慶應を辞めて全米トップリベラルアーツ大学に進学する肉屋の息子の話

こんにちは!


2019年8月から米国ウィリアムズ大学に進学する、福永祐一といいます。



私は小さい頃、ゲームにハマっていて、英語なんて全く話せない普通の小学生でした。中学受験で奈良の進学校に進学はしたものの、特に目立つようなことはありませんでした。



そんな私が変わり始めたのは高校に入ってからでした。ある大会で世界大会の決勝に進んだり、日本・世界をリードしている起業家や政治家の方とお会いする機会を得たり、世界中に友人が出来たり、自発的に行動するようになりました。



そして高校卒業後には、慶應義塾大学経済学部に入学しました。ただ、慶應に通ったのは半年間のみで、春学期中に結局退学しました。



慶應を退学した後は、ベンチャー企業でのインターンや留学プログラムの運営、TEDxYouth@Tokyoでの講演の傍ら受験勉強を重ねた結果、念願の第一志望だった、全米リベラルアーツ大学トップのウィリアムズ大学に合格することができました。



帰国子女でも、親が勧めたわけでも、周りの友人が目指していたわけでもない世界のトップ大学をなぜ志すようになったのか。そしてなぜ合格できたのか。これからどう生きていきたいのか。受験体験談をお話させていただきたいと思います。



  1. 平凡な小学生時代


「あんた今何時やと思ってんの!?ゲーム没収!1週間禁止!」


「いやや!ヨルノズク(夜にしか出てこないポケモン)捕まえてんねん。夜にしか出てこーへんからしゃあないやん!」



小学生の頃、私はいたって目立つようなタイプではありませんでした。どこにでもいるような小学生でした。宿題はいやいや親に言われながらとりあえずやり、終わった瞬間DSとWiiに食いついていました。好きやったゲームはポケモンとスマブラ。おばあちゃんの家でイチゴを食べながらファイヤー(ファイアレッドに出てくる伝説のポケモン)が全然捕まえられずにひたすらAボタンを連打しまくっていた(捕まえやすくなるらしいとかいう理由でとりあえず皆さんも押してたのではないでしょうか笑)のをよく覚えています。スマブラも、当時はインターネットの攻略サイトを見るという能がなかったので、近くの参考本が売られているTSUTAYAで参考本を買ってもらって、一日中妹と大乱闘しまくっていたのも今となっては懐かしい思い出です。




ゲームだけではなくて、当時は遊戯王にもめっちゃはまっていました。カードは覚えているだけで1000枚は少なくとも持っていた気がします。カードの名前、効果、攻撃力、守備力などなどほとんど暗記していて、あの暗記力を違うところに使えていたらもっとなんか小さい頃にできたんちゃうかなと、たまに意味のない後悔をしたりもします笑。



そんな私ですが、生まれ/育ちは宝塚歌劇団で有名な兵庫県宝塚市と、チキンラーメン記念館がある大阪府池田市で、根っからの関西っ子です。海外に住んだことも行ったことも中学3年の頃まで毛頭なく、周囲の友達が「ハワイ行ってきてん!これハワイの砂お土産!」と行って砂を渡してきて「なんやねんこれただの砂やんけ」と言いながらも、羨ましいなと心の中で焦がれていました。



そんな私の父は、タイトルの通り地元で肉屋を営んでいます。おかげで毎日食卓には豪勢な肉が並ぶのですが、私にとってはただの生き地獄。そう、牛肉が嫌いなんです笑。誕生日には親がステーキを店から持って帰ってきてはくれるんですが、ステーキを残して隣の野菜ばっかり食べて、よく「この贅沢もんが!」とベランダに出されて反省させられていました。



また、地元の肉屋ということもあって、店のある商店街のおっちゃん/おばちゃんにはいつもよくしてもらっていました。特に店の隣のはまやさんという愛称の八百屋さんの気さくなご夫婦には、小さい頃遊んでもらったり、野菜の名前を教えてもらったり、遊び相手になってもらっていました。



その他にも、地元を歩けばお客さんによく「マル福さんのとこの!大きくなったねえ。」と声を掛けてもらったりして、あったかいコミュニティにずっと見守られながら育っていました。




こう書いていると何不自由ない幸せな幼少期を送っていたように見えますが、そんなこともありませんでした。当時の私には大きなコンプレックスがあったんです。それは「親が肉屋」であることです。親が知識層に属していないことが何よりのコンプレックスでした。



恵まれたことに私立の小学校に通わせてもらっていたこともあり、大抵の私の友達は「いいところ」の子でした。親が医者だったり、経営者だったり、大企業のサラリーマンだったり。そんな中、地元の肉屋の子は周りが気にしていたかどうかはさておき、私にとっては圧倒的なコンプレックスでした。妹はこれが原因で友達からハブられたこともあって、「なんで俺の親肉屋なんかやってるんやろ」とよく親のことを悪く思ってました。



