とある女性の半生をば(短大からOLにまた短大にさらに大学編入)

前話: とある女性の半生をば(高三まで)

高三までは順調に進学した私。国公立にいきたかったけどセンター試験でだめだめ、四大私立はダメと言われ、公立短大に進学するわけで

誰にも春は来る。勝手に来る。私にも来た。ピカピカの一年生に。オフホワイトのワンピースを翻すショートカットな乙女。高三の時に、髪を切ったら、気分転換になるかなと切ったら、とある仲良くない(悪くもない)女子に「成績悪いから髪を切ったの?」といわれた。こいつ、私の三者面談の前後にいたよな…あまりにも失礼だったから流した。高三女子としてそんなこと言うわけ?まあ、成績悪いですよ?その女がよかったかどうか、知らない。興味ない。名前も覚えていないわ。髪はすぐ伸びない。だから、ショートカットのまま、私は短大生になった。
短大の入学式に、父がついてきた。入学金を持って。あくまでもお金のため。私の入学式を見るためじゃない。母が「お金を持っていくのよ」と父にいっていたから。父はカメラも持って来ていなかった。一人娘ですよね?…JRと市バスを乗り継いで二人で無言。父は生まれた町で育ち工場に務め定年退職した人。早くに父を亡くしたため、父親として家族を遊びにつれていくという概念か乏しい。だから私が案内した。試験にうけにいって二回目の訪問だから案内出来た。名古屋駅出たら市バスに乗るよ。バス停を降りると、同じ人種がちらほら。ワンピースのしつけがとれていない人が何人もいたから指摘しまくった。短大の敷地に入り、指定のクラスを見る。父は私についてくるだけ。指定された教室に入室したら、一人先客がいた。150ない小柄なふわふわ髪の彼女。私は声をかけた。彼女といろいろ話しまくった。背後にいる父は空気。※実はいま(アラフィフ)でも連絡を取り合う友人だ。入学式が終わり、構内を歩く。「写真部です、写真はいかがですか」彼女と二人で写真を撮って貰った。今もアルバムにある。その写真の私は輝いていた。とりあえず、花の短大生。部活はバドミントンと決めた。バイトは家庭教師を決めた。四月からクラス皆に朗らかに挨拶していた。そう、見るからに、なりたくてなった短大生を演じていた。内心は国公立編入を狙っていた❗目指せ、編入。
短大たるもの、二年間で単位を取らねばならない。さらに、私は編入を狙っていたので、片っ端から単位を取った。一年でマックスまで取った。うちの短大には隠れ浪人もいた。うちのクラスにも一人いた。彼女は名古屋工業大学を狙っていた。しかし、親が厳しく、浪人はダメ、私立には行けず、公立短大で学びながら隠れ浪人をしていた。大学に編入したら?と気軽に言ったが、まずは、受験するからと私に言っていた。私は編入を狙っていたので、一年目は色々やってみようと部活にバイトに勤しんだ。やがて、夏が来た。私は母に強制的に自動車学校に入れられていた。学費は支払い済み。資格はとれと否応なく通うはめに。自動車学校は、私の町にはない。となりまちにいかざるをえない。しかし、地元の子がほとんど通わない自動車学校に入れられていた。スクールバスは来るが、ぐるぐる回るから一時間かかる。駅から歩くと40分かかる。だから、スクールバスに乗るしかない。始発で乗って終点で降りる。…ほとんど私だけのバスだ。そのバスに乗るため、自動車学校の名前入りのバッグを持たないといけない。…はあ、シルバーのぴかぴか光る目立つバッグ。ほかに使い道がないから捨てたあれ。夏が過ぎ秋に。十月から後期が始まった。クラスメイトの大半がワンレンボディコンに。前髪がくるり。髪は長めソバージュ。夏にバイトをしてためた資金でイメチェン。私と類ともの友達は変わらず。やがて、冬が来た。私はそろそろ編入に向けて切り替えなきゃと。家庭教師先の生徒は推薦で金城に受かったので止めることに。部活も止めることに。隠れ浪人した友人は落ちたと。夏に編入を受けるわと方向転換していた。高専が編入する大学を目指し夏に試験を受けるらしい。ゼミの先生に数学を教えてもらいだした。やがて、二年生の春に。一年で単位を取りまくった私はまだ単位を取りまくる。編入先で認定してもらうために。周りが就職活動に忙しくなってきた。私は就職活動をしないので、九月に公務員試験を受ける友人と、京都の大学に下宿している友達に泊めてもらい、青春18切符で倉敷まで行って京都に戻るという在来線の旅を堪能していた。夏に試験を受けた隠れ浪人の友人は合格。九月に公務員試験を受けた友人も合格。私は12月の編入試験を…落ちた。年末年末は暗かった。親にどうするの?と詰め寄られ、成人式には行かず。短大の求人(推薦)に一枚だけ掲示してあった会社を受け、一月末に内定が出た。二月の試験に、出会った友人たちに「編入落ちたからOLやるよ」と宣言。まだ進路未定の友人もいたが、スルー。私もなんとか進路をきめたんだ。彼女たちもいずれ決まるだろう。※ゼミの先生に紹介されSEをやっていると数年後に聞いた。卒業式に、私のクラスの大半は、出てこなかった。会社の研修が三月からあるからだとか、卒業式のためにわざわざ名古屋にいくのもね~とか。彼女らはもう短大を卒業して会社員になっているのだ。私は隠れ浪人した友人と卒業式も親睦会にも出た。私の研修は四月からで、友人も編入した大学の三年次が始まるのは四月以降だったから。成人式の時に着るはずの晴れ着(振り袖、母の好みで買ってきたやつ)を着て、袴を借りてはいていた。髪も美容院でアップ。ちなみにこのときに撮った写真が見合い写真として出回っていたのは後日談。
