これがわたしの逝きる道 ~筆者の気まぐれ人生にツッコミを添えて~

わたしは橋口真也。31才で29才の妻と1才の息子がいて、その日を一生懸命生きている「家族の疲-労-(ヒーロー)サラリーマンである。ふと、先日生きるとは何かを考えていました。いずれすべての生き物は必ず息絶えるのに、どうして人間は生にしがみつくのであろうか。長生きをしてもたかが100年。地球の歴史や宇宙からすればほんの一瞬である。おそらく1年も10年も100年も大差がないに違いない。もし、宇宙から地球を覗いている奴がいれば人間を笑っているだろう。それでも、死にたくない。少しでも長く生きたい。例え、死に向かって走っているとしても、例え、笑われても死にたくないと心から願っている。そして、こんな答えの出ない悩みを抱えている、愚かなわたしのような人間のことも、また笑っていることだろう。

そんなことを妻と息子が寝静まり、妻が起きてこないかを勘ぐりながら、さらにエッチなDVDの音が漏れないようにヘッドフォンをしながら自慰行為、いや独り遊戯をし終わった後の深夜2時に考えていた。どうしてなのだろう。独り遊戯後、哲学的な気持ちになるのは。そして、罪悪感に苛まれる。なぜなら、テッシュペーパーが切れていたので、息子のオムツをかえる時におしりを拭くために使うおしりふきを使用して、独り遊戯処理をしたのだが、おしりふきの入れ物のパッケージに描かれたなんとも愛くるしい赤ちゃんが、とびっきりの笑顔でこちらを見ていたからだ。例え、宇宙から地球を覗いている奴に笑われても死にたくないし、例え、おしりふきの入れ物のパッケージに描かれた赤ちゃんに笑われても独り遊戯は止めたくないものだ。そしてわたしは物静かな夜に思いをはせる。「これからもわたしは逝きる」と。“生きる”のに“逝きる”とは、これ如何に。わたしにぴったりだな、と笑いつつ、ゆっくりと、ひっそりと、バレないように寝室へ向かうのであった。

 

『ついていますよ』

こんにちは。高校時代は三年五組野球部。今は残年負け組ネガティ部。橋口真也です。

このお話は、わたしが会社へ出勤するために徒歩で最寄り駅に向かっていた時のお話です。駅まで向かう道中、ふと少し前を歩いている女性の首元が気になりました。何かついている。目を凝らしてよく見ると、なんと洋服に値札がついたままであったのだ。

「どうするべきか」

 わたしの脳裏に中学時代のある出来事が蘇った。中学時代、同じクラスに粟津くんという少年がいた。粟津くんの家は小さな電気屋さんを営んでおり、どちらかというと裕福な家庭ではなかった。よく粟津くんは、学校が終わると家業を手伝うために放課後遊ぶのを断っていた。ある日、学校に粟津くんが登校して「おはよう」と挨拶をして顔を見ると、なんと鼻毛が出ていたのだ。それも両方の鼻の穴から。量も中々のもので、いわゆる「こんにちは! 」では到底収まりきれない。某有名歌手の夏フェスで、「盛り上がっているかい? 」「おー! 」のやりとり以上の勢いだ。こんなお祭りが鼻で開催されていることをすぐに指摘してやるべきだと心ではわかっていたのだが、心優しい粟津くんの顔を見ると言えなかった。そんな日に限って担任の先生が朝のホームルームで粟津くんの話をしだした。どうやら昨日、粟津くんの家の電気屋さんで乾電池を買ったらしい。その時に粟津くんの接客が素晴らしくて、他の年配のお客様にも親身に対応をしていた、という話の内容だった。このように健気に頑張ることが素晴らしい、と締めくくった。そしてあろうことか、「なあ、橋口そうだろう? 」とわたしに話を振ってきたのだ。鼻毛フェスティバルのことで頭がいっぱいだったわたしは思わず席を立ち上がり言ってしまった。「粟津くんは健気さも鼻毛もよく出ています」と。その日を境に粟津くんの鼻の穴から出る毛は鼻毛ではなく、健〝毛〟と呼ばれるようになったことは言うまでもあるまい。

 第二の健〝毛〟という名の犠牲者を二度と出してはならない。中学生だったわたしは固く誓っていた。そんな当時の思い出を回想しながら、前を歩く女の子についている値札を改めてよく見てみる。見たことのない陽気なハットを被ったカーボーイのようなキャラクターが印刷されている。値段は二千九百八十円。

