バハ・カリフォルニア 投資家として飛行機なしの世界 その30
フラッグスタッフを昼の1時に出て、国境に着いたのが夜11時。
メキシコ側で深夜バスに乗り換え、翌朝11時頃にロスチモスの港へ到着。
夕方の4時に出ると聞いていたラパス行きの船が、夜の11時発だと言われ、約十二時間待つことになる。
近くに唯一一軒だけあった小さな食堂に昼、夕と通い、港の中では二人のおじいさんと仲良くなった。
それ以外はひたすら勉強した。
夜、待合室で映画が上映されて、ハルクとスーパーマンがやっていたんだけど、ハルクはアクションとしては意外に面白かった。
いい暇つぶしになった。
そしてようやく船に乗り込む。
メキシコ側で深夜バスに乗り換え、翌朝11時頃にロスチモスの港へ到着。
夕方の4時に出ると聞いていたラパス行きの船が、夜の11時発だと言われ、約十二時間待つことになる。
近くに唯一一軒だけあった小さな食堂に昼、夕と通い、港の中では二人のおじいさんと仲良くなった。
それ以外はひたすら勉強した。
夜、待合室で映画が上映されて、ハルクとスーパーマンがやっていたんだけど、ハルクはアクションとしては意外に面白かった。
いい暇つぶしになった。
そしてようやく船に乗り込む。
バハ・カリフォルニアからさらにバス。
待ち時間が長かったとはいえ、移動に二泊三日、ほぼ48時間かけてやっと着いたラパスの町。
この町をすぐに気に入った。
綺麗で平和。
綺麗で平和。
廃棄品を使った演奏。
かなりいい演奏だった。
かなりいい演奏だった。
翌日、バハ・カリフォルニア最南端のロスカボスへ。
旅の最後は奮発して高級リゾート。
旅の最後は奮発して高級リゾート。
恐らく気温はかなり高いのだけれど、乾燥しきっているので日影はほとんど暑さを感じない。
むしろ風が吹くと涼しいくらいだった。
日なたは日なたで、歩くと動いている腕や足が風を流して、それだけで気持ちよかった。
まるで軽くなでられてるようだった。
とにかく全てが気持ちいい。
いるだけで、まぶたが落ちてくるような心地よさだった。
むしろ風が吹くと涼しいくらいだった。
日なたは日なたで、歩くと動いている腕や足が風を流して、それだけで気持ちよかった。
まるで軽くなでられてるようだった。
とにかく全てが気持ちいい。
いるだけで、まぶたが落ちてくるような心地よさだった。
海のそばのパラソルが埋まっていたので、少し離れたところで人知れずゆっくり。
日影と外の明るい風景と、風の爽快感。
日影と外の明るい風景と、風の爽快感。
空いたので海のそばへ。
天国のようだった。
天国のようだった。
いい夢を見た。
本当はロスカボスが最後の地となるはずだった。
でも元々一日だけ余裕を持って日程を組んでいたところに、さらに船の到着が一日遅れると連絡があり、ラパスに戻って少しゆっくりすることにした。
ということでスノーケリングに行く。
でも元々一日だけ余裕を持って日程を組んでいたところに、さらに船の到着が一日遅れると連絡があり、ラパスに戻って少しゆっくりすることにした。
ということでスノーケリングに行く。
イルカの大群に遭遇。
100匹以上はいたと思う。
100匹以上はいたと思う。
今度はメインのアシカ島。
アシカの王国。
アシカの王国。
そして海に飛び込むと、、、
3メートル以上はある超巨体のアシカがすぐ近くを泳ぎ回っている。
もちろん小さめのアシカもいるし、魚たちも一杯。
例によって水中の写真は撮れなかったけど、、、
すごい体験だった。
こればかりは実際に体験しないと分からないと思う。
さらに10月は、泳げるようになったばかりで好奇心旺盛な、人間にも怖がらず近づいてくる子アシカと一緒に泳げるらしい。
絶対また来たい。
3メートル以上はある超巨体のアシカがすぐ近くを泳ぎ回っている。
もちろん小さめのアシカもいるし、魚たちも一杯。
例によって水中の写真は撮れなかったけど、、、
