逃げるしかなかった

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「俺と雑談しない、俺に微笑みを返さない」

私は、気さくな人間ではなかった。

実務上で仕事を切られる原因は、私には全く見当らなかった。

「ばあか、お前程のばかはいねえんだよ」

Oの口癖が出た。普段でも、私の近くに来ると私の顔を見ないようにして「ばあか、ばあか」と、私にわざと聞こえるように言っていた。余程憎らしかったのだろう。

T観光は大切な秋の繁忙期の最中で、キャンペーンの終了に際して、社長の長々とした訓示をリライトして社内報に載せなければならなかった。

Oの軋轢で苦痛の毎日を過ごしていた私は、初めて仕事で躓いてしまった。頭の隅には、来月から担当を降りなければならない、との不安が蠢いていて、仕事の合間に顔を覗かせる。

仕事に集中出来ず、リライトにクレームが付いた。

何度か書き直し、やっとOKが出てホッとした。Oに知られずに済んだのは外部の仕事である賜物だった。

大きな山場を終え、仕事が一段落した時だった。帰り支度をしている私にOが近付いて来た。いやな予感がした。

「ちょっと話があるんだけどさあ、上に来てくれないか」

 社内にはOがお気に入りのKしかいなかった。上とは、来客が来た時や、社員に重要な話を伝える時に社長が使用している応接室だ。

社員達が通常仕事をしている部屋の一階上で、来客用のテーブルとソファが備えてあった。

 良い話でないのは分かっていたが、私は黙って従った。部屋に入るとKも一緒に付いて来て、応接セットのソファに黙って座った。

Oは、今回も具体的に何が問題なのか言わず、私をなじり始めた。

「どう言うつもりでいるんだろうなあ、お前の為にみんなが迷惑しているんだぜ」

「迷惑って? 何かしたんですか? 私」他に聞きようもなかったので、いつもの通り尋ねた。

「チッツ。ばあか。はっきり言うけどさ、お前に辞めて欲しいんだよな」

 以外にも甲高く、女性的な声がぶ厚い唇から出て来た。

実際にこのようなミスがあって、皆が迷惑しているからやめて欲

しい、というのなら、私も納得は出来たろう。

 相変わらず、私は返事もせずに黙っていた。

Oの発言は、社長が社員の進退に関わる全権をOに委任している事実の証だ、と私は思った。

 Kは一切口を開かずに下を向き、黙ってOと私のやり取りを聞いていた。Oに証人として同席を依頼されたか、社長からの指示で状況を社長に伝えるよう頼まれたか、のどちらかに違いない。

 最後まで、Oは具体的な何事かを理由に挙げることはなかった。単に「あんたがいるから皆が迷惑している」と一方的に私を非難するのみだった。

 私は一歩も引かなかった。辞めなければいけない理由は全くなかったからだ。

Oの脅しめいた試みは失敗した。

「それならいいけどさ、今後あんたの扱いはどう言うことになるか分からないぜ」Oが捨て台詞に言ったのを覚えている。

 自分の立場は益々苦しくなる。漠然と分かっていたが、それでも辞めたくなかった。

アリノブ企画に在籍していれば編集者の道が開かれるのではないか、とのはかない夢は捨て切れなかった。

私がOからしごきを受けていた時、周囲の女性達は部外者としてだが、一部分を見ていた。二人の女性が私にエールを送ってくれたことを今でも思い出す。彼女達、特に営業のW子のことは忘れられない。