そんなバチが当たったのでしょうか。小学5年生の時、私はいじめを受けました。



学年で唯一学級崩壊していたクラスにいました。私立ということもあって、同級生はみんないわゆる良いところの子供です。プライドはめっちゃ高い。ステータスに対する自信もある。社会的にブルーカラーの連中よりも優れていると思っている。そんな中、ブルーカラーの親を持つのに価値観はホワイトカラーだった私は、プライドの高い女子の癇癪に触れたが故に、クラス中から身体的/精神的にいじめを受けるようになりました。



机の上には「死ね」と書かれました。

休み時間は無視されました。

登下校中はいじめっこに囲まれて「死ね」「うざ」と罵られながらランドセルを蹴られ続けました。

塾でもすれ違うたびに「くっさ」「死ね」と言われ続けました。



中学受験を控え、塾に通いつめていた小学5年の私には、このいじめのストレスに耐えることができませんでした。部屋はぐちゃぐちゃ。肌は荒れに荒れ。心はボロボロ。部屋で狂いながら叫んでいました。側から見ればとてもやばいやつですが、叫ばなければもうストレスで死にそうな勢いだったんです。家でさえ叫べなくなれば、もう私には逃げ場所はなかったんです。



いじめは幸い一学期でおさまったのですが、このいじめで受けた精神的ショックは、まだ幼かった私にとってあまりにも大きすぎました。



人を信じることはアホがすることだということを知りました。

危険を冒してまでは大人でさえ誰も助けてくれないことを知りました。

自分に存在価値がないことを知りました。



人間不信になりました。

パニック障害になりました。

鬱になりました。



そして迎えた中学受験は失敗しました。


2. 何のために生きているのか。なぜ生きなければならないのか。


いじめられた経験がある方にはわかると思うのですが、いじめを受けると「俺なんか死んでも、誰も葬式で泣いてくれへんねやろうな。生きる価値なんてあるんやろうか。」と何度も思うものです。なぜ私がこの世の中に存在していないといけないのか。



こんな重い重い問いを私は抱えながら第二志望だった奈良にある中学校に進学しました。



片道2時間弱。正直行きたくもなかった中学校に、通勤ラッシュに揉まれながら通学する毎日はひたすらに辛かった。それにいじめが原因で発症したパニック障害のせいで電車の中でしんどくなる時も多々あり、吐きそうになりながら学校に行ったこともありました。友達も一応はできたものの、人間不信になっていたために誰とも本気で接することができず、結果友達もちゃんと作れない日々でした。



そんな中学生活を送っていた私に転機が訪れたのは、肌寒い中学3年の秋でした。



中学3年の三学期の間、Tはアメリカ、私はカナダに短期留学することになっており、毎日そのワクワクを語りながら登下校していました。



そんなある日、登校して彼のクラスを覗いてみると、彼の姿がそこにはありません。



「風邪でもひいたんやな」



と思って普段通り教室で朝礼を待っていると、そこに暗い面影をした先生が入ってきました。



「体育館へ移動。話がある。」



と言われて、また誰かが帰りしなになんか天王寺ででもゲーセンよったんバレたんかなとか思いながら体育館で怒られるのを待っていたのに。先生が発した言葉は期待を裏切るものでした。



「T君が昨晩亡くなられました。」


え。



そんなわけないやん。



次の日、私は彼のお通夜に行きました。



そこには確かに、帰らぬ人となった彼の姿がありました。



待って。



死ぬのって100歳とかちゃうん。



何で15歳で死ぬねん。



涙を浮かばせながら、私は彼の遺影を見つめていました。



そして小学校でいじめられてからずっと心に問うていたことを思い返しました。



『俺なんか死んでも、誰も葬式で泣いてくれへんねやろうな。生きる価値なんてあるんやろうか。』



死にたいなとか小5の時には思っていたけれど、Tの葬式でこの考えは一変しました。



俺は何のために生きてるんや。

俺は何で生かせられてるんや。

何でTじゃなくて俺が生きてるんや。



この時初めて、人生の儚さ、不平等さを目の当たりにしました。



人っていつ死ぬかわからへんねんな。


じゃあ今死んでもおかしくないんか。


いや待てよ、でも俺死にたくない。


何でや。


まだ何もやりたいことできてへんやん。


こんな陰キャで、昔受けたいじめのせいで満足できない、チャレンジしない人生ばっか生きててええんやろうか。


そんなわけない。


逆に考えてみれば、いつか誰だって死ぬんや。


やったら、楽しんだもの勝ちやん。やりたいことやってもん勝ちやん。


昔いじめられたからって、周りから変わってるなって言われたって関係ないやん。



どうせ、みんな死ぬんやし。


葬式が終わると、私は彼の遺影に向かって誓いました。


俺、お前が生きられた人生絶対無駄にせーへんからな。


天国で誇りに思ってもらえるように、努力して夢掴んで、なりたい自分に変わってあの世に会いに行くからな。


待ってろよ。


この日を境に、私の心は大きく変わりました。



3. 努力すれば報われる


その日を境に、「嫌な自分を変える」「夢を掴む」「人生一回きりやから大きなことを成し遂げる」ことを漠然と心に思うようになりました。何よりそれは、「人生一回きりやから、何をするのかを考えて、有意義な時間を過ごそう」と考えるようになったからです。