四月になり、私は新入社員に。私の会社は生保業界でトップクラスの会社。その支店で私は保全担当になった。一般事務である、営業ではない。※よく営業していましたかと聞かれる。私は事務命だ。一年で辞めるつもりで入社したが、真面目にきびきび働いた。やる気のある新人と注目を集めていたらしい。働くって楽しいと思える支社の事務だった。私は環境的に自己肯定感が低い。しかし、会社では誉められる❗嬉しかった。あとで、いろいろ仕事を押し付けられたことも発覚したが。この会社は新人研修も密で、数ヵ月に一度は大阪本社に1日研修で行っていた。関西地区の研修に東海地区も含まれていたのはなぜって感じだが。関西の子達は派手(私の印象)。聞けば、高校から推薦で私立短大、さらに、100名単位で大手の会社に入る…だって。関西圏で一括採用であとから本社や支社や支部に割り振りされるらしい。やはり、規模が違うなあと。なお、本社に勤務したかったという子は多かった。まあ、本社は大理石ばりばり、市役所の隣だし。地下鉄そばで、すぐ北や南に行けるからね。東海地区で大手といえばはトヨタ。確かに、60人ほどうちの短大でも推薦枠があった。本社採用だの、栄採用だのあったなあ。その推薦枠が埋まらなくて担当者が追加を募っていた。また、公務員志望の友人が申し込んで「あとで断れますか?」と聞いていたのでトラブっていた。なぜ、公務員志望がトヨタを滑り止めにしようとしたのか。彼女はさらに市役所も受かり、県にした。ちなみに同じ短大から三人推薦でわが社に入ったが、三ヶ月後、一人が辞めていた。そして、私が多分一年後に辞めたから、学校推薦枠、なくなったのでは?ちなみに短大は私が会社をやめて数年後に四大に吸収されたので今はない。秋になり、上司と面談、来年の豊富を聞かれることがあり、「来年の春でやめます、大学に行きたいから」と部長に言った。「なにいってるの?」「なめてるの?」と聞き返された。「いや、本気です」…部長が「また説得するから」と言い残し話はそれっきりに。年明け、インフルエンザにかかり、一週間休んだ。実は高熱になったときに一回風呂に入ってさらに悪化させた。有給もろくにとれない会社だった。会社に行くと「辞めるのによく休めたよね」と同僚に嫌みをいわれた。私、辞められるの?そのときにようやく実感した。部長が私を説得することはなく、私が辞めることが、社内に広がっていた。同じ新人でもう一人辞めるやつがいた。私はこいつが嫌いだ。わたしのこと文句いうわりには「朝の拭き掃除、変わって」と頼りにして来やがったから。回りの対応が冷たくなってきた。とある同僚は「私のせい?」だの、「あの子があなたに意地悪したから?(気づいていなかった)」だの、憶測が走った。いや、私は進学したいから。働きながら学びたいから夜間の短大に行くんだと説明した。本当は四大に行きたいけど、まずは、夜間の短大に入って経済を学ぼうと。岐阜からは通えないから下宿するし、親元から独立し学ぶことにした。親はずっと家を出ろと言ってきてから「会社やめます、下宿します」と、さっさと短大を受け合格し、下宿を決めてきた。会社は3月31日まで働いた。午後五時、帰ろうとしたら、上司から「明日来るこのために机をきれいにして」「筆記具もそろえて」とまさかの、指示。最後だからとやったさ。午後六時になっても私がいるので、他部署からは「帰らないの?」といわれた。はい、どうやら、私は嫌われていたみたい。ようやく辞められて良かったと。ちなみに、私は、そのまま勤務していたら、支部へ異動予定だったらしい。でも辞めますよ?すると総務課配属の同期かいくことに。彼女とは高三なクラスメイトで、クラス会で嫌みを言われた。仕方ないよね~、会社の人事異動なんだから、さ。