「怜ちゃん頑張りなよ。私達がついてるから」とOがいない時に勇気付けてくれた。

W子をアシストしていたS美も同様に、「負けちゃダメだよ」と私に囁いた。

 W子もS美も、私が出掛けている時にOから私の良からぬ話を聞かされているに違いない、と推測出来た。

 例えば「怜は能力もないのに編集などやっていた馬鹿な女。社長も迷惑している、会社にとっても損失になる」私の想像出来る範囲だが、Oならその位は平気で言うだろう。

陰ながら私を応援してくれたのは、Oの言っていることに女性達が反発していた確かな証拠だ、と思った。

私を辞めさせることに失敗したOは、私を自分の配下に置き、いびり出す方法を考えた。

 OとKの脅しに合った日から、私は出社するのが怖くなっていた。

「この災いから抜け出すにはどうしたらいいのか、外部に相談出来る窓口はないものか」と考えた。

 当時、雇用問題でトラブルがあった場合に、相談出来る機関がいくつかあった。セクハラ相談は少なかったと思うが、理不尽な理由で解雇される女性はかなりいた。

私は、電話帳で見つけた相談窓口に出掛けて行った。ネットがあればもっと楽だったろう。

 担当のZは、今でもフルネームで名前を思い出せる方だ。確かに親切に状況を聞いてくれたが、回答は想像通りだった。

「あなたの気持ちは良く分かるし、何の落ち度もない正社員に平社員が退職を迫るのはおかしいが、威嚇された証拠がなくては何もすることが出来ません」

「証拠、会話のテープですか?」私は必死の面持ちで聞いた。

Zは黙って頷いた。私は言葉を失った。

「あの場でテープが取れたろうか?」マイクロテープもなかった時代だ。録音してあれば当然持って行ったろう。他に方法がないかを私は聞いた。

「彼らと話合って、あなたの立場を少しでも改善出来るよう尽くすより、今のところ方法はないですよ」

 Zは、気の毒そうに私を見た。

「テープが取れたら、持って来ます」と頭を下げ、私は重い足取りで帰宅したのを覚えている。

2・屈辱

 T観光の最終校も済み、発刊を待つばかりとなった。もうT観光に行く必要はなかった。

「次号から担当者が代わります。次の編集会議の時によろしくお願いします」と担当の課長に伝えると、課長は一瞬真顔になったが、

すぐに「そう」と頷いた。私も寂しかった。

 B代には仕事の説明をしたが、Oから私のことをどう聞いていたのか敵意のある目付きで私をじっと見詰め、ニコリともしなかった。

 何を説明しても、「ふうん」とか「うん」とか「へえ」のみで、最後には「分かりました」で終わってしまった。

 B代は、最後まで私に微笑みを返すことはなかった。

 T観光の仕事から離れた私には、社内の端下仕事が待っていた。あらゆることに手を染めたのは、辞めたくない一心だった。

 私の支えになってくれたのはW子だ。

「J通信社の電話帳の表紙の色指定をやってくれませんか?」W子の注文も、私は喜んで受けた。

 色指定の経験はなかったが、過去にデザイナー達の仕事を見て来ているので、資料をあさりながら急場しのぎではあったが、色指定をやった。

 私に仕事を回してもしも私が失敗したら、W子は責任を問われるに違いないはずなのだが、W子は平気だった。

 私に漫画絵を描く特技があったせいか、J通信のイベント用のイラストも描かせてくれた。

 なぜ大胆にも、追い出されそうになっている私の肩を持ったのか? W子の懐の大きさ、と解釈するより方法がない。

W子の行動だけを聞くと、男まさりで、人好きのする顔の、大柄な女性を多くの人は連想するに違いない。

 実際のW子は、小顔、色白で、目鼻立ちの整った痩身の、美しいという言葉がピタリと当てはまる女性だ。

三十歳に届くか届かないか位の年齢で、目がいつも笑っていた。営業職の為か言葉使いがはっきりとしていて、口を大きく開けて喋る闊達な姿が、今でも私の脳裏に浮かぶ。

 営業マンとして貢献して来ているから、社長にもW子のやることに口は出せなかった。

 Oの重圧で心がくじけそうになっている時でも、W子の笑顔は救いだった。

 社内の女性達は、細い目の奥で何を考えているのか分らないOには近付かなかった。Oにいつも寄り添っているKにしても、Oから社長に何が伝わるか分からず、不安だったに違いない。

 私には、さらに追い打ちを掛ける出来事が重なった。

 クリスマスも近付いたある日、既にOから指示される仕事ばかりだった私は、J通信社に届け物をして午後六時を過ぎた頃帰社した。

「怜ちゃん、お家から電話よ」

 私は、帰って来たばかりで頭の中は空白だったが、一年前からガンを患い、入退院を繰返していた父の余命が短いことは承知だった。父の件、と瞬間思った。

電話は兄からで、父が危篤だと告げられた。

 それまで私は「会社の仕事は順調」と、家人に話をしていた。

会社で身の削られる思いをしている自分の姿は、命を終ろうとしている父にも、家人にも決して知られたくはなかった。

 私は父の入院している病院に飛んで行った。間に合いはしたが、父は一時間程後、私の腕を握って亡くなった。

 あるいは、父は私の勤務先での状況を感じ取っていたのかも知れない。

 葬儀の為に会社は一週間程休んだ。

「お前の会社は、父親が亡くなっても何のお悔やみも言ってくれないのか?」と家族に尋ねられた時、私は応えに窮した。

「忙しい会社だから、お悔やみは私が辞退したの」と返答して置いた。追い出されそうになっている状況は、何があっても知られたくなかった。

 当時、私は都心に近い方が就職に便利と、六本木近隣のアパートに住んでいた。1Kだが、トイレ、風呂が付いて八万円程で、勤務時間を考えれば安い方だ、と、金銭感覚に疎かった私は考えていた。

 編集者としての給料は安く、預金を取り崩す毎日で、父が亡くなる直前には翌月の家賃も足りない状況になっていた。会社を辞めたくなかった一因も、金銭的なことにあった。

「父の葬儀は済んだけれど、この職場は残業代も出ない。その上持ち帰りの仕事が多く、何か資格を取りたくても勉強している時間さえない」心の隅には、常に先行きの不安があった。挙句に、Oに監視される毎日だ。