そう考えると、私には嫌なところしか見つかりませんでした。


運動できない

コミュ障

ダサい

なよなよしい

とりえない

おもんない

自己中

・・・



どっから変えていけばいいのか分からないくらいに、嫌な自分が見えに見えてきました。



けど、変わりたかった。



変われると信じたかった。



この信念が確信に変わったのが、カナダでの短期留学です。



トロントから車で約2時間離れた、ファーガスという田舎町に3ヶ月ほど留学に行きました。




人口はわずか数千人。町に住む人々はほぼ白人。生まれてから死ぬまで町をでない人がほとんどという閉ざされたコミュニティに、日本人数人がひょいと入っていったわけです。



最初の2ヶ月はめっちゃ辛かった。



中学に入ってから、将来エマワトソンに会って話すのをモチベーションに頑張っていた英語(には唯一自信を持っていたんですが、そんな英語も通じず。音楽の授業に出ても何を言っているのかさっぱり。



何が辛かったって、それは笑いのツボが違いすぎて一緒に笑えないこと。



授業中のジョークは聞き取れても全く面白くない。逆に、友達と話す時にジョークを言ったつもりでも全く伝わらない。



途中からいじめられた記憶が蘇ってきたこともあり、クラスの扉を開けるのが毎回怖くなってきました。



気づけば周りはみんなカナダ人。

ほぼ白人。

英語しか喋らない。



そんなみんなから向けられる視線が示すことは一つ。



「お前、誰やねん」


毎日が辛くはあったんですが、カナダにせっかく短期で留学したんやから、友達たくさん作って、自分に自信つけて帰ろうと思っていました。何より、人生いつ終わるかわからへんねやったら、とりあえず挑戦しまくるしかない。



そう決めていた私の背中をいつも押してくれていたのがホストマザーでした。そんな彼女がいつも言ってくれていた言葉が励みでした。



“Life is an adventure. Go Explore!”

『思う存分人生は冒険しなさい!』



通っていたカナダの中学校に行くまでの車の中で、いつもこう言ってくれました。



そんな彼女の言葉が支えになって、私は体育の授業である黒人の子に話しかけてみるようになりました。



ほぼ白人の中での黒人ということもあってとても目立っていて、かつバスケがめっちゃ上手いこともあって、いつもなかなか話しかけられませんでした。



「けど、バスケ上手くなれば、もしかしたら振り向いてくれるかもしれへん」



そう思った私は、その日からひたすらフリースローの練習をするようになりました。背も低く、運動神経もよくない私がバスケで貢献するには、フリースローで得点できるようにするしかないと思ったからです。



昼休み、休み時間をひたすらフリースローの練習に当てるようにしました。



すると自分にも自信を持てたのか、その黒人の彼と仲良くなれました。



体育の授業でバスケの試合をした時、彼がドリブルしながら放ったシュートが外れた際のボールを私がとって、それをシュート&ゴールした時に彼が


「いいパスやったやろ」


と冗談混じりに言ったのがとてもいい思い出です。



4. 何のために大学に行くのか


そんなカナダの中学校の日々で一番衝撃的だったのが、友達の進路でした。日本で通っていたのは中高一貫校で、関西ではある程度有名な進学校でした。そのため、周りは東大・京大・医学部を目指している人が大半で、なんとなく私も東大に行こうかなって思っていました。



なので、大学に行くのが当たり前ではないことをカナダで知った時には本当に驚いたわけです。



周りの友達は高校を出たらマクドナルドで働くとか、近くの工場現場で働くとか、ウォルマート(スーパー)で働くとか言っていました。


「大学は?」


と聞くと、


「そんなん行かへんに決まってるやん。おもんないし。それにはよお金稼ぎたいわ。自分は逆に何のために行くん?」


と聞かれてばかりでした。



日本でも6割ほどしか大学進学はしないのに、それを当たり前だと感じていたのかと痛感しました。何より、何も考えずに大学に行こうとしていたことを強く感じました。



確かに、大学ってタダちゃうねんな。



年間国立でも60万くらいかかるし。



よーく考えたら、親別に大学行ってへんけど、お金で苦労してへんし。



めっちゃ勉強させられて、部活も高2で辞めさせられて、『やりたいことは我慢!』とか先生に言われながら青春を勉強にだけ捧げるけど、その価値ってほんまにあるん?



カナダで初めてこんな疑問を抱くようになり、答えも見つからぬまま、帰国した私はエスカレーターでそのまま高校に進学しました。



高校に行くと、東大、京大、医学部受験に関する話も先生の口から頻繁出るようになって、私も進路を考えるようになりました。ただ、家族で大学に通っていた人がいないこともあって、あまり大学受験や大学生活をイメージすることができませんでした。なので、大学に行くのは当たり前だと思っていた周囲の友達と違って、そもそもなぜ大学に行かなければいけないのかを自然と考えていました。



何で東大なのか。



偏差値が一番高いから?



