16の時に父が自殺して学んだこと。

父が亡くなったのは私が高校2年生の頃。
家族は母と、6歳年下の妹が一人。祖父祖母、そして父を加えた5人で暮らしていた。
父が亡くなった日は日曜日の夕方。ちょうど私が部活の練習で高校から帰ってきた時だった。
その日母も友人と出掛けており、私は母が帰ってくるのを家で妹と待っていた。
母が帰って来て、スーパーで買って来た出来合いの惣菜弁当を食べるから、父を呼んできてと言われ、2階の寝室に見にいったが見つからなかった。
父がいなかったと母に伝えると、今度は母が2階を見に行った。
その時は私も母も、父は好きだったマラソンに出掛けたのだと思っていた。

2階から『パパ、ご飯!』と母の呼び掛けが聞こえてきていたのを覚えている。
その後しばらくして、突然母の悲鳴が聞こえてきた。
階段がガタガタっと鳴り、母が何か重いものを降ろしている音が聞こえた。
そのうち祖父祖母も部屋から出てきたのか、悲鳴と泣き声が混じった声が聞こえてきた。

その時リビングには私と妹がいた。
私は感覚的に父が倒れたことに勘付き、全身の血が無くなったように足の力が抜け落ち、今まで経験したことのないほど心臓がバクバクしていた。
妹はその時何を考えていたのかは分からないけど、ソファーに横たわって強張った顔でただただ黙っていた。
母や祖父祖母がいる階段下の玄関は、自分たちがいるリビングから少し遠かった。
その時、私は怖くて母や祖父祖母がいる玄関までいけなかった。
何かよくないことが起こっている音だけを、リビングで妹と聞いていた。
早く家族を助けに行くのが常識だと分かっていた。
だけど、昨日まで普通に暮らしていた自分の家族が、泣きながら悲鳴を上げている空間に、そのまま突っ込めるだろうか。
変わり果てた姿になってしまっているかもしれない父を、変わり果てていると分かっていながら、見に行けるだろうか。
私は、そんな中で、助けに行く勇気が無かった。


ふと妹に、「お姉ちゃん部活辞めて、バイトするから、後はなんにも心配したらあかんで。」と語りかけた。
妹は「うん」とだけ小さく答えて黙ったままだった。
その後、祖母が私たちのいたリビングに来て、「もうお父さんは駄目やから、覚悟しとき。」と強張った顔で言われたのを、今でも覚えている。

救急車が来てすぐに車で家族と病院に向かった。
その時父の姉、叔母も一緒に乗っていたけど、叔母も祖父も道中涙を流し続けていて、本当に信じられないことが起こったんだな、と実感した。
病院で死亡が確認された時、父の顔を見れる機会があった。
母は、私と妹に「あんたらは見やんか?」と聞いてきたので、「見やん」とだけ言った。
恐怖の方が勝ってしまい、ここでも父の顔を見る勇気が出なかった。
私と妹、そして目の視力がほぼなくなって自由に動けない祖父だけが、ぽつんと、暗い真夜中のロビーに座っていた。





父は自殺だった。
自分で自殺道具を作って、自分で自分を手にかけた。
使用された透明な荷造り紐は、しっかり太くロープのように父の手で作られており、結び目もしっかり硬く結ばれていた。
生前父が病気だったり、何か精神病を診断されていたわけではない。
何も言わず、一人で、家族が一緒に過ごした家の中で、そのまま逝ってしまった。





…いや、母にだけ打ち明けていたことがあった。

私と妹には、心配かけさせないよう言っていなかったことだ。





遡って1年前。
長年勤めた会社で、努力が功を期し、父は他部署異動の後、昇進することとなった。
しかし、異動した部署での新しい上司が、意地の悪い人だった。
無視、嫌がらせ、理不尽な仕事の押し付け、様々な仕打ちをその上司から、父は亡くなるまで受けていた。
母は、その相談を一年前から受けていた。
父が亡くなる4ヶ月前の夏休み、私たち姉妹にとってはただの家族旅行だと思っていた沖縄旅行は、父をリフレッシュさせるため母が計画したものだった。

父が亡くなった後は、亡くなった理由も父に関することも何もかも、私は母に聞こうとしなかった。
この発端についても詳細を知ったのは、父が死んで6年目、今からたったの数年前である。
なぜ、亡くなってすぐ亡くなった理由について私が聞かなかったのか。
それは、私が父の死をタブー化して、ほとんど家族と話してこなかったためである。



父が亡くなった時から、私は家族の悲壮感を身に沁みて感じていた。
そんな中、またみんなが楽しい生活に戻れるようにしたかったのかもしれない。
特に母に関しては、父のことを話すことで、悲しいことを思い出させてしまうかもしれないと思った。
なにせ、父が亡くなってから一番母が精神的に疲れていたからだ。
葬式の喪主も、そのあとの整理も、ほとんどのことを、数ヶ月の間に母がこなしていた。