「アリノブ企画で何のキャリアが積めるの?」

私は、あらゆる部分で打ちのめされていた。そのまま何処かに消えてしまいたかった。

『妙なこと』は突然起こった。時期的に考えると、何もこんな時に、と不思議でならなかった。

実家での葬儀を済ませ、自宅アパートの玄関に座り込み、立ち上がる気力もなくじっとしていた時だ。

「浜田怜さんですね。お帰りになるのを待っていたんですよ」

 一人のビジネスマン風の男性が、開き掛けている玄関口で挨拶をした。

「私はこう言う者です」と差し出された名刺には、某不動産 営業主任某と書いてあった。

「実は、このアパートにはヤクザ者が入り込んでましてね、今アパートの皆様に転居をお願いしているんです。ひと月以内に転居して頂ければ、引っ越し費用込みで、諸々の金額をお支払いします。我々としては、早急に立ち退きをお願いしたいんです」

 通常の住人が立ち退いた後なら、ヤクザ者を強制退去出来るのかどうか、は知らなかったが、金銭的に窮していた私は喜んで受け入れた。

 会社での問題に始まって、家族達の疑惑の目、強制的な転居要求と、私の頭の中はごった返した。

喪が明けて出社した社内では、私の姿を見ても、誰も何とも言わなかった。ただ、目を反らすだけだ。

 私は会社には黙ってアパート探しを始めた。

 費用を支払って貰えるなら早い方がいいと思い、必死で探した。年をまたいだ一月末までに決めたアパートは、1DKだが出窓のある角部屋で、陽当りも風通しも抜群だった。家賃も以前の部屋より安かった。

都心から離れた閑静な住宅街にあり、実家にも近くなった。亡くなった父親も喜んでいるだろうと思った。

反して、会社での仕事は、益々熾烈になって来ていた。

 Oは、私に決定的な打撃を与えて辞めさせようとした。

「あんた、ここに評論家の某氏のインタビューの元原稿があるからさあ、これを原稿十枚程度にリライトしてくれない?」

 二月初旬の昼過ぎ、Oは私に原稿を差し出した。インタビューしたテープを書き起こし、ざっと纏めたものだった。いつになく穏やかな口調のOに、私は素直に承諾した。

 J通信の社内報に載せる原稿なので、私は「今後J通信の仕事を貰えるのかしら?」とまだ甘く考えていた。

「明日の朝迄に頼むよ」と言われたら、午後の予定は入っているのだから、私は家で作業するより方法はない。

 引っ越したばかりのアパートに運び込んだ荷物は包みを解く間もなく、部屋中が家財道具やダンボール箱や、大風呂敷に包んだ内容物不明の物体の山で、足の踏み場もなかった。

 極寒の時期だったが、寒かった記憶はない。ただ、災いを乗り切る時の気力だけが私を引張っていた。

弁当を食べた後、ダンボール箱の上に折り畳んだままの卓袱台を置き、Zライトの光だけで原稿を直す。終わったのは夜中の一時頃だ。

 布団袋も開けてなかったので、荷物と荷物の間の細長い空間に、間に合わせの薄い夏物の布団に包まって寝た。

 翌朝、待ち構えていたOに原稿を差し出した。Oは、数分間原稿に目を通すと、私の所に来て「ダメ。書き直し」と言った。

「どこがどうダメだからこう直せ」とは言わない。「ダメ」と言った切り自分の席に戻ってしまった。

言葉を返す余地もなかったので、私は黙って従った。

 翌日も同様に原稿を見せたが「ダメ、やり直し」と言うのみだ。

翌日も同じで、同じやり取りを四回繰り返したのを覚えている。

四回目に返された時は、一旦「はい分かりました」と平静を装って引き下がりはしたが、目を閉じると、瞼の裏側が涙で滲んで来た。私は、堪えるのに必死だった。

 非常勤の、社員の中では一番年配のQは温厚で、常に中立の立場で社員の相談役も務めていた。Qはマスコミ関係の仕事をしている、と聞いたが、詳細は不明だった。私は惨状を話した。

「そりゃ、きついことだなあ、原稿見せて御覧」とQは言った。

 私は、四回も書き直しているのだから、多少は好意的に見てくれているのではないか、と思ったが、Qはさらっと見通して「ふうん、まだまだだね」と言い、私に原稿を返して下を向いてしまった。

 何がどうダメなのか、どこをどう直したらいいのか、私には分からず仕舞いだった。

 寝不足に加え、Qの空を掴むような反応に、私は途方に暮れた。模範原稿とはどう言う物なのか知らないし、修正すべき部分も分からない。

 OKを出して欲しい一心で、徹夜に近い作業で自分なりに原稿を書き直し、窮状を切り抜けられることを祈りつつ、翌朝Oに原稿を差し出した。

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