国から一番お金をもらっているから?



国立だから?



東大に通っている先輩に「なぜ東大なのか」を聞いたときに返ってきたのはこれら三つの答えが大半でした。それに「東大で何をしているのか」を聞いても、サークルや飲み会といった別に大学に通わなくても出来そうなことばかり返ってきました。一生返ってくることの無い受験勉強に費やされる10代の3年という時間と、年間約100万円程度の学費を費やしてまで、東大に入るというゲームして得られる結果が飲み会なのか。全国から集まる優秀な人と出会うには本当に東大に行くしか無いのか。どこか東大を受験することに違和感を覚えていました。


そんな中、僕は高一の夏にある大会に出場するため、マレーシアの首都クアラルンプールに行きました。The World Scholar's Cupと呼ばれる、6科目(芸術・社会・科学・文学・スペシャルエリア(年度によって異なる)・世界史)をディベート・ライティング・クイズで競い合う大会の世界大会です。



この世界大会に出場できたのは、本当にまぐれでした。当時その大会は関西では大して有名ではなく、地域大会に出場しただけで世界大会に出ることができました。そもそもこの大会に参加しようと思った動機は、ただ「英語を喋りたい」だけで、6科目の勉強は愚か、ディベートなどの対策もほぼ何もせずに大会に臨みました。



正直、努力せずに世界大会に行ってしまった自分に酔っていました。



そうしてクアラルンプールの大会に出場した結果、初日から挫折ばかり経験しました。



世界中から集まる秀才たちが語る話に僕は全くついていくことができなかった。大学の話になっても、日本の大学が話に上がることなどなく、アメリカ・イギリス・インド・中国の大学の話で持ちきりで、何も知らなかった僕はただ聞いているだけ。普段何しているのかという話でも、起業したとか、研究を発表したとか、、、今まで聞いてきた話とは話のレベルが違いました。そんな彼らが目指していたのが、トロント大学やその他世界トップレベルの大学だったことを知って、自分とのギャップを感じ、コンプレックスを感じ、ショック死するんちゃうかってくらいにしんどくなりました。



精神的ショックが大きすぎたのか、大会当日に百日咳にかかり、大会は結局棄権することになりました。参加した閉会式で、受賞した他国の同級生が大きなステージで賞賛を受けるのを見て、本当に悔しかった。そこに立ちたかったのはもちろんのこと、それ以上に、そこに立つ資格さえないということに涙が込み上げてきました。自分に酔って努力しなかった弱さに対して悔しかったのはもちろんでした。けれど、この経験以上に世界中には才能・スキル・努力のどの面でも上がいるということを思い知らされました。


その大会には日本から一緒に数十人が参加していました。そんな彼らの志望大学を聞いてみると、耳を疑う答えが当たり前のように飛び出してきました。



“Harvard.” “Oxford.” “Princeton.”



ハーバード?オックスフォード?プリンストン?



どの大学もテレビでしか聞いたことの無いような日本でも有名なアメリカとイギリスの大学でした。



もちろん、そんな大学行こうと思ったことも、行けるかどうか調べたことさえもありませんでした。



「日本で取り上げられる程の海外の大学にはこんなに優秀な大学生が集まるんや。」



日本に帰国してから調べてみると、東大の大学生とはまた違った学生が、アメリカやイギリスの大学に集まっていることを知りました。



日本の大学のほとんどは、一般入試というペーパーテストの点数が高かった順に受験者を定員まで入学させるアドミッション・ポリシーを取っています。東大であれば、センター試験の点数を圧縮した数字と二次試験の数字を足し合わせた点数で上から順に合格します。この点数だけで判断されるペーパー試験入試があることで、日本の高校生は缶詰になって受験勉強に取り組みます。現に日本の高校生の学力は世界的にもかなり高い水準を保っています。何より、客観的な数字で合否が判断されるため、とても公平な入試制度であると世界的も評判です。



しかし、「数字」だけで受験者の能力を判断することは本質的に正しいのか。受験勉強が少しできないからといって、その大学にふさわしい学生ではないと言い切れるのか。そもそも、個々の大学はどのような学生を求めているのか。理想とする学生を既存のペーパー入試で合格させられているのか。



このような日本の大学が抱えるアドミッション・ポリシー問題を解決する入試方法を取っているのが、アメリカのトップ大学です。



世界ランキング上位に食い込むようなアメリカの大学で、日本の大学のようにペーパー試験を行っている大学はありません。受験者一人一人をより包括的に評価するために、テストのスコアや学校の成績だけではなく、エッセイ・課外活動といった様々な書類をもとに、学力や人格で受験者の大学との適性を測ります。よって、大学が理想とする学生をより合格させやすくするのみならず、テスト勉強だけではなく、より個性を磨くような活動を受験者に積極的に推進することができます。



