太平洋、そして日本 投資家として飛行機なしの世界一周 その31

今回太平洋横断で乗った船は、実はピースボートでした。

前にも書いたけど、夏のうちに船で日本に帰るには、これしかなかった。




ピースボートは社民党の辻本が早稲田在学中に作った組織で、現在は年に2、3回くらいの頻度で世界を一周している。

どれも大体三ヶ月かけて一周し、寄港地には朝から夕方まで滞在、観光する。

場所によっては一泊二日滞在することもあるが、ほとんどの人が船に宿泊するらしい。

僕が乗った最後の寄港地、エンセナーダでは、予定が遅れて昼から夕方までの数時間しか、滞在時間がなかった。

実はまだピースボートに乗るとは予想だにしていなかった頃、スペインでピースボート乗船者に会ったことがある。

彼は途中で船を降り、自分で旅をしている途中で、またどこかで船に合流して乗りこむということだった。

これは当たり前のことで、よく行われていることらしい。

そして今回はなかったけど、そのスペインであった人が乗っていた回のクルーズでは、寄航が中止になった場所もあったということだった。

エンセナーダのように、滞在時間が短縮されることも珍しくないらしい。

つまり、3ヶ月の間、ほとんどは船の中ということ。

およそ自分の足で旅をする人たちにとっては、信じられない内容。

でも旅の仕方は人それぞれ。

やりたい人が、やりたいようにやればいいんだと思う。

世界一周を安全に、楽にしたいという人、特にご年配の方にとっては、うってつけのクルーズ旅行だと思う。

また、僕も大西洋横断で感じたことだけど、やはり船旅でしか味わえない雰囲気や風景、それによって分かることもあるので、そういう意味でも旅の一形態として、決して悪くはない。


ピースボートの本当の醍醐味は人。

ここで生まれる連帯感やつながりは、かなり特殊なものだし、貴重なものだと思う。

僕はわずか2週間の間だったけど、みな新参者にとても優しくしてくれたし、若者からご年配の方までいろいろな人と話させて頂いて、たくさんのことを得た。

皆の企画やパフォーマンスを見て、その積極性や活動性に心打たれた。

せっかくということで、自分も旅の写真のスライドショーを飛び入りでさせてもらい、いい経験になった。


また例のごとく、興味のある本はもちろん、自分では買わなかっただろう本も読み、世界が広がった。


でも気が抜けたのか、写真は全然撮らなかった。




思った以上に楽しく、充実した時を過ごせて、あっという間の2週間。

ついに横浜。


このときの僕の気持ちは、、、

言葉にはならないものだった。


世界一好きな「都会」。

みなとみらい。



まさか子供のとき、自分が世界一周をしてここに帰ってくるとは夢にも思わなかった。

日本


船を下りたのは午後8時くらい。

駅まで歩きながら道行く人を見て思ったのは、「なんか中国みたいだな。」

当たり前だけど、アジア人ばかり。

そしてとにかく蒸し暑い。

世界に暑いところはたくさんあるけれど、意外と乾燥しているところが多い。

立ってるだけで大量の汗をかくようなところは、そこまで多くなかったように思う。

「やっぱりアジアだ」と感じる。


そのまま(もちろん家には帰らず)横浜駅のバスターミナルに向かい、10時の広島行き深夜バスに乗る。

日本の深夜パスは、席はあまり快適じゃないし、3時間くらいおきにある休憩のたびに起こされるので、あまり寝れなかった。


翌朝広島の宿に着くと、荷物を下ろし、少し休んだ後、まずは原爆資料館へ。

8月6日、午前8時15分、

下の写真の町が、



一瞬で吹き飛ぶ。



生残った人も指の先や背中から皮膚が垂れ下がり、ガラスの破片が無数に突き刺さり、お化けのようだったといいます。



原爆と火災による火傷や熱風のため、そして何より死にかけてるために、強烈にのどが渇く。

でも、水がない。。。

俺も死にかけたとき、無性にのどが渇いて、でも飲ませてもらえなくて、本当に苦しかったのを覚えてる。






外人もたくさん来てた。

よくもまぁ28年間も来なかったな、というのが率直な感想。

日本人なら必ず一度はここに来て、手を合わせないと、と思う。

ホントに色々なことを学び、考えさせられた。


翌日、宮島へ。



鹿が一杯。




世界をまわった後の日本は、日本人として当たり前になってたけど実は特異なこと、に気づかされることが多かった。。


例えばこの国では、宿のお風呂が共同浴場であることが多い。

日本人としてはあまり違和感ないだろうけど、こんな国は他にないと思う。

トルコにはハマムという蒸し風呂があるけど基本タオルをまくし、ハンガリーには温泉があって一部裸で入るのもあるらしいけど、そこは一種特別な空間であって、日常ではない。

だからホステルで一緒の外人たちと同じ風呂に入り、そいつらがよくマナーを分かってなくて下半身丸出しでオロオロしながら歩いてるのを見るのは、なんだか不思議な感じだった。

白人たちの下半身をそこまでまともに見るのはこの旅でも初めてのことで、やはりサイズが違うので「おまえは牛か」っていうような奴もいたりして。


他にもアメリカのコインは数字が書いてなくて世界一分かりにくいのに対して、日本のコインは質もそれぞれ違ううえに世界にも珍しい穴開きコインがあったりして、その分かりやすさに感心したり。