「おいおい。これじゃあ、あだ名が陽気なニイキュッパになるのは火を見るよりも明らかじゃないか・・・」

 さらに見てはならぬものを見てしまった。値札の下にホッチキスでとめられた紙に書かれた文字。『表示価格より50OFF』そう。彼女は訳の分からん安っちいブランドを買うだけでは飽き足らず、半額になった服を購入していたのだ。彼女はこれから大学に行くのか? 職場に行くのか? 友達と遊びに行くのか? 外出の目的は定かではないが、このままでは彼女は二度と立ち直れない精神的なダメージを負ってしまう。そう、健〝毛〟な粟津のように・・・。彼女を救うことができるのはわたしだけだった。ありったけの勇気を振り絞り決心をした。

「すいません。服に値札ついてますよ」

  彼女はゆっくりと振り返り言いました。

「つけてるんですけど」

 なぜか若干キレ気味にそう言うとスタスタと見えないところまで歩いて行ってしまった。間違いなく彼女の人間的価値が半額になった瞬間でした。

 「陽気なニイキュッパ、値段も人間的価値も50OFF。期間一生絶賛販売中」と、ポツリと呟き、それ以降、バーゲンセールで半額の文字を見るたびに喜ぶお客さんの中でただ独り心が疼くようになったのです。

 

『不安抱爺(ファンタジー)

こんにちは。先日嫁に「ジャニーズの嵐の桜井君に似ているって得意先のお客さんに言われた」と言うと「確かに。ファンタの果汁くらいは似ている」と言われ、ファンタの成分表を見たら果汁が1%しか入っていなくて衝撃を受けた橋口真也です。

このお話はわたしが助手席に会社の会長を乗せて車を走らせていた時のお話です。わたしが勤務しているのは創業から50年経つ社員二十人くらいの規模の印刷・出版会社で、社長の父親が会長を務めていました。会長は会社の創業者であり、前社長であった。御年八十二才になるが、とても元気で毎日欠かさず出社して、精力的に働いていました。その会長が急な用事で行かなければならないところができたらしく、たまたま時間が空いていたわたしが運転をして、車で会長を送っている最中であった。

創業当時の話は現社長から少し伺っていたが、起業してから今まで、それは苦労の連続だったらしい。あまり話す機会が無かった会長に車の中で様々なことを教えて頂いた。お客様を獲得するために全国行脚を行なったこと。印刷機を安い価格で手に入れる方法。奥様であり、会社の経理を務めている奥様には苦労をかけ、これまでついてきてくれたことに非常に感謝していること。などなど、様々な出来事、経験を赤裸々に語ってくれた。わたしからすれば、会社の会長であり、また半世紀も多く人生を経験している人間の大先輩として、有意義な時間を過ごさせてもらいました。

そして、目的地にもうすぐで到着しそうなそんな時、会長が手に小さなカンカンを持っていることに気が付きました。お菓子でも持っているのかな? と思い、
 「会長、ところでその手にお持ちのカンカンは何ですか? 」と聞いてみた。すると、
 「これか? カブトムシが入っとるんじゃよ」と答え、カンカンの蓋を開けて立派な角が生えた雄のカブトムシを見せてくれました。

カブトムシ? わたしは聞かずにはいられませんでした。

「あの~そのカブトムシどうされたんですか? 」

「拾ったんじゃよ。家の前で」

なーんだ。家の前で拾ったのか。そうかそうか。納得納得・・・って、

「なんでやねん! 」わたしはおもわず会長に超正統派ツッコミを入れてしまいました。

会長はジャングルの奥地に住んでいらっしゃるのでしょうか? 否、大阪市内のマンションです。田舎ではなく都会です。ではどうして? どこかの少年が飼っていたカブトムシが逃げ出したのか、または捨て犬ならぬ、捨てカブトムシなのか、またまた野良カブトムシなのかわかりませんが、とにかく会長の発するパワーに引き寄せられたのに違いありません。そして、なによりすごかったのが、
 「会長、そのカブトムシ一体どうするのですか? 」
 「今日ちょうど会う友達にあげるんや」
 「えっ? その方は会長がカブトムシ今日プレゼントするのを、知っているのですか?」
「今日の朝、玄関で見つけたんやから、知らんよ。さすがに手ぶらじゃ、不安じゃな~と思っていたところにカブトムシがおったから、ちょうどよかったよ」

