アンデス2(ペルー) 投資家として飛行機なしの世界一周 その24

やっとペルーに入った。

と思ったら久しぶりに体調崩した。

下痢と寒気。

しかもここ、プーノがメチャクチャ寒い。

(ラパスより標高が高い。)

一日中宿でぐずぐずしてた。


この旅に出る前は、旅に出るたびに何らかの病気になってた。

インドや中国では重い風邪をひき、特にタイでは名前忘れたけど、赤痢みたいな病気になって最悪に苦しんだ思い出がある。

でもこの旅では今のところ、軽い風邪を何度か引いたくらいで、重い病気には今のところなってない。

ちょっと体調崩すとホントに健康の大切さが分かる。

このまま体だけは大切に、重い病気にならないよう頑張っていきたい。


下はプーノの町。

ペルーでも水祭りをやってた。

水祭りっていうか泡祭り。

寒いから水かけれないんだと思う。

これから一ヶ月くらいは、週末になると祭りが始まるらしい。


ウロス島という小さな島へ。
この島はトトラという葦みたいな植物を重ねて作られた、人工の島。

下の写真がミニチュアで、黒い土のところが湖。

そこにトトラを積み重ねて、浮いている状態。

そのままだと動いてしまうので、ちゃんとアンカーで固定してある。


こんなところで生活してるなんてホントすごいと思う。

久々に興奮した。

タキーレ島というところにも行った。


クスコへは、途中観光をしながら目的地に向かうという、ありそうでなかなかない珍しいバスに乗って行った。


クスコに着いたのは夜。

想像以上に綺麗な町で驚いた。

洗練されてるうえに、異国情緒もたっぷり。

特に夜は雰囲気があった。


クスコの町もそれだけで十分な観光地ではあるけれど、この町は世界的観光地、マチュピチュへの中継地点でもある。

さて、そのマチュピチュ。

日本でも報道されてたと思うけど、一月末の豪雨によって土砂崩れが発生し、途中の橋が決壊した。

それによって唯一の交通手段である鉄道が交通不能になり、観光が不可能になった。

でも当時、僕はラパスでそのニュースを聞いたのだけれど、大して深刻には受け止めていなかった。

マチュピチュはペルーにとって最大の観光地であり、収入源でもあって、それを長い間放っておくわけがないと思ったからだ。

丁度僕はボリビアに長めに滞在することを決めていて、クスコに着くのは一ヶ月くらい後になるから、そのころには復旧しているだろうと思っていた。

実際に色々調べてみると迂回ルートがあって、そこは約一ヵ月後に復旧する可能性があるということが分かった。

もし復旧が延長しても二週間くらいなら待てるし、最悪、歩いてトレッキングしてでも行ってやろうと思っていた。


でも結局、それもできなかった。。。


政府観光局は迂回ルートは復旧が遅れているばかりか、そもそも観光客が通れるような道ではなく、安全最優先のためにマチュピチュへの入場自体を禁止する、ということを二月後半になって発表した。

「予定通り」に復旧が進んでも、再開は4月になるということだった。

さすがにそれまでクスコで待っているわけにはいかない。。。


マチュピチュ。

僕がどれだけ憧れていたか。。。


別に僕じゃなくたって、マチュピチュは世界でも10本の指に入る観光地だろうし、南米だけなら間違いなくベスト1になるだろう。

そこに世界一周してながら行けないなんて。。。

悔しすぎる!


でもいくら考えても仕方ないので気持ちを切り替え、マチュピチュのためにペルーにはまた必ず来て、そのときじっくり回ってやろうと思った。

南米三大祭の一つ、インティ・ライミのときに来て、今回の分も堪能してやる、と決めた。


ということで、ペースを上げることにした。


下はマチュピチュのポストカードを縦にした写真。

山が顔のように見えるというんだけど、実際はどうなんだろう?

あー本物が見たかった!!!


以下、クスコの町並み。

石組みがすごい。

これは知識なしに見るとなんでもないように見えるけど、実はすごい技術。

今でもどうやって巨大な石を運び、どうやって正確に組み合わさるように形を整えたのか、はっきりしたことは分かってない。

(ちなみにインカ文明では「車輪」の技術がなく、運搬はもっぱら人力かリマに頼っていた。)