会社を辞めてきた娘に親は焦るが、今さら何?私はさっさと親元を離れ下宿をした。家賃格安、短大からの紹介。あれは、潜りで下宿屋をやっているのだろう。一階が小屋で二階に四部屋の個室、風呂に洗濯機に冷蔵庫に台所は共通。四部屋のうちに部屋は二年生の夜間短大生徒。後昼間短大の一年生が来る。こいつらも、宗教あり、全く帰ってこない(彼氏宅にいきづめ)、なぜか工場勤務しだす…あまり関わらないことにした。なお、私が、主に使うので掃除をしていたが、それにクレームが入った。しかし、無視したが。普段やらないやつらに言われてもね。光熱費は4等分だったから私は得したけど。短大は夜間(昼間もある)だから、昼間は財団法人でバイトをすることにした。クラスメイトの友達も作った。その子は同じ年、短大卒も同じ、自宅がすぐそばの友人が出来た。その子と付き合いうようになり、地元の友達の輪も広がった。バイト先にも部署は違うが同じ年の女子二人がいてランチを毎日していた。自転車をやめスクーターに乗るようになった。さらに行動範囲も広がった。親元を離れ、私は自由になった。家事も思った以上に出来る、一人暮らし最高😃⤴️⤴️となった。家賃は格安一万円で光熱費は別、だから、バイトをして資金があるから生活はわりと豊かだった。経済中心の科目を取得。やかて、年が明けた。実は、夏に図書館司書の資格を取りにいきたかった私は、3月でバイトを辞めた。四月から短期バイトで食いつないだが…資金が夏には枯渇。親に泣きついた。数ヵ月仕送りを貰った。夏になり、名古屋駅まで電車で行き、スクーターで日進市の大学に通い、図書館司書の資格を取った。秋に、公務員試験(図書館司書)を受けたが落ちた。これからどうしよう…ふと、図書館の掲示板に「○○大学人文学部社会人編入募集」と張り紙が。高校三年生のときの第一志望、オーシャンビューの大学だ。これは何かの啓示か?募集要項を見たら、短大を出て、三年経過した者…夜間の短大は職歴と見なす❗よっしゃー、、。私は秋に小論文と英語の試験と面接を経て、無事に受かることに至った‼️万歳🙌親に「さらに二年進学するよ」「卒業したら、公務員になるよ」と説得。私が岐阜に帰るからと仲良し四人で静岡に旅行したけど「わたし、まだ、いるよ」となり、とりあえず笑顔で再会することに。夜間短大のゼミは刑法であった。そこで一つ下の女子と仲良くなった。彼女も大学編入を考えていた。しかし、徳島の実家に帰るとなった。私が「大学編入した!」と報告しときの彼女は微妙だった。人それぞれの秋が過ぎ、冬が来た。私は、課題に終われていた。過去の短大の単位を認定してもらうため、書類を取り寄せたりした。私は語学一部と体育が足りなかった。だから、四月からは新一年生と一緒にやることに。
編入した仲間は10人以上にいた。主な仲良しは京大卒で住友系列研究所にいた29さい、パナソニックで10年経理担当した29さい、関西の大手の人事部に5年いた25さい、名古屋出身でミステリアスな女子25さい、地元高校を出て5年勤務うち二年夜間の短大に行っていた23さい、尾道出身で長髪を整えるのに二時間かける女子23さい、札幌出身で国際協力隊員に行った女子29さい、主婦で大卒資格を取りに来た38さい、主婦だがボランティアに燃える主婦50、兵庫から通う主婦60代、地元1の高校を出て東京で女優やら水商売をしていたが飽きて地元に帰ってきた38さい…多彩すぎる面子が集まった。あと、同じゼミになった大学出て会社員やっていたがまた大学にきた25さい。ゼミは日本経済について学ぶところ。日経新聞から日本をひもとく…何てことみやっていた。ゼミ生主導でやるとかなっていたが、教授の引いた路線に毎回なっていった。日経新聞から記事をピックアップし、数人の司会担当があーだこーだと。ゼミは昼から2コマで、さらに、オーバーして午後六時だのになることも。最初はやる気のあった編入仲間の25さいがやる気をなくす。私は現役学生に混じり、侃々諤々。学生を二年して、単位を取得し、卒論も。就職先は公務員に絞ったが…県に、国家二種に落ちて、国家三種郵政事務に受かったのでいくことにした。さあ、編入した彼らの卒業後は!京大は在学中に簿記一級を取り名古屋の市場に勤務したはず。パナソニックのひとは、しばらくイオンでバイトをして、イオン会計に採用で、数年で退職、今はバイトをして暮らしているらしい。人事部は卒業してすぐ元会社の部下と結婚し、五人のママ、アムウェイをしている。ミステリアスは京大と付き合っていたが別れたらしい。尾道は学芸員になり、岡山大学にいき、学位を取得したかどうかで北九州市の医者の嫁になった。札幌は一ツ橋大学の院に進学し、社会学を専攻し、40過ぎても「私は学生」と言い張っていた。地元高校を出ていた彼女はオーストラリアに語学留学しドイツの郵便局員に出会いドイツにいてパン屋をやっているそうな。38で主婦だった人は大卒資格を取り地元の学習塾の経営をしている。ボランティアに燃える主婦はパナソニックに彼を紹介したりお節介やきだったが、今も、ボランティアに励んでいるだろう。兵庫から通う主婦はきっと頑張って数年かけて卒業しただろう。元女優はフランスに留学して、院は千葉大学に行ったと聞いた。同じゼミ25さいは、病院事務をやったあと、転職したらしい。
いろんな人と出会い別れ…目まぐるしくて、いとおしい、青春の一ページ。
これて、25さいまでの私だ。

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