この大胆なプレゼント、いや、この拾ったカブトムシをプレゼントするという発想力、感服いたしました。頼んでいないピザが届くより絶対に衝撃です。人間のみならず、あらゆる生物を惹きつける人間性、そして、大胆な発想力が創業から50年会社が続く秘訣・・・か、どうかはわかりませんが、とにかく会長恐るべしと思いました。仮に私がお客様で、訪問者が「手ぶらじゃアレだから、持ってきたよ。カブトムシ」と、カブトムシをサプライズでプレゼントしてきたら、こんなファンタジーなことはないな、としみじみ思うのであった。

 

『共働鬼』

  こんにちは。先日コンビニで体操着を着ている少年が『今更聞けないお金の話』を立ち読みしていて、その後レジで「タバコください」と、胸の2-4のゼッケンを揺らしながら言い、コンビニの店員を困惑させている光景を見て、世知辛れ~なあと思った橋口真也です。

 今回はわたしの嫁のお話です。まず、わたしと嫁の関係を簡単に言います。数式で表すと夫<嫁(夫小なり嫁)。国で表すと先進嫁と発展途上夫。年齢で表すと嫁が『いい加減にしな歳』、わたしが『助けてくだ歳』。家の外には『猛嫁注意』のステッカーを貼りたいような嫁です。嫁は働いてくれており、仕事、家事、育児をこなす大谷翔平越えの三投流をこなしてくれています。心から感謝しています。しかし、同時に苦労もかけています。その苦労からか、我が家には鬼が出るのです。共働鬼(き)という名の・・・。

 ある日、嫁からもらった大事なキーホルダーを家の中で落としてしまい、家中を探していると嫁に「探し物? 」とバレてしまい、しまったと思いつつも「実はキーホルダーを・・・」と正直に白状すると、「失くしたのはキーホルダー? それとも信頼? 」と満面の笑みで話しかけてきました。わたしに井上陽水のようなハイセンスがあれば、「それより僕と踊りませんか? 」と、危機的状況を回避できたかもしれませんが、わたしはただ、ぶるぶると震えることしかできませんでした。その時、わたしのぶるぶる度はマグニチュードで言うと、マグニチュード7を遥かに超えていたとか、いないとか。

 またある日、嫁が車で勤務先に行くというので、わたしの勤め先は嫁の職場と割と近かったので、「一緒に乗せてくれる? 」と恐る恐る聞くと、「いいよ」とすんなり返事頂き、ほっとしていると、「ただし」と続け、一睨みきかせた後に「同乗するなら金をくれ」と、かつての名台詞を吐き捨てられました。わたしと嫁は戦場の上司と部下のような関係で、聞かれた質問はすべて「イエッサー! 」という究極のわたしはイエスマン。すなわち「いいえ」という選択肢がありません。わたしは『「いいえ」なき子』として、同乗させてもらったのです。

 またまたある日は、会社から家に帰り靴を脱いだ瞬間に「このドクサイシャ」と言われました。わたしは完ぺきではありませんが、家事も育児も手伝っていた自負があり、またギャンブルをしたりだとか、飲みに頻繁に行くだとか、そういうことはありませんでしたので、独裁者と呼ばれる筋合いは全くありませんでした。その時ばかりは「独裁者ってなんやねん」と、少し怒り気味に言ってやりました。すると「あんたの足臭すぎ。だから、ド臭い者」と鼻をつまみながら言われました。中国は習近平(しゅうきんぺい)。わたしは臭近辺(しゅうきんぺん)。なんちゃって。と、心の中で叫びながら、罪を犯したわけでもないのに、お風呂場に足を洗いに向かいました。

 そんな嫁と結婚を決めたある出来事があります。ある日、大喧嘩をしてしまい、スーツ姿のわたしに向かって嫁が醤油をぶっかけてきたのです。それも、ボトルに入っていた満タンの醤油を開けて。スーツは醤油まみれになり、「おい、何すんねん」と言うと、「薄味のあんたにはちょうどいい味付けになったやろう」と言い放ちました。その時、わたしは必ず味の濃い男になり、嫁を堪能させてやる、と誓ったのです。

あれから3年。まだまだ味付けの真っ最中です。「美味しかった」と嫁に言わすためにも、わたしはこの人生を一生懸命逝きていきます。

 

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