しかし、この入試制度の最大の弱点が、合否の判断がとても主観的であるということです。



昨年ハーバード大学がアジア人の受験者を不当に減点しているということで起訴され、結果裁判で敗訴しました。合否基準ががテストの点数のように明瞭ではないため、誰が受かるのか見定めることがとても困難です。いくら成績が良くても、願った大学に合格できるとは限りません。



このように賛否両論あるアメリカの大学のアドミッション・ポリシーですが、個性を重視しているという点では、とても魅力的な入試制度だと思いました。日本のトップ大学には同じような環境で育った同志がどうしても集まりがちですが、アメリカの大学では多様なバックグラウンドを持った学生が世界中から集まります。



大学行くんやったら、アメリカのトップ大学の方がおもろそうやん。



お金なんぼかかるんやろ。



え。



年間700万円!?

こんなん誰が払えんねん笑



けど、大学もやけど、民間で奨学金もらえるとこあるんや。



これは奨学金受けるしかない。


そんな奨学金の面接ではこんなことを聞かれます。



「なぜあなたは留学したいのですか?なぜ日本の大学ではいけないのですか?」



これに答えるために、自己分析を重ねに重ね、社会の仕組みを知るために今まで大っ嫌いだった読書をしまくり、自分の人生像、そこで大学に求めるものをブラッシュアップしていきました。



5. 人生で成し遂げたいこと


「とは言っても、どんなに自分に問いかけても、本を読んでも全然自分のことが分からんやんけ!」



と思っていた私にとってとても大切だったのか、進路を一緒に考えてくれる校外の友人でした。



高校時代は模擬国連という国際連合の会議を模擬するという活動を行なっていました。その大会で出会った他校の高校生には本当にみんな個性的。今でも繋がっている人には、京焼の窯元の子がいたり、パンと小説がめっちゃ好きでどっちも嫌いだった私にそれぞれの良さを教えてくれた子がいたり。



他にも、高校生外交官プログラムという「人間交流」をミッションとした3週間の渡米プログラムに参加した時の同期である高校生40人、同プログラムの先輩方から人生の選択肢は一つではないこと、人って面白いこと、そして何より、人を信頼することの大切さを学びました。



こうした校外でのつながりを通して、いろんな活動をされている起業家の方であったり、政治家の方であったり、たくさんの方に相談に乗っていただくことで、私がどのような人生を歩んでいきたいのかがより明確になってきました。



それに “What I Wish I Knew When I Was 20” の著者であるスタンフォード大学教授のティナ・シーリグ博士には、読み終わった後に感想と質問を書いたメールを送ったところ返信をいただき、人生相談に乗っていただきました。本を読んでそこで学んだことを実践してみたり、小説の主人公の立場に置かれたら自分ならどうするだろうと考えてみたりすることを通して、人生のトライ&エラーを繰り返していました。



そうしてたどり着いた私の夢は「努力が報われる世界を作ること」です。そして、そのために「人間を定量的/定性的に分析できる教養」「考えを形にできるプロジェクト・マネジメント能力」「生まれ持った個性の最大化」を目標に掲げるようになりました。



いじめられてボロボロになってから大きく成長してきた経験が、この夢を後押ししています。


このように自分がどうなりたいのか、それはどのような背景・価値観から生まれているのかを他人に説明できるようになることで、自分の行動を納得持って判断できるようになりました。


そして断固とした意志で、アメリカのトップ大学受験へと足を踏み出しました。


アメリカのトップ大学受験に必要なのものは以下の9つの書類です。


①SAT(日本でいうセンター試験)で最低9割

②TOEFL iBT 105点

③GPA(学校の評定)

④校内/校外の方からの推薦状4通

⑤課外活動

⑥受賞歴

⑦面接

⑧大学共通エッセイ

⑨大学別エッセイ


めっちゃ多い、、、



なのでこれらの書類は高校1年の頃から計画立てて準備し始めないと間に合わせにくかったです。



特に純ジャパ(海外移住経験が無い日本人)だった私にとってTOEFLは愚か、SATなんて呪文でしかなく、初めは全く英語の現代文に手さえつけられませんでした。



また大学共通エッセイや大学別エッセイでは「あなたの光る才能、個性、バックグラウンドはなんですか?」といった深い質問に直接ではなく間接的に、書かれた文章を読めば自分の人となりと強みが滲み出てくるような文章を書かないといけません。



なぜって?