一度、母と大喧嘩して、母が家から飛び出したことがあった。
その頃私は過度に心配性になっていて、常に母が父の後を追ってしまう可能性を考えていた。
だから、母が家を飛び出した時は、本気で焦ったし、家付近を全力で探し回った。(結果、2階の寝室で寝ていただけだった…)
妹は父のことで泣いたりしなかったが、無意識にストレスが溜まっていたのか、父が亡くなってから体調が悪い時期が長く続いた。
妹の腸に穴が空いて手術したのもこの頃だ。
その頃の私は、家族がこれ以上沈んで行かないように、冗談を言って家族を笑かしたりお笑い番組を団欒の中見まくったり、とにかく故人に関する事には触れず、家族が笑って暮らせるように頑張った。
父の話が私から出るのは、父のことを知らない知り合いや友達に、父のことを聞かれた時だけ。
「父は他界してます。」と告げる時だけだった。



そうするうちに、私は父を『パパ』と呼ばなくなった。
他人に説明するときに使う、「父」や「お父さん」という他人行儀な呼び方が定着し、これが一番言い慣れた父への呼び方になってしまった。




長年避けてきた父の話題をするようになったのは、海外で働く夢が叶った頃からだ。
夢が叶ったとき、私は人生を振り返った。
自分が記憶している昔の自分からは想像もできないくらい、自分自身が成長したと感じ取れたからだ。

振り返ると気づいた。
自分は父が亡くなったことがきっかけとなって、大学も就職もバイトも、自分が成長するために必死になって取り組んだ。
母は父が残してくれた貯金で私を大学にも行かせてくれたし、妹もこの春から大学生になる。
より母や妹、祖父母を大事にするようになった。
支え合うようになった。
今までないがしろにしていた自分のことも、より大切に考えるようになった。
やりたいことはとことんやる、違うと思うことは違うと言えるようになった。
青春時代に死に関わったことで、人生を笑って過ごせるよう一生懸命生きる、そして、家族を幸せにする。
そういう決心が、無意識のうちに16歳の頃についた。
そして、今やっと自分の夢が叶った。
父の死が自分を変えているんだと気づいてから、枕に涙を染み込ませた日々が、数日続いた。



自分と父は生前仲が良かったわけではない。
私は思春期真っ只中だったし、家では体たらくで家事をしない、チャンネルもすぐ野球に変える父が心底鬱陶しかったし、母を困らしているように見えて、常に反発していた。
そんな中、本心では思っていないような暴言を吐いたりもした。
父は私のことを嫌いなんじゃないかと思ったりもした。
だから、母から本当の父の死の理由を知るまで、自分が父を死に追いやった原因の一つだと思っていた。
数年間は、自分のことが殺人犯のように思えて、何度も自分を責めた。
吐いた暴言は、いつか現実になるものなんだと心底落ち込んだ。
でも、それは母も同じだったのかもしれない。
『あの時無理矢理にでも仕事をやめさせていたら。』
『うつ病を疑っていたら。』
自殺者の家族は、ほとんどの人が何かしら自分を罪人だと思ってしまうのかもしれない。
もっと自分が何かできたかもしれない、自分が行った行動が傷つけていたのかもしれない。
そう考えると、せっかく生きているのに、自分まで死んだ気分になる。
だけど、父が私たちに心配をかけないように、仕事のストレスのことは私ったい子供には何も言わなかったことを、母から聞いて、心がとても楽になったし、父のためにもこれからはポジティブに生きようと考えるようになった。



この8年間で、何度か父を思い出してとても悲しかったことがある。
それは、私が父のおかげで成長できたのに、その姿を見せられないことだ。
この問題に対する解決策は、いつか私が天国に行って父に再会する時までに、もっと成長して大きくなって、人生を生き抜くことなのかもしれない。


最後に。
あなたに愛する家族や友人がいて、もし突然亡くなってしまったら、
自分を絶対に責めないでほしい、ということを言いたい。
自分を責めてしまうと、いつまでも自分の殻に閉じこもってしまって、自分はどうせ本質的に幸せにはなれないと、思い込んでしまう。
自分を責めると、そこから時間が止まってしまう。

だから、自分の人生の中で、ショッキングな出来事があっても、決してそれを悪いことだとだけ捉えないでほしい。
その瞬間は辛くても、その辛い瞬間が、自分を強くしているのだということを、知っておいてほしい。
数年後自分をもう一度見たときに、その辛さがきっかけとなって、無意識に自分が成長していた、人生はそういうものなのである。
だから、今辛いことに直面している人は、前向きに生きることが故人への感謝だと思って、人生を進んでいけばいいと思う。


あとは、定期的に亡くなった人のことを思い出すことは大事かもしれない。
何故なら、昔の記憶からどんどん無くなって行くから。
私は今でも1週間に一回は父が生きていた時の思い出を振り返る。
16年間の思い出は、少しずつ消えるものだから、定期的に思い出さなければならない。
父が亡くなった日、あの瞬間が私の人生を変えた一瞬なら、その時のことも忘れてはいけない。

私が父を亡くした経験から言えることは、以上である。









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