおいて下宿したため、私は読みまくり、みまくり。なぜかエロにも目覚めてしまう。(少女漫画を愛する乙女だったので知識として蓄える程度、実践には使わなかった)頭でっかち実践なしの女子高校生が誕生した。高校は兄と同じ高校に無事に受かり、バドミントン部に入り青春を謳歌。同じクラスで友だち五人とわははあははして、部活では、同じ中学の友人とわははあはは。大学受験が来るまでは幸せだった。成績は限りなくビリに近い。さりとて、国公立を目指す文系女子クラスの一員になっていく高三。理数系が苦手だが、文系もヤバイ。国語は平均、あとは…。どの大学に行くのか?成績から適当に選んだら、宗教学科が該当。いや、花の乙女がなにゆえ宗教やねん。仕方なく、「がんばる」の名のもとに、国立○○大学人文学部社会科学科を志望した。バドミントンでペアを組んでいた友人と同じ志望大学。夏休みの大学キャンパス解放日に、私の兄に車を出してもらって二人で見に行った。ゼミ室からオーシャンビュー。思わず「すげー」と叫んでしまった海なし県の私。夏休みを過ぎたら、一気に受験モード。私はひたすらセンター試験まであと○○日を数えていた。その日が来たら、自分が国公立に行けるかどうかが決まる。年明けのセンター試験。あいうえお順で並ぶ。高校は別れた友人が視界にいた。三年ぶり。会いたくなかった。高校が違うから卒業して以来の再会。彼女は人のまとめたノートを写してさらに書き加え先生に認められたやつだ。私のノートを使いやられた。国語は私は大得意、でも、彼女に、ノート作成をパクられ改良されそれが先生に認められたとき、私はこの女が嫌いになった。彼女は平然とそういうことをやる。だから、嫌われていた。私は仲良しと思ったが、私の国語の力を利用したやつだった。だから、嫌いだ。ちなみに、夏休みの研究のアイデアも利用され、校内の賞をもらっていた。理科の教師が彼女の叔父で、後に県に推薦されたらしい。もはや、優等生がいけしゃあしゃあとやるから、誰も何も言わない。関わらないようにするしかない。たから、私は彼女が嫌いだ。センター試験は2日続く。1日目で全滅。こりゃ、短大だなと内心決めた。2日目、会場からの帰りのバスで友人に会った。試験科目で、習っていない地学を取った女が「わたし、ほぼ100てん満点たよ」といわれ、私は内心傷ついた。センター試験の採点を高校に行ったが、もはや、平均にも満たない。あははと笑いながら、普段は仲良くない女子と「四大私立はいかしてもらえないから、わたし、短大だよ」「私も」と意気投合した。仲良しな友人の成績は知らない。互いに知らない。次に会ったのは卒業式。私はまだ公立短大が残っていた。友人は国公立二次があったはず、、。三月末に女子クラスの第一回が開催された。そこで、浪人するとか、私立短大、私立四大…下宿だ通いだと判明した。こうして、私は公立短大一年生になる。

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