アメリカのトップ大学の合格率は一桁です。



けどこの合格率はアメリカ人受験者も国外受験者も含んでいます。



アメリカのトップ大学の留学生は全体の約10%しか居ません。



けれど、その少ない枠に何千人、何万人もの受験者が押し寄せるわけです。



なので合格率は実際約1%くらいしかありません。



だからこそ、100人の受験者が居た時に、そこから「あなた」を選んでもらわないといけないんです。



それも会ったこともない、見ず知らずの外国人に書類だけで選ばれるんです。



だからこそ、書類で「あなた」を選んでもらえるように、あなたのユニークな個性、経験、性格、価値観を表現する必要があるんです。



けどそんなの学校の成績とか、TOEFLの点数とか、受賞歴なんかで測れるわけないじゃないですか。



だからこそ、比較的思うように自分を表現できるエッセイでどれだけアピールできるかがとても重要なんです。



と、こんな感じで受験の準備を進めていきました。



週末新幹線に乗って東京で韓国人・中国人に囲まれながらSATを受けたり、スタバでパソコンに向かってひたすらエッセイを書いたり、課外活動のために東京でイベントの運営をしていたり。今思えばかなり変わった高校生活を送ってはいましたが、とても有意義な時間を過ごしていたと思います。



そんな受験時代を経て、2018年3月。



いよいよ志望大学の合格発表。



不合格。



次の大学。



不合格。



また次。



不合格。。。



結果、受験前に合格が確定していた滑り止めの大学以外、全てから不合格通知をもらいました。そして、半年間だけ通おうと思って選んでいた慶應義塾大学にとりあえず進学することになりました。



控えめにいって、悔しかった。


自分が受けたい教育をアメリカのトップ大学の数校で受けることは、大きな夢へのたかが小さなステップでしかないとわかっていても、努力が結ばれなかったことが悔しかった。



慶應に通っても、その思いはおさまるどころか強まるばかり。



半年間で得られると思っていたことに関しては慶應で十分すぎるほど経験させていただいてとても満足だったのですが、どうしても四年間を塾生として過ごすことで夢を達成できるとは思えなかった。



大学で勉強したいこと、勉強したい環境、手にしたいチャンスは、日本の大学ではほぼ不可能に近い。けれど、志望していたアメリカの大学ではそれが可能だった。



慶應や他の日本の大学はめっちゃいい大学ばかりですし、そこで得られる経験も非常に価値があります。ただ、私の理想としていた大学教育が得られる場所は、日本の外にあったんです。



なので、結局私は慶應を半年で退学。ギャップイヤーという形で、もう一度アメリカの大学を再受験することに決めました。



そんな再挑戦の背中を押してくれたのは、いろんな活動を通して出会った友達でした。



「ゆういちなら絶対いける!」



「俺やったら絶対諦めてたけど、お前やったらいけると思う」



「なんかあったらいつでもアドバイスするで!」



など、いろんな方に相談に乗ってもらったり、助けてもらったりしました。



それと同時に、東京にいるという土地柄の利点を活かしてイベントに参加・登壇したり、ベンチャー企業や衆議院議員事務所でインターンをしたり、面白い大人や大学生に出会ったり、北海道やその他地域を巡ったり、東京にいるから、日本にいるからこそできる経験を積んでいきました。



そして去年の12月。



朝起きてスマホを見るとそこには一通のメールが。



件名:Your Williams College Admission Decision (受験結果)



あれ、合格発表って1週間後じゃなかったっけ。



寝ぼけながらなんとなくそこに貼られていたリンクを開く。



そこに書かれていた最初の3文字をみて、私はスマホをそっと布団に置きました。



それは、”On behalf of” (〜を代表して)



去年もらったどの不合格通知にも書かれていたこの悪魔の言葉。



ああ、ここで俺の再受験の夢も潰えたのか。。。



3分ほど布団に包まりながら、ここ1年のことを思い出しました。



もっとあの時こうしたらよかったんかな。



まあこんなこと思ったってしゃあないよな。



けど頑張ったんや。しゃあない。



最後メールの文章最後までせっかくやし見とこ。



そうしてメールをもう一度見返すと、そこには“Congratulations!”の文字が。



<メール抜粋>

Dear Yuichi,

On behalf of all of us at Williams, I am delighted to offer you admission to the Class of 2023. Congratulations!

It has been an intense, exciting Early Decision period—for us as well as for you, I'm sure—and we are looking forward to welcoming you here in the fall. Joining you will be a talented and accomplished group of 550 students, bringing with them a wide range of experiences and perspectives that will make the next four years in Williamstown exciting and enriching.

------------------中略------------------

Getting into your top college is a huge accomplishment, and I hope you savor this moment as you look ahead to the start of a wonderful new adventure. Again, congratulations!



日本語訳:ウィリアムズ大学を代表して、あなたに合格をお伝えできることをとても嬉しく思います。おめでとうございます!私たちにとってもあなたにとっても受験期は辛く、けれど一方楽しい期間でした。秋にあなたを大学に迎えられるのを心待ちにしています。あなたが大学に入学することで、550人の学年はより才能と実績溢れる集団になります。ウィリアムズタウンでの四年間をより楽しく実りあるものにさせる、多方面の経験と価値観を持った人々がここには集まっています。(中略)志望大学に合格するということは大きな目標達成です。これから新しい冒険の始まりへと旅立つこの瞬間を噛み締めてください。二度目になりますが、本当におめでとうございます!



えええええええええええ。



合格した!!!!!!



