父のおかげ〜蛤の酒蒸しの作り方〜

料理人の私には、料理はほとんどしない父親がいます。
そんな父が『蛤の酒蒸し』を、私が幼かった時に一度作っていました。
外出から帰ってきた私はその蛤を、一つもらいました。
その蛤は料理知らずの父が作ったので酒のアルコール分がしっかり残ていて(笑)
幼い私にはとても酒臭く苦い料理でした。それを黙って食べていた。父の背中が悲しそうだったことをよく覚えています。
『蛤の酒蒸し』を料理人となった私が美味しく作ろうと思います。
私の反面教師になった父の代わりに。
 
《作り方》
 
『まず蛤を買いに行きましょう。』
 
1、私が小学生になった頃、父が隠れてギャンブルで多額の借金をしていたのが判明しました。気の強い母は怒り「自分でご飯つくれ」と近くにあった電話器を投げて、父に言いはなち
母は私達兄弟を連れ近くの中華料理で、プリプリ怒りながらご飯を食べました。
私たちが家にかえると父はなけなしのお金でなぜか蛤を購入(笑)それを反省しながら食べていました。それから私の家族の貧乏生活が始まりました。
私は全くギャンブルをしません。借金も私事ではしません。それは父と母のその時のやりとりが壮絶だったから、貧乏生活でイライラしてる両親が怖かったからです。
私がギャンブル、借金をしないのは父のおかげです。
 
『買ってきた蛤を、50度のお湯に塩を入れたものに漬け砂抜きをします。そしてしばらくそのままにしておきましょう』
 
 
2、母の兄の経営する青果店で店長として勤めていた父は、気性の荒い母とは真逆で物静かで、仕事ではいつもお客様を大事にして、常に頭を下げれる人だった。商売だけは真面目で朝早くから夜遅くまで仕事の愚痴をこぼさず、プロ意識の高い商売人でしたが、借金して以来、私はそんな父の良いところも『人にペコペコして情けない』と認めないで、頭ばっかり下げてる情けない親父みたいにはならないと、私は父とはあまり話さずすごしました。
そんな私をよそに、何年かたって夫婦で懸命に働き借金を全部返済しました。父はもともと商売が好きで、うまかったんだと思います。でもいつも仕事に没頭していた。なので私は両親に遊んでもらった記憶がほとんどありません。
だから私は自分の子供たちには、どんだけ忙しくても、子供が寂しくならないように遊んであげてます。父のおかげですね
 
『蛤を鍋に入れ酒を加え火をつけます』
 
3、私が高校にいく頃になると、家族は貧乏から逆に少し余裕のある家庭になっていましたが、相変わらず仕事に没頭し忙しい父。けれどその頃になると私も商売人として結果をだす父を少しだけ認め始めました。父親としては認めてはいなかったけど商売人としてはかっこいいと思うようになっていました。でもそんな時、私はしばらくの日数続く腹痛を起こしていてある日の夜、激痛とともに倒れそうになったので隣の部屋で寝ている父に救いを求めました。しかし父は大したことないと思ったのか、疲れて眠いからか「薬飲んで寝とけ」 と言いまた寝てしまいました。それでも尋常でない痛たがり方の私をみて、車の運転ができない母が自転車の後ろにのせて急いで近くの救急病院に連れて行ってくれました。盲腸が腐りかけてました。もう少しで今、私はいなかったでしょう。この事でもう父には愛されてもないと思い話さなくなりました。
私は心配性で家族が、少しでもしんどくなったらすぐに気がつき病院にいったり、懸命に看病をします。父のおかげですね。
 
『蛤の口が少しだけ開くぐらいになったら蓋をして弱火にします』
 
 
4、高校を卒業して、社会人になった私は帰宅中にバイクで大事故をおこし、またもや死の淵へ。父は、過去の反省からか毎日お見舞いにきてくれてました。が一向に父と話さない私を見かね、母から父の幼いときの話を聞きました。
父は実の母に捨てられ継母にも愛されない状態で育ち、中学校さえ行っておらず、食べるものもろくにもらえず、人売りの様に丁稚奉公で母の兄の経営する青果店に10代前半で住み込みで働きにだされた。だから父は自分の過去にない家族への愛情の表現が、わからなかっただけだと聞かされました。
私が入院した半年間のあいだに、父も車に足をひかれ骨折しました。が仕事は1日も休まず。そして折れた足を引きずって毎日私の見舞いも来てくれてました。
何を話すことなく仕事終わりの夕方から面会時間ギリギリまでいてくれました。そのうちたわいもない会話、父と唯一共通の趣味の将棋の話など話すようになりました。
なんとなくゆっくりと和解していった気がします。子供を、愛してない親なんていないんだ。ただ表現ができない人もいるんだ。
思えば盲腸の時も見舞いきてたな、私が認めたくなかっただけだった。本当は愛されてたことを。幼いとき5回ぐらいはキャッチボールしたかな。毎年海には旅行連れて行ってくれたかな。何よりけっこう私はちゃんと育ってるよな。など思い。それからはまあまあ仲良くなりました。
 
 『蛤も口を開けました。ふたを取り出汁少々加え薄口醤油で味を整えます』
 
5、そして私は料理人となり結婚して子供ができて家族ができた。
父は相変わらず商売をしていましたが、3年前に頸椎の梗塞で父は倒れました。
父の身体に異変がおきた時、母が私を呼びました。駆けつけた私に父は動かなくなった手のひらをさしだし。大好きなタバコに火をつけてくれといい倒れました。
私は涙が止まらなかった。
気がつくと「死ぬな!!」と何度も何度も叫んでました。

父親には商売人として、お客様への感謝、常にお客様の方を向いて、お客様に対して誠実であり、お客様には、真心のある対応ができる人になりなさいと人として苦しくても、辛くても、自分の生業に誇りを持ち今を大事に生きなさいと。背中で教えてもらいました。
私が仕事に真面目に取り組めるようになったのは、父のおかげです。
 
『器に盛り付け蛤の酒蒸し完成です』
まだ私には少し苦いかな。

だけど父が倒れて、また隠していたギャンブルでの借金が発覚(怒)し、みんなに迷惑をかけ、家族から呆れられ、怒られ私から『借キング』と命名されました。
両腕の手のひら、指が動かなくなったけどまだ生きております。
愛情いっぱいの孫に囲まれ、愛情ある笑顔で元気に生きています。

「親父!ほんまに借金ばっかりして!どんだけ迷惑かけんねん!それなのにみんなに愛されて許されるって得な生き方やな。もうちょいちゃんとしてほしいわ。けど、いつか蛤もって私がまだあなたに言えてない。たくさんの「ありがとう」をもっと素直になれたら言いに行くわ。だから……
それまで長生きしててくれな」



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