ホステルで同じ部屋だったオランダ人に、日本の感想を聞いてみた。

まぁそんなこと聞かれてもあまり悪いことは言えないと思う。

実際その人は「国は美しいし、人もいい」というようなことを言っていた。

でも、道を聞いたときにオドオドする人がいて困ったことがある、とも言った。

まぁ、そういうことは多いだろうな、と思う。


そこで。

「もし英語が分からない人が外人に道を聞かれたら、日本語で答えよう!」

無理をしてまで英語で返す必要はない。

世界中の人がそうしてる。

英語で聞かれようが何語で聞かれようが、中国人は中国語で、中央アジア人はロシア語で、中南米の人たちはスペイン語で返してくる。

それでも身振り手振りや単語単語で、大体分かるもんです。

道を聞くというのは、その国の一般人と接するのにもっとも身近な行為で、それで印象が決まったりする。

もし相手が言葉が分からないからといって冷たくしてきたり、オドオドしてたり、結局分からないと言ってサジを投げたりしてきたら、あまりいい感じはしないと思う。

それよりは身振り手振り、できれば簡単な英単語も交えて、日本語で落ち着いて説明してあげたほうが、全然マシだと思う。

「このMeiji DoriをStraightに行けばGapが見えるから、そこをLeftに曲がってまたStraightに行けば、Right側にHarajuku駅が見えます」

これはかなり無茶苦茶な文章だけど、でもジェスチャーを交えてちゃんと丁寧に言えば、正確でなくとも大体は分かってもらえると思う。

俺も中南米ではスペイン語を単語単語で聞き取って、それでなんとかなってた。

結局大事なのは伝えようとする気持ちだから。

日本人は良くも悪くも相手に合わせようとするけど、この場合完全に裏目に出てることが多いし、日本国内で外人に日本語で接するのは、全然マナー違反じゃない。(むしろもし相手が英語でゴリ押ししようとするなら、向こうがマナー違反の可能性がある。)

もちろん英語が分かる人はわざわざ意地悪をする必要はないので英語で返してあげればいいけど、英語が分からない人は「逆に」相手のために、日本語で落ち着いて説明してあげたほうがいいんじゃないか、という話でした。


さて、次は京都。

京都は三回目。

金閣寺などの有名どころには行ったことがあるので、今回はそれ以外の場所へ。

まずは平等院鳳凰堂。

昔から日本建築が好きで、平等院はかなり好きなほうだったんだけど、、、

やっぱかっこいいなぁ。



でもそこまですごいインパクトがあるかと言われれば、そういうわけじゃない。

基本やっぱ京都は、観光地はおまけのようなもので、そこに行くまでの道中の雰囲気が楽しい。

漂ってくる宇治茶の香りをかぎながら、歴史ある通りを歩いたり。




この日は珍しく夕方に雨が降って、傘をさしながら歩いていた。

宇治の町を練り歩き、人もまばらなローカル電車に乗って京都に帰る途中、心がこれまでになく穏やかなことに気づいた。

京都、落ち着く。




風鈴。

風が通ることによって音が鳴り、その音によって涼を感じ取ろうとする。

とても美しい文化だと思う。











ちなみに京都のユースホステルは、世界最高レベルです。

少なくとも俺が泊まったユースの中では、値段以外のあらゆる点で、世界一だと思った。




この後大阪に行き、中高の同級生と地元の幼馴染の家に泊まらせてもらった。


日本、ホントすごい国だと思う。

そして何よりも、、、

美しい。


白川郷



昔話のようなところ。

日本のふるさとを感じさせる場所。

白川郷。



一目でこの村の素晴らしさが分かった。



子供が多く、皆元気に遊びまわっていて、挨拶をすると大きな声で返してくれる。



夕方になると日帰りの観光客が姿を消し、虫の鳴き声と、水の流れる音と、子供の遊び声だけが残って、

茜色に染まる景色に、生い茂る緑と晩ご飯の香りがして、

心が、小さな水たまりのように、静かになる。





朝は日中の暑さが信じられないほどに涼しく、明るい日差しに透明感があって、全身で気持ちよさを感じながら、目覚められる。






水が流れているところが多く、魚もよく泳いでいて、どこも澄みきっている。





本当に素晴らしい場所だった。

夏もこれ以上はないというほどよかったけど、メインの冬にもまた必ず来たい。


一度名古屋に戻り、そこから中津川、中山道へ。

落合というところから、妻籠というところまで約10KM、江戸時代の古い道を歩く。



馬籠。宿場町。


数キロメートルごとにこういった宿の町があって、江戸から京へ、京から江戸に行く人たちが、体を休めていったといいます。




ひたすら山道を歩く。






綺麗な地下水がどこでも流れていて、野菜を冷やしたり、花を活けたり。





妻籠。

下駄屋さん。





夕方に吹く涼しい風が、暑かった一日をいっそう際立たせる。

輝く空と山々。

ヒグラシの鳴き声。

日本の美しい夏。




最後は登山をしようと決めていた。

中途半端には終わらせたくなかったから。

もう力を使い切って、帰るしかない、という状態で帰りたかった。

マウンテン・ハイも味わいたかった。

最初は日本の標高ベスト5のうち、唯一登ってなかった槍ヶ岳に登ろうかと思っていた。

でもアメリカやカナダで日本の紹介を見るうちに、気が変わった。

日本といえば、必ず富士山が出てくる。

日本一高い山。

日本一美しい山。


そうだ、富士山にまた登ろう。

旅の最後に、力を使い果たそう。


富士山





ご来光










こいつらだけが、一緒だった。

もうボロボロだけど。。。

よくもってくれた。


帰ろう。

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