こうして晴れて、アメリカのリベラルアーツ大学ランキング数十年不動の1位を飾っているウィリアムズ大学に、奨学金付きで合格することができたんです。


6. これまでも、これからも軸となる「肉屋の息子」だというアイデンティティ

今受験期を振り返ってどうして合格することができたのか理由を探ってみても、正直これだという理由は思い当たりません。



けれど、これで受かったって信じていたい要素があります。



それはエッセイです。



再受験するにあたって、エッセイを大幅に変更しました。



それはスタンフォードに通っている友達からこう言われたからです。



「見栄張ろうとしてエッセイ書こうとしたら、自己分析とか無駄にしてどうでもいいようなことを最終的にエッセイに書いてしまう。けどエッセイに書くようなことって、そんなに考えずとも、これを知ってほしいってすぐに思えるようなお前の人生の核となるような経験とかバックグラウンドやと思う。」



冒頭に、私は肉屋の息子だと書きました。



そして、肉屋の息子であるということが嫌いだという話もしました。



いじめられて、自己不信になって。



何かのせいにしたくて。



結果、親が肉屋でステータスが低いからどうせ何もできないって思い込んでました。



親が嫌いでした。



けど、それが大きな間違いだったことを痛感した日がありました。



そしてその日の出来事を、私はエッセイに綴ることにしました。


          Harsh summer sunlight robbed me of my energy as my sluggish legs carried me to my father’s brand-new meat shop with his bento box lunch. Walking past the former store, I reminisced about the days when I hated bringing my father his bento box. I hated my father. I hated my father being a butcher of Kobe beef.

        During summer break in elementary school, I often worked at my father’s meat shop. As soon as customers entered his store, I cheerfully welcomed them, wiping the display window of luxurious Kobe beef, which to me looked like nothing more than a bunch of cow’s muscles. I felt my cheeks flush red when my affluent friends came to visit the store, especially my classmate who I had a crush on but was out of my league (her father was a renowned doctor). My father smiled while washing all the knives and equipment, unaware of my shame. Sweeping the floor after closing, I saw a weasel and a mouse running away with little pieces of Kobe beef. I wiped my slippery, oily hands on my black apron full of stains.

        Lately, when my mother had asked me to bring the bento box to the old store, I would pretend to be meeting my friends and instead go alone to Starbucks for a cup of coffee. However, the brand-new store was one of his big dreams, and I couldn’t stay away. Walking towards the door, I took out my pair of sunglasses from my backpack and put them on, hoping that no one would recognize me.

        “Irasshaimase! (Welcome!)”  my father said. “Let me show you around.” As my father opened the door and took his bento box, my eyes scanned the fashionable store. I took off my sunglasses. My father smiled at me, “This is the new refrigerator that can keep tons of meat. It’s brand new and custom-made, way more efficient than the old one.” As I heard my father proudly talk about the new equipment, I saw on a table a new apron like the ones in Starbucks. He started to cut a chunk of Kobe beef with his new knife. His bright, young, and passionate eyes reminded me of his history.

       He never went to college. Facing bankruptcy, my grandfather forced him to succeed in the family business. As a result, my father contributed everything to the store for his entire life. His efforts allowed me to lead a free life with ease. Looking at him skillfully cut a chunk of meat into beautiful pieces, I felt ashamed of myself. How selfish to feel embarrassed of my father and “our” store. The brand-new shop was the result of his life’s work. His efforts made it possible.

        When I left the store, I looked back. There, my father stood proudly. He looked larger than ever. My father's relentless work ethic has allowed me to choose which path to lead in life—an option which he never had. Making most of this precious opportunity, I will discover which path I would like to contribute my life to and pursue it diligently. This is how I will return the favor to him. ...Then, in the near future, I seek to become the one who can influence my sons, daughters, friends, and people all over the world through my hard work.

        As I left my father’s store, I put my sunglasses back into my backpack. Walking towards home, I took out my iPhone and set a reminder to bring his bento box to our store the next day.



日本語訳:

 じりじりとした夏の日差しが、のろのろとした足取りで父の新しい肉屋に弁当を届けに行っているぼくの体力を奪っていた。父の前の店舗を通り過ぎながら、父に弁当を届けるのが大嫌いだったあの日々を思い出していた。ぼくは、父が嫌いだった。肉屋を営む父が嫌いだった。

 小学校の夏休み、ぼくはよく父の肉屋で手伝いをしていた。お客が来店するなり、ただの牛の筋肉の塊にしか思えない高級な和牛が並ぶガラスケースを拭きながら、愛想よく接客していた。お金持ちの友達、特に当時好きだった親が高名なお医者さんの女の子が店に来るときなんかは、恥ずかしくて頰が熱るのを感じていた。父はぼくの気恥ずかしさなぞ気づかずに、ナイフや機具を洗いながらにこやかな笑みを絶やさなかった。閉店後床を掃除しているときなんか、イタチとネズミが小さな肉の塊をくわえて走り去っていくのを見るのがざらだった。それを見ながら、ぼくはシミだらけの黒いエプロンで油まみれの手を拭っていた。

