一定の距離

本夫から、「今、T氏が来ているんだ」と、電話があった。2年ぶりだろうか・・・

 電話越しに、「元気か~」というT氏。
T氏に会いたかった。今度いつ会えるかもわからないだけに、私がその場にいないことがとても悔しかった。


夫は、生きているうちに出会う人間は、すべて自分の財産になると思っている人だ。人の過去に土足で上がり込むようなことはせず、人と向き合う。それが彼のやり方。言いたくないことは聞かない。本人がそうだと言わない限り、うわさも信じない。そんな人だ。だから、夫の周りは、いつも自然と人が集まってくる。

人が個々あるように、人の心も、人の人生もまた個々存在する。

バリに住みだしてから、いや、夫と出会ってから、私は、人との距離をうんと縮めた気がする。国籍、性別、年齢、すべてにこだわらず、とりあえず話をして、お互いを知るというのが夫流、交流術。その術を伝授して、私も、いろんな人と交流を深めてきた。すると、意外に、この人、ちょっと、嫌いだなって毛嫌いした人に限って、どんどん好きになっていくから、不思議だ。
T氏も、初めはそんな印象を持ったひとりだった・・・

  T氏とは、今から8年前に出会った。
お友達とはいえ、私たちは、T氏の所在は、一切知らない。そして、それをあえて聞こうとも思わなかった。
年に何回か、突然ふらふら~と店にやってきて、サヨナラも言わずに、帰っていく。その関係が、もう8年以上続いている。
今住居が日本にあるのかも、海外で生活しているのかも不明だ。連絡先も、一切交換していないため、連絡の取りようもない。そんなの友達じゃないよ、と思われるかもしれない。だけど、私たちは、それでもいいと思っている・・・。
なぜなら私たちと、T氏との間にある一定の距離は、おそらくは、T氏が、あえて、そうしているに違いなかったからだ。
今まで沢山の人を守るために培われてきたもの、それを壊す権利は、私たちにはない。


T氏は、なんと19歳のころ、ある団体に拉致され、日本に生還した方なのだ。

19歳、T氏は、大学生だった。
すこし放浪癖のある方で、その時も、自転車でとある県を旅行中だったそうだ。お金がなくなると、その場所その場所で、住み込みのバイトをし、またお金がたまったら、自転車で旅を続ける。こう言うお方だったそうだ。
その時も、とある町の料理屋で住みこみのバイトをしていた。
そこで、T氏は一人のおじさんに出会うのだ。
おじさんは、仕事が終わったら良い話があると言って、近くの焼肉屋に、T氏を誘い、そこでたらふく御馳走してくれたそうだ。

「君は、おおきな人間になりたいか?」
「え?あ、もちろん。」
「じゃあ、国境を渡ってみるか?」
「え?国境??」

T氏には、そのころ、まだ国境という意味がよくわかっていなかった。
海外旅行が盛んな時代でも無かったし、日本以外の国に行くなんて、まだ夢のまた夢の時代だった。
当然のことながら、T氏は、おじさんの話に興味を持つ。行ったことのないところに行ける、うんじゃあ、行ってみよう!と安易な気持ちで、その話にのったという。

とある港から、船が出た。
船には、一人ひとり、個室が用意され、話をすることは出来なかったが、自分と同じ日本人が、15人ほどいたという。不安はあったであろうが、みな同意の上でのことなのか、誰ひとり泣いて居る人はいなかった。意外にも、若いカップルの姿が多かったという。
そして、約一日をかけ、船はどこかの島にたどり着いた。
そこから、車に乗せられ、工場のような場所に連れて行かれた。各自に用意された部屋は、ホテル並みの充実したものだったそうだ。
毎日、日本でも食べれないような、肉や魚をたらふく食べて、それはいい生活をさせてもらったという。

その後、その個室の中で、ひたすら勉強をさせられたそうだ。
そこで、T氏は、ここが外国であることをやっと理解したという。

着いてすぐにさせられたことは、自分の両親にあてた手紙を書くことだった。
内容は、「自分は元気だから心配しないで。当分帰れない。」という内容を練り込めと指示を受けたそうだ。もちろん、厳しいチェックがなされ、何度も書き直しをさせられたという。その手紙は、外国からではなく、わざわざ工作員が、それを送るためだけに、日本に出向き、とある県から一斉に、各宛先に送ったのだそうだ。

しかし、T氏は、だんだんと、この生活が退屈になってきた。
もともと、放浪癖のあるT氏。一つのところに留まる性分ではないのだ。

「おじさん、俺、このままここにいて何になるの?」
「指導者になるんだ。」
「なんの?」 
「ここの人達に、日本語を教えるんだよ。」
「え?先生ってこと?」
「そうさ。ここでは最高の位に賞されるんだ。」
「先生?大きな人間って、先生になることだったの?」
「ああ、そうだ。」
「俺、嫌だよ。先生なんて、一番嫌な仕事だ!!」

この仕事につくためには、半年後の試験に合格し、さらに勉強を積まなければならない。
いわば超難関な職種なのだ。
T氏は、おじさんの話を聞き、その価値を見いだせなくなり、その後、まったく勉強をしなくなった。
当然、やる気のない、しかも出来もあまりよくなかったT氏を、そのままここに置いておくわけにもいかない。
見かねた工作員は、結局、T氏を、日本にかえすことを決意する。

そして、T氏は、それから半年後、日本への帰省が許されたのだ。
帰省するとき、T氏には、とある県で一カ月間のホテル生活が義務付けられ、そこで、外国での半年間を誰にも語ってはならないという洗脳教育を受け続けた。

その一カ月後、半年分の給料と、新しい自転車を提供され、T氏は、晴れて自宅へ到着。家族は、手紙も届いていたし、普段から放浪グせのあるT氏が、まさか外国にいたことなんて、全く想像していなかったであろうという。

しかし、T氏いわく、自宅に着いてからのほうが、恐怖だったという。何しろ、ほぼ毎日、工作員の監視が、続いたからだ。情報を漏れることをもっとも恐れたからだろう。いつも、どこに行くのにも、T氏の歩く少し離れた所に、工作員の姿があったという。




















































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