クスコでは最初の宿でインターネットがつながらなかったんだけど、どうしてもネットしたい用事があったので宿を変えた。

したらその宿の中庭に鳥(インコ?)がいて、そいつと仲良くなった。


聖なる谷のみにマチュピチュ。


朝。

鳥と仲良くなったのはいんだけど、毎朝俺の部屋の前で金切り声で鳴き叫んでいる。

相手してあげるまで鳴き止まない。

ドアを開けると遊ぶ気満々で待機してる。


手に止まりたいらしく、隠すと引っ張り出そうとする。

ぶんぶん振り回しても離れない。


サクサイワマン。

また巨大な石組み。


これは現代技術でも難しいし、例えば200年前、日本は江戸時代だったようなころには、ほぼ不可能なもの。

(実際に16世紀に渡ってきたヨーロッパ人たちは、インカの石組みを壊そうとしたが多くは壊すことができず、その上にそのまま教会を建てたりしたんだけど、後年起こった地震でヨーロッパ人たちが作った建築物は壊れ、インカの石組みはビクともしなかった。これはつまり、インカの建築技術のほうが優れていたとも言える。)

もっと確実に言うなら、1000年前の技術では絶対に無理。

では何故、1000年や2000年前の技術で作れなかったものが、何千年も昔からあったのか?

(俺は1万2000年前という説が正しいと思ってるけど、これだと今「正しいとされている」歴史では、ほぼ原始人の時代。)

一体誰が、どのような理由で創ったのか?

これはもっともっとよく考えたほうがいいことだと思う。


例えばギザの三つのピラミッドは、あの巨石を持ち上げるだけでもすごいことだけど、さらに四辺は完璧に東西南北を向いていて直線であり、そのうえオリオン座のベルト三ツ星に対応しているという現実離れした技術を持って作られた、超精巧な建築物。

ピラミッドの建築方法に対してはもっともらしいような説明がされているけど、ほとんどが「そうだったら説明がつくしいいなぁ」という程度のあやふやなもので、本当は「今でも謎」という説明が最も正確だ。

墓っていうのも間違いだといっていいと思う。

実は古代文明に対しては、一般人が驚くほど、いい加減な解釈がはびこっている。

説明するともうとんでもなく長くなるからやめるけど、とにかく科学者は、現代より優れた古代文明がないことを前提にしかしてないので、分からないことに対して適当な説明をしているっていうのが実際のところ。

本当は、何も分かってない。


僕は基本的に非合理的なことは信じないタイプです。

重力やいまだにわかっていないブラックマターなど、不可視的エネルギーは当然あるので、一種の霊的エネルギーみたいなものも信じるけど、「人の形をした幽霊」は信じない。

宇宙人のいる可能性はあると思うけど、「円盤型のUFO」は信じない。

ああいうのは大体、人間の希望的観測に過ぎない。

説明のつかないものに対しては、人間は超常的な説明をしたがる。

昔、雷や竜巻などを神様のせいにしてたのも同じことだと思う。

(その他、例えば金縛り。簡潔に言うと、睡眠には色んな状態があって、体が完全に寝てるのに、心だけ起きてしまうことがある。そのとき、精神は基本的にとぎすまされてることが多いので、音が大きく聞こえたり、場合によっては心も半分寝ているような状態で、夢みたいものを現実とのはざまで見ることがある。体は寝てるので動かない。怖くなる。悪夢を見る。幻覚を見る。それで何かが体の上に乗っかってるように感じる、みたいな。)


それでも古代文明に対しては、「科学的に言って」、天文学とか建築とかある分野において、現代人よりはるかに超越した人たちがいた、としか説明の仕様がないと思う。

もうほとんど魔法のような技術を持った人たち。

(現代人の技術だって、江戸時代の人からすれば、遠く離れた人と話し、手元であっという間に火を作ることができ、月を歩き、遠く離れた大陸の何百万という人間をボタン一つで殺すことのできる技術を、魔法だと言うに違いない。そしてもし、現代人が隕石とか環境破壊とか何らかの原因でほぼ絶滅し、生き残ったごく少数の人間が原始人並みのサバイバル生活を強いられたとする。そして長い年月がたつうちに、だんだんと技術や正確な歴史が失われていく。さらに何千年か後、たまたま土を掘り返したら、宇宙ロケットが出てきた。その時彼らはなんと想うだろうか?)

技術っていうのは一方通行で進歩してるわけじゃない。

日本でも刀のタタラ製鉄や鉄砲製造技術など、世界の最先端をいきながら一度は失われ、(今でも?)衰退した技術がある。

だから失われた技術を持った、一部の分野で現代人よりはるかに優れた人たちがいた、っていうのが一番可能性が高い、合理的な説明だと思う。

さらに言うなら、違う星から来た人たちが技術を伝えたっていう可能性もかなり少ないにしろ捨てきれないし、決して非科学的ではないと思う。

そして古代の伝承を読めば読むほど、それについて想いふけり、想像が膨らむ。


もし、古代文明に興味のある人は、是非グラハム・ハンコックの本(神々の指紋)を読んでみてください。


宿に帰ってくると、当然すぐに捕まってしまう。

猫とにらめっこ。


最後チェックアウトのときは引き離すのが大変で、あやうくバスに遅れるところだった。

出口まで追いかけてきて、かなり可愛いやつだった。

またマチュピチュに来るときは、この宿に泊まろうと思う。


ところで、最初の出発からちょうど一年たった。

すごい一年だったなぁと思う。

もう五年くらい、控えめに言っても三年以上は旅しているような感覚がある。


まだまだ旅は続く。

リマ


クスコからリマまでの深夜バスの中で夜眠っていると、ある時バスが真っ暗闇の中で止まっていて、ずっと動いていないことに気づいた。

理由を周りの人に聞くが、スペイン語なので正確には分からない。

しばらくして外に出てみると、何十台ものバスやトラックが夜の闇の中で止まっている。

まるで車の墓場みたいだった。

懐中電灯を片手に進行方向に進んでみると、ようやく理由が分かった。

川が流れている。

恐らく橋が決壊したか、川が増水して渡れなくなったんだと思う。


実は前にも同じようなことがあった。

ボリビアのスクレからサンタ・クルズへの道は、舗装されてない完全なオフロードのうえに、かなり細い崖道で、一歩間違えれば速攻でバスごと崖下に転落してしまうようなところだった。

しかも夜の真っ暗闇で、運転がかなり荒い。

バスで、という意味では世界でもトップ3に入るくらいの恐怖を感じていたのだけれど、さらにバスが途中で止まってしまった。

窓の外を見ると、橋が無残にも決壊している。

そこで、バスごと川を渡ることになった。

前のほうを見ると、なんと川の途中で立ち往生しているバスが一台ある。

あんなところで立ち往生して、その間に川が増水したらどうなってしまうんだろう?

想像するだけで恐ろしかった。

自分の乗っているバスが川を渡る間は、もうただ祈るしかなかった。

まぁとりあえず無事には渡れたんだけど、かなり怖い体験だった。


そんな感じで今回はどうなるかと思ったんだけど、ペルーのバスはボリビアのよりは慎重らしく、朝になって明るくなり、水量が少なくなるまで待つことになった。

結果的には無事に渡れたんだけど、夜の待機時間も含めてリマまで30時間かかった。

相当疲れた。


ペルーの首都、リマは海岸沿いの崖の上にある。

標高約4000メートルのアンデスの世界から、一気に標高約400メートルの海岸沿いの世界へ。

服装も真冬のフル装備から半袖、短パン、ビーサンへ。

やっぱ身軽なのが一番。


それにしてもリマはかなりの大都会だった。

こんな大都会は久しぶり。

かなり広い高級住宅街もあって、洗練されてる感じ。



ここらへんアンデス一帯は世界でも屈指の観光スポットだと思う。

特にリマから入って、クスコ→マチュピチュ→プーノ→ラパス→ウユニと行くルートは、ホントに誰でも感動できるんじゃないかと思う。

時間がある人はこれにチリのサン・ペドロ・アタカマを加えれば完璧。(ウユニから国境を抜けてサンペドロへ行くツアーもあります。)

時間がない人は飛行機を活用して、クスコからプーノを飛ばしてラパスに飛んでもいいかもしれない。ペルーにはナスカやアレキパもあるので、もちろんペルー一周でも十分だと思うけど、もしウユニにも行ければ最高の旅になると思います。

ただ、僕はもうまたペルーに来ることが決まったうえに、諸事情があってナスカ、アレキパはとばします。


あぁ、それにしてもアンデスの世界。

良かったなぁ。

いつも過ぎ去った後に、しみじみと思う。


ところでチリで大地震があったみ。

それにしても間一髪ってことが多い。

思い返せば、中国のウイグル自治区、ウルムチでは、俺が出た数日後に暴動があって何百人か死んだと聞いた。

国境も閉じてしまったらしいし、もし出発が遅れていたら途方にくれていたと思う。

グルジアはしょっちゅう紛争が起きているし、イスタンブールではこれまた出発数日後に大洪水が起きたという。

行く先ではホンジュラスでクーデターが起き、ペルーが豪雨に見舞われて土砂崩れで死者を出した。

そしてチリの大地震。

今更ながら世界一周って大変だなって思う。

特に僕は飛行機が使えないので、危険な地域を飛ばしたり、何かが起きたら速攻で脱出したりすることができないし、アンデスなどの交通事情が悪いところでは、その影響をモロに食らう。

ホント色々気をつけなくちゃと思う。

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