すごい体験だった。
こればかりは実際に体験しないと分からないと思う。
さらに10月は、泳げるようになったばかりで好奇心旺盛な、人間にも怖がらず近づいてくる子アシカと一緒に泳げるらしい。
絶対また来たい。
バハ・カリフォルニア。
世界は最後まで凄かった。
ただひたすらに、素晴らしかった。
之から船に乗り、太平洋を横断して横浜港へ向かう。
でも家には帰らずにそのまま深夜バスで広島に向かい、京都、岐阜なども回る予定。
ラスト、黄金の国ジパング。
楽しみだ。
世界は最後まで凄かった。
ただひたすらに、素晴らしかった。
之から船に乗り、太平洋を横断して横浜港へ向かう。
でも家には帰らずにそのまま深夜バスで広島に向かい、京都、岐阜なども回る予定。
ラスト、黄金の国ジパング。
楽しみだ。
エンセナーダ
最後の24時間バスでバハ・カリフォルニア北部の港町、エンセナーダへ。
荒野とサボテンと海の世界。
荒野とサボテンと海の世界。
エンセナーダではワールドカップ決勝戦を見た。
メキシコは元宗主国で言葉が同じだからか、みんなエスパーニャを応援していた。
メキシコは元宗主国で言葉が同じだからか、みんなエスパーニャを応援していた。
2010年7月12日午前11時。日本時間13日深夜3時。
今から港に向かい、船に乗り込む。
下はさっき撮ったばかりの、泊まってるホテルから見たエンセナーダ港。
パッキングしていたら、たまらない気持ちになった。
今から港に向かい、船に乗り込む。
下はさっき撮ったばかりの、泊まってるホテルから見たエンセナーダ港。
パッキングしていたら、たまらない気持ちになった。
一体どれだけ無鉄砲だったんだろう、と思う。
今思えば、何も知らなかった。
丸裸も同然だった。
ただ「知りたい」というだけで、日本を飛び出した。
想像も出来ないほどはるか遠くの、日本に向けて。
一歩一歩、前に進んでいった。
一つ一つ、町を乗り越えていった。
中国寝台列車、
カザフスタンの難民バス、
ダンコさんの軽自動車、
ユーロラインズ、
大西洋クルーズ、
アンデスの土砂崩れによる川渡り、
カリブ海のヨット、
北米を一周したグレイハウンド、
その他数え切れないほどの、バスや電車や船に乗った。
一人、席に座りながら、黙々と車窓を眺め続けた。
砂漠やジャングル、壮大な大自然、高層ビルの立ち並ぶ近代都市から貧しい村々まで、言い尽くせないほど多様な景色を見た。
一体どれだけの、沈む夕日を見ただろう。
美しい星空が見れることも多かった。
数多の夜を超え、世界の景色が流れていった。
そしてついに今、それも最後になろうとしている。
これから二週間かけて、太平洋を渡る。
次、地に足が着いたとき、、、
そこは故郷、横浜だ。
今思えば、何も知らなかった。
丸裸も同然だった。
ただ「知りたい」というだけで、日本を飛び出した。
想像も出来ないほどはるか遠くの、日本に向けて。
一歩一歩、前に進んでいった。
一つ一つ、町を乗り越えていった。
中国寝台列車、
カザフスタンの難民バス、
ダンコさんの軽自動車、
ユーロラインズ、
大西洋クルーズ、
アンデスの土砂崩れによる川渡り、
カリブ海のヨット、
北米を一周したグレイハウンド、
その他数え切れないほどの、バスや電車や船に乗った。
一人、席に座りながら、黙々と車窓を眺め続けた。
砂漠やジャングル、壮大な大自然、高層ビルの立ち並ぶ近代都市から貧しい村々まで、言い尽くせないほど多様な景色を見た。
一体どれだけの、沈む夕日を見ただろう。
美しい星空が見れることも多かった。
数多の夜を超え、世界の景色が流れていった。
そしてついに今、それも最後になろうとしている。
これから二週間かけて、太平洋を渡る。
次、地に足が着いたとき、、、
そこは故郷、横浜だ。
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