 だから母が父に弁当を持っていくように言ったその日、ぼくは友達と待ち合わせてるふりをして、スターバックスに一人で行きコーヒーを飲んでいたかった。そうは言っても、新しい肉屋は父の夢の一つであったから、ぼく自身も無関係でいることはできなかった。サングラスをカバンから取り出しながらドアに向かい、誰にも気づかれませんようにと祈った。

 「いらっしゃいませ!」父は言った。「店の中見せたるわ。」父がドアを開け弁当を受け取る時、ぼくの視界にはお洒落な店の内装が飛び込んできた。ぼくはサングラスを外した。「これが何トンも肉を保存できる新しい冷蔵庫や。新しくてオーダーメイドで、前のよりはるかにええねん。」父は笑ってこう言った。父が誇らしげに新しい設備を紹介する中、ぼくはテーブルの上のエプロンを見つけた。それはまさにスターバックスのエプロンのような洒落たものだった。そして父が新しい包丁で肉の塊を切り始めた。それを見つめながら、ぼくは父の半生を思い出していた。

 父は大学に行ったことがない。高校を卒業すると、父はすぐに祖父の肉屋で働き始めた。結果として、父は全半生の全てを肉屋に捧げることになった。そんな父の努力のおかげで、ぼくは不自由なく好きに生きてこれたんだ。父が巧みに肉の塊を綺麗に切り分けていくのを見て、ぼくは自身を恥じた。父と「ぼくたち」の店を恥ずかしく思うことが、どんなに自己中心的な考えだったのだろう。新しい店は父の人生を捧げた努力の結晶なのだ。

 店を出た時、ぼくは振り向いてみた。そこには父が誇らしげに立っていた。父はいつよりまして大きく見えた。父の努力のおかげで、父が決して持つことのできなかった、どんな人生を歩んでいきたいのかという選択肢とその決定権を手にできている。この恵まれたチャンスを活かして、どんな人生をいきて、何を追い求めていくのかを探していきたい。そうして、私は父に恩返しをしたい。(中略)そして近い将来、自分のひたむきな努力を通じて自分の息子や娘や友達、さらには世界中の人々に影響を与えられるような人間になりたい。

 こうして店を出て、ぼくはサングラスをカバンに戻した。家までの帰り道、ぼくはiPhoneを取り出して、カレンダーにリマインダーを登録した。明日、また父に弁当を届けにいくために。



このエッセイに綴ったように、今は肉屋に生まれてよかったなと思っています。



親が肉屋だからこそ持ちうるハングリー精神、好奇心、向上心は尊重すべき長所なはず。



こんな風にウィリアムズ大学に合格できた私ですが、これからは夢を達成するために自発的に行動していこうと思っています。



その夢とは、『努力すれば報われる世界を作ること』です。



この夢を掲げているのは、やはりこの受験経験が大きいと思っています。



それに加えて、昔いじめられていた頃に比べれば、嫌いだった自分のことが少しずつ好きになれるようになっているからです。



困った時には頼れる友達がいる。



やりたいことを貫くことができる。



伝えたいことを伝えることができる。



今となっては普通なことですが、これができるのは努力して変わろうと思えたからです。



そして自分以外の友人やその他いろんな人にも、努力すれば変わることができる、大きな目標に挑戦して達成することができることを伝えていきたいし、自身もそれを実践していきたい。



そのために、大学では人間を定量的/定性的に分析できるようになるために心理学・社会学・人類学をトリプルメジャーできないかと模索しています。ウィリアムズ大学には一学年たったの500人程度しかおらず、大学院はありません。そして在籍している教授は学術研究よりも学部教育に熱心な方が多いので、学部生の間からノーベル賞候補レベルの方とほぼマンツーマンでその分野を学ぶことができます。



また、大学卒業後、ビジネスの世界に身を置きたい、そしてできればフリーランス的な働き方をしたいと考えているので、自分で事業連携や新規事業を考え、提案し、実行するプロジェクトマネジメントスキルを高めたいと考えています。そのために、東京にいる間にある医療系の会社でインターンとして新規事業のプロジェクトに複数関わらせていただいていたり、留学系のイベントの企画・講演をさせていただいたり、その他このスキルが伸びるであろう活動に取り組んでいます。



そして将来の選択肢をより幅広くするために、多くのご縁から大きな目標に向かって邁進している大人、先輩、同級生、後輩と話ながら、いろんな可能性に胸を踊らせている毎日です。



今までたくさんの挫折を乗り越えてきてやっと大学合格という目標を達成したので、これからも山あり谷ありの人生を楽しんで、そして有意義に生きながら、夢を叶えていこうと思います。


-----------------


P.S. 高校生や大学生の将来の選択肢を広げられるような、インタビュー記事や大学生生活の記事などをブログを通して発信しています。ぜひ、ご覧ください。https://bizame.tokyo/







著者のYuichi